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いとうな日々

MLB、プロ野球他野球全般、ニュースなどについて、勝手にコメントさせて頂いてます!

長嶋終身名誉監督、「燦燦会」総会に3年ぶり出席

2007-03-07 | プロ野球
財界関係者らが中心となって作る読売巨人軍の応援組織「燦燦会(さんさんかい)」(会長・山口信夫日商会頭)の総会が7日、東京・内幸町の帝国ホテルで開かれ、長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が脳梗塞(こうそく)で倒れる直前の2004年3月以来、3年ぶりに出席した。

選手たちが並ぶ舞台に登壇した長嶋氏は、原辰徳監督とのミニトークに参加。「打線の1、2番はどうするの」と監督に質問したり、二軍で調整中の上原浩治投手や二岡智宏選手について、「(復帰は)今月15日、20日ごろかな」などと問いかけた。最後はマイクを握って選手たちに向かい「勝つ、勝つ、勝つ」とゲキをとばした。これに原監督は「新しい巨人の歴史を作るべく、一人一人の力を結集し、強く戦い、ペナントを奪回したい」と抱負を語った。

(読売新聞)

宮崎キャンプ訪問。本日の「燦燦会(さんさんかい)」総会への出席。長嶋さんの奇蹟的な回復には驚かされる。テレビニュースでは長嶋さんが原監督に「今年の阪神、中日はどう?」とインタビューする姿が流れた。ハードなリハビリを連日行っているということで、「思考回路」にも全く後遺症はないようである。最後にチームへの激励を求められた長嶋氏は、選手の方に左手を振りかざして「勝つ、勝つ、勝つ!」と力を込めて檄をとばし締め括った様だ。「メークドラマ」のスタートである。

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楽天・田中、ロッテ・大嶺のルーキー対決

2007-02-26 | プロ野球
楽天・田中とロッテ大嶺の注目ルーキーが26日、鹿児島で対決した。両者先発して2イニングを投げ合った練習試合のプロ初登板は、田中が無失点、被安打2、三振4、大嶺が4失点、被安打5、三振2と明暗が分かれた。

怪童ぶりを発揮したのは田中だった。1回、いきなり連続三振。西岡には得意のスライダーで、福浦には外角に直球をズバリと決め、場内からどよめきが起こった。2回は連打で無死一、二塁とされたが、ここからが並の新人ではない。神戸、サブローを連続三振。今江を二ゴロに打ち取り、野村監督に握手の出迎えを受けた。「緊張しなかった。テレビで見ていた人たちと対戦するのは楽しかった」と田中。野村監督も「率直によかった。打者にフルスイングさせていないからな」と褒めた。

一方の大嶺は1回こそ2死一、二塁のピンチを直球で三振に打ち取ったが、2回につかまった。1死二塁から嶋に左越え2点本塁打。さらに高須の適時二塁打と自らのボークで2点を失った。「制球が悪かった。プロでは速い球でも甘かったら打たれることがわかった」。大嶺はサバサバとしていた。バレンタイン監督も「彼はいい投手だが、まだまだ学ばなければならない」。

この日の結果で田中は先発ローテーション入りへ大きく前進し、大嶺は2軍での再教育を監督から示唆された。しかし、それは現時点でのわずかな違いに過ぎない。2人の野球人生はこれからなのだから。

(asahi.com)

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中村紀の中日入団決定

2007-02-25 | プロ野球
中日は25日、キャンプ地の沖縄で15日からテストしていた前オリックスの中村紀洋内野手(33)を2軍戦だけに出場できる育成選手として契約したと発表した。年俸は昨季の2億円から50分の1となる400万円。背番号は「205」。中日は上限70人の支配下選手にすでに69人が登録しているため、開幕後などに故障者が出た場合の緊急補強に備え1枠を残し、育成枠での獲得となった。

記者会見した中村紀は「やっとユニホームが着られる。2軍で結果を出して支配下選手になれるよう頑張りたい」と語った。

中村紀は本塁打と打点で計3度タイトルを獲得し、通算319本塁打。2005年に米大リーグ、ドジャースでプレーし、昨季はオリックスで日本球界に復帰したが左手首のけがなどで打率2割3分2厘、12本塁打に終わった。オフには大幅減俸をめぐって契約交渉が決裂して1月にオリックスを自由契約となった。(金額は推定)

[ 共同通信社 ]

現役が続けられることになって本当によかったですね。「口は災いの元」。今後は野球の技術はともかく、人間的な成長を期待します。

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長嶋氏が巨人キャンプ訪問 東国原知事と談笑

2007-02-16 | プロ野球
プロ野球巨人の長嶋茂雄元監督(70)が16日、空路宮崎入りし、脳梗塞(こうそく)で倒れてから初めて巨人のキャンプ地を訪れた。練習を視察して原辰徳監督と選手らを激励、東国原(ひがしこくばる)英夫宮崎県知事の表敬訪問も受けた。

「ミスタープロ野球」長嶋氏は午前9時20分すぎ、巨人がキャンプを張る宮崎市のサンマリンスタジアム宮崎に到着。つえは使わず、しっかりとした足どりでグラウンドに立つと、原監督と選手らを前に「今年は勝つ。絶対に勝つ。3回言う。勝つ、勝つ、勝つ。オーケー?」と激励の言葉をかけた。

同10時すぎには東国原知事が球場を訪れ、長嶋氏は一塁側ベンチ前で出迎えて談笑した。東国原知事は「宮崎としても元気が出てくる感じ。こういう立場でお会いできるのは、ひとしおの感動」と話した。

長嶋氏は2004年3月に脳梗塞で倒れ、東京都内の病院に緊急入院。地道なリハビリで現在は日常生活に支障がなく、公の場に姿を見せるまでに回復。長嶋氏は日帰りの予定で宮崎を訪ねた。

[共同通信社]

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中村が中日入団テスト

2007-02-13 | プロ野球
オリックスを自由契約になり移籍先未定の中村紀洋内野手(33)が中日の入団テストを受けることが12日、分かった。

中村は14日に中日のキャンプ地沖縄に入り、第3クール初日の15日から練習に参加する予定。中日は上限70人の支配下選手のうち契約未更改の福留を含め69人を登録しており、伊藤一正球団代表は「支配下選手枠と育成選手枠の両面で検討する」と語った。

中村は米球界から復帰した昨季、左手首のけがなどで不振に終わり、大幅減俸をめぐるオフの契約更改交渉が決裂。トレードもまとまらず、移籍先は決まっていない。

(共同通信社)

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褒めるノムさん=最年長監督、優しく変化

2007-02-07 | プロ野球
楽天の野村克也監督が変わった。キャンプでは、ブルペンで投球する注目の高校生ルーキー田中を鋭く凝視。だが、甘くとろけるような言葉が口元からこぼれる。「さすが。『おっ』という球を投げるし、使ってみたくなる投手。合格だ。松坂の後継者ができた」と、べた褒め。メモを取る報道陣は、連日の「マー君」(田中)狂想曲だ。

辛口で厳しい口調が売りだった監督が、なぜ別人のようになったのか。田中の素質が群を抜くということもあるだろう。しかし、ヤクルト時代に選手として接した橋上ヘッドコーチはこう分析する。「田中を奮い立たせるという意味もあるけど、むしろそれ以上に他選手を刺激する意図があるはず」。

コーチには、田中の弱点など物足りない部分も的確に指摘しているという。ただ、老かいな指揮官は、大物新人がチームの活性化に役立つことを知っている。注目選手を持ち上げ、他選手の競争心をあおる。確かに、伸び悩む一場、昨年の高校生ドラフト1巡目の片山が目の色を変えている。

「もっと野球を勉強しろ」。つたない質問をした報道陣に常に緊張感を抱かせたのが、ヤクルト監督時代。「当時はほとんど選手に話し掛けなかったから、監督が何を考えているか怖くて必死で考えた」と橋上コーチ。優しくなった対応は、孫のような年齢となった選手や報道陣へのひとつの考えでもあるだろう。

「髪を金髪に染めたり、今の若い子の考えていることは分からん」と、ぼやきは相変わらず。一方で、最下位脱出をもくろむ71歳の球界最年長監督は、したたかに変化している。

