昨年の11月23日に開かれた日本聖公会京都教区の教区会で配布された常置委員会の文書には次のように記されている。
「11月14日(水)
原田元牧師の要請により懇談。(高地主教、三浦恒久司祭、井田泉司祭、宮嶋眞司祭出席)冒頭、原田氏より、彼の記憶している事件の経過を聞いたが、Aさんから告発された事実については否認を続けている。また、2001年当時の退職撤回時の経緯については、明確でない点も多く、今後も事実確認の積み重ねが必要であることを伝え、特に被害者の方々の尊厳の回復こそが最も大切なことだということを強調した。」
「冒頭、原田氏より、彼の記憶している事件の経過を聞いたが、Aさんから告発された事実については否認を続けている」とあるが、日本聖公会京都教区はあの「謝罪の記者会見」で、Aさんに対する加害行為は間違いなくあったと発言したのではないのか。あの時に記者などに配布され、キリスト教関連の新聞社に送付した文書を見る限り、文面からは加害行為を事実と認定しているようにしか思えない。にもかかわらず、引用した常置委員会特別報告に記されていることは、その事実認定の線から後退しているようにしか思えない。原田文雄司祭が認めようが認めまいが、日本聖公会京都教区の姿勢は原田文雄司祭の加害行為は事実であったという強い姿勢が、この文面からは読み取ることが難しい。「被害者の方々の尊厳の回復こそが最も大切なことだ」ということの具体的なことが見えてこない。
ここに名前が記されている4人の聖職者の内、裁判記録を閲覧した方はこの2007年11月14日の時点では一人もいない。裁判記録には、被害者が地裁に提出した訴状や高裁に提出した控訴理由書があるが、裁判記録を読まずにあの事件内容に関してどれだけの認識があるのだろう。そして、少なくとも、友人の閲覧記録メモからすると、同年12月5日までにