日本聖公会京都教区の主教と司祭は、みんな原田文雄司祭の「仲間」か?それともあの原田文雄司祭の和解申入書の存在を知らなかったのか?知らなかったはずがないだろう。あの和解申入書を原田文雄司祭が投函して、それから常置委員会を開いて、主教と常置委員会が陪餐停止を言い出す。その中で主教は「和解が成立するまで」ということを明言する。その後、被害者が何も言ってこなければ、謝罪は完了し、和解も成立したとして、翌2006年の4月から陪餐停止を解除し復職させる。そんな段取りを考えていたんじゃないのか?だから、アドベントに入って、何かと忙しい時期に謝罪の記者会見を開いたんじゃないのか?何か言い訳じみたことをしていたように記憶しているが、しかし、一目瞭然だぞ。
恐ろしい話だ。明日事務所へ行ったら、しばし、あの文書に対する話し合いがあるだろうな。ただ、みんなも気にしているんだが、最近はこのブログへのコメントがないことは、何を意味しているのだろう。箝口令が強まったのか、それとも「他教派の人間は黙っていろ」令が発布され、施行されたのか?さっき、「糾す会」からメールを受けた人から、そのメールが転送されてきたが、「父親の意向を確認しましたところ、是非広く全国の信徒にこの欺瞞性を訴えてくださいと言われました。特に一切そのような場面がなかったことを作りだして書いたものだ、ということを強調されていました。」と記されていたぞ。
日本聖公会の司祭や主教は「沈黙は金(かね)」と思ってるんじゃないのか?「雄弁は銀」という言葉が続いているが、金は精錬する必要がないが、銀は精錬してはじめて手にすることが出来るものだから、あの時代は銀の方が価値があったそうだな。銀より、換金しなくていい「金(かね)」の方が使い勝手がいいからな。しかし呆れたよ。聖公会のどこが「ブリッジ・チャーチ」なんだよ。なにが使徒継承だよ。嘘八百を並べて、自分たちを正当化しようというのが、どうして正統なんだよ。原田文雄司祭の書いたあの和解申入書にあることは、全くの捏造だ。そして、原田文雄司祭が被害者にしたと裁判所が認めたことは、あんなことじゃない。日本聖公会の司祭は、あの裁判記録を読みに行って来いよ。そして、自分の教区に帰って、みんなに知らせろよ。同じようなことが自分の教区で起きないために。
しかし、外からこれだけつつかれても変わらないようだと、日本聖公会は近いうちに自爆するな。十二歳以下の女児に性的虐待をしていた司祭を、依願退職で済ませてしまったんだからな。日本聖公会京都教区はいまさら「冤罪」説を復活させないよな。記者会見までしてしまったんだからな、出来るわけがないだろう。このまま「沈黙は金(かね)」でい続けるのか?