(時事通信)

実力派選手は大リーグに、野球選手としては実力は疑問でも話題提供には事欠かなかった新庄は引退。2月1日にキャンプインした日本プロ野球にはエポックがない。監督が脚光を浴びるようでは今年の日本プロ野球も先が見えた感ありだ。これでジャパンがオリンピック予選で敗退ということにでもなれば、プロ野球人気はガタ落ち、選手のメジャー志向は益々強くなること必至。自民党と同じで日本プロ野球界も抜本改革を怠ったツケが一挙に噴出する懸念が大だ。

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野球の日本代表監督に星野氏決定

2007-01-25 | プロ野球
2008年北京五輪を目指す野球の日本代表監督にプロ野球・阪神オーナー付シニアディレクター、星野仙一氏(60)が就任することが25日、発表された。

この日、東京・港区のホテルで全日本野球会議の日本代表編成委員会(松田昌士委員長=全日本アマチュア野球連盟会長)が開かれ、18日に監督就任を要請されていた星野氏が快諾した。

記者会見に臨んだ星野氏は「栄誉ある五輪の野球監督の指名を受け、非常に光栄だ。野球の素晴らしさを伝える上で五輪がいかに大事か。それを思うと、ますます重圧がかかる思いだ」と意気込みを語った。

(読売新聞)

オリンピックでの金メダルは確かに悲願かもしれない。しかし、北京五輪で野球は競技種目から姿を消すことになっている。あまり絶対に金メダルなどと力まないほうがいいかもしれない。チーム編成は今からであるし、台湾、韓国の情勢も不明だ。

野球は他のスポーツにくらべても競技人口が少ない。オリンピックが商業化して以来プロ、アマの区別もなくなった。最大の問題点はメジャーリーグが無関心なことだ。サッカーのW杯と同様、野球においては昨年始まったWBCが権威ある大会であろう。

ユニフォームに「国旗」を付けるわけだからアジア予選だけは勝ち抜いて欲しい。台湾、韓国は取り組み姿勢が日本とは異なるので要注意である。その点でリーグ戦形式になれたプロ選手ばかりでは不安である。メジャーリーグに籍を置く選手は出場できない。そんな事情を考えれば、トーナメント形式に慣れた社会人からの選手選考を充分視野に入れるべきであろう。

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古田監督の救済にもヤクルト球団はその気なし

2007-01-24 | プロ野球
オリックスから自由契約となって以来、他球団からのオファーを待ち続けている中村紀洋だが、未だ正式に救済の声はかからないまま。事態を打開してくれるブレーンは存在しないのか。いや、いたはずだ。一昨年、中村がメジャーに挑戦した際に代理人としてドジャースなどと交渉した団野村氏だ。

野茂、マック鈴木、吉井など日本人選手を後押しした豪腕代理人。94年の野茂騒動では任意引退で流出阻止を狙った近鉄とガチンコ交渉。特例措置を認めさせ、ドジャースに送り出した。打つ手なしの中村には救世主となってくれるはずなのだが…。

因果応報だ。中村がドジャースに在籍した昨年4月。開幕メジャーから外れマイナーが決定し、ドジャース退団、日本球界復帰を口にしたときだ。米球界関係者は「ノリは『こんな契約じゃどうしようもない。どないしてくれるんや!』と野村氏に食ってかかった。メジャーはあくまでも実力の世界。それを理解せず一方的に主張するノリに団野村氏も契約を解除せざるをえなかった」と明かす。

そんないきさつがあれば豪腕代理人は沈黙。救済に動く筋合いもないワケだ。この話には続きがある。米国の中村に救済の手を差し伸べたのがオリックス。野村氏と決別し、マイナー暮らしの中村へ、小泉球団社長(当時)が出向き、日本復帰を勧めた。その甲斐あって翌06年、巨人から移籍した清原とともに大阪凱旋を果たしたのだが、中村は2人の恩人に泥を塗った形だ。

実力で勝負し、主張は曲げない。中村の自負は野球選手としては当然のこと。が、その哲学が退路を断っているのは事実。野球人生最大のピンチに陥った今、方針変更は絶対に必要だ。

