このブログを開設するにあたり、私のPCの師匠である『月刊美術』のN編集者に相談しました。美術とは関係のない一般の人に向けてブログはあるのだから、入りやすいように易しい表現が大切という助言。この2本の記事をみて「まだ硬いな」という感想。確かに美術雑誌中心から離れてブログに書くのでこれでは意味がない。美術というマニアックなイメージをより広い層に伝えるパイプ役になりたいというのが、私の常々の目標だから。どれだけ幅を広げられるか、皆様アクセスしてみてください。
石内都氏・写真家の名前は母の旧姓であるという。その母の遺品を撮り続けていることは有名であるが、近年では「ひろしま」の遺品、残像をわれわれに提示する。戦後65年経つが、現在も被爆者の方々の遺品に出合うと、不在であるはずの何かが作家の視線を誘う。デジタルは撮らない。写真は匂いや手触り感も表せるのではないか。個人の傷、被害、加害ではなく普遍的な負のエネルギーを作品化する二人の作家のトークは、現代という社会に積極的にコミットしていく人間の本質的なエネルギーを感じさせるものがある。
国立西洋美術館で開催されている「フランク・ブラングィン」展を見に行った。ベルギー生まれで世紀末、ウィリアム・モリスの弟子といわれるが、私が引かれたのはマルチ・メディアアーティストとして多岐にわたる作品群だ。この日、河村錠一郎氏の講演でモリスはテキスタイルデザインを主体に展開したが、ブラングィンは、余りにもいろんな事に才能を発揮し分散したから美術史上モリスほど名前を残せなかったという、先生らしいジョークにも納得。日本の浮世絵の構図を大胆に応用。探究心をそそる展覧会であった。