クモの糸ほどの可能性はある。23日、自主トレで神宮を訪れたヤクルト古田PMが「いろいろな経緯はあるだろうけど、あれだけ実績のある三塁手がプレーできないのは球界の損失。ウチも三塁手がいない」と救済の意思を示唆したからだ。

ただ、現時点でヤクルト球団に獲得の意思はない。それだけに「会ってくれるところに出向くというのなら頭を下げにきてもいいんじゃないか」(球団関係者)。いまや有言実行の時だ。

ZAKZAK

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『ハマのオジさん』誕生

2007-01-19 | プロ野球
巨人から横浜に移籍した工藤公康投手(43)が19日、横浜市内の球団事務所で入団交渉を行い、正式契約を結んだ。1年契約で年俸9000万円プラス出来高5000万円。年俸2億9000万円からの2億円ダウンは、昨年12月のヤクルト・古田敦也兼任監督の1億8000万円減を上回る史上最高減額。(金額はいずれも推定)。

工藤は緊張した面持ちで入団会見に出席。「巨人への感謝の気持ちに変わりはないが、戦う時は敵。巨人との開幕カード(3月30日~4月1日、横浜)で投げる気持ちはある」と、古巣との開幕対決に思いをはせた。

背番号は長年背負ってきた「47」。工藤は「大きな期待の表れ。この番号を素晴らしいものにしたい」と抱負を述べるとともに、横浜の投手陣について「若い選手を見て発奮し、自身の限界を作らず頑張りたい」と話した。また、横浜での愛称に関して「『ハマのオジさん』でいいです」と笑いを誘った。

大矢監督は「どのチームでも個性を持って、投手陣を引っ張ってきた。横浜にはかけがえのない財産になる。(調子が)良ければ、(開幕も)最初に行ってもらう」と期待を込めた。佐々木邦昭球団社長は、48歳4カ月のプロ野球最年長勝利記録を持つ浜崎真二投手(阪急)を引き合いに出し、「横浜のユニホームを着て、最年長勝利記録を更新してもらいたい」と語った。

毎日新聞

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故梶本氏と松永氏が殿堂入り

2007-01-12 | プロ野球
野球殿堂入りを決める野球体育博物館の競技者、特別両表彰委員会は12日、競技者表彰として元阪急(現オリックス)投手の故梶本隆夫氏、特別表彰として1984年ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した野球(公開競技)の日本代表監督だった松永怜一氏(75)の殿堂入りを発表した。殿堂入りは計161人となった。

梶本氏は阪急の低迷期に快速球左腕として活躍。通算で歴代3位の867試合に登板し、254勝255敗。1957年の9連続奪三振はプロ野球記録。シーズン20勝を4度マークしながらタイトルとは無縁で「無冠のエース」としても知られた。引退後は阪急の投手コーチを経て、79、80年には同監督を務め、昨年71歳で死去した。

松永氏は65年に母校の法大監督に就任し、田淵幸一氏(元ダイエー監督)、山本浩二氏(前広島監督)らを育て上げ、東京六大学リーグで6度優勝した。社会人野球の住友金属を率いては日本選手権で2度優勝し、ロサンゼルス五輪の日本代表を指揮して金メダルを獲得した。その後は日本オリンピック委員会(JOC)の選手強化本部長などを歴任した。

競技者表彰は、プロ野球取材経験15年以上の記者による記名投票(10人までの連記)で有効投票総数の75%(今年は229票)が当選必要数。故梶本氏は261票を獲得した。

表彰式は7月20日のオールスターゲーム第1戦(東京ドーム)で行われる。

▼松永怜一氏の話 正直驚いた。巣立っていった大勢の教え子が野球界に貢献したことで、私が認められたのではないかと思う。後進のために何をやればいいのかをモットーにやってきた。辛く苦しいときもあったが、乗り越えてきて良かった。(1932年11月3日生まれ。福岡県出身。右投右打、ポジションは内野手。八幡高校から法政大学に進学し、1年次より内野手として活躍。)

(Sponichi Annex)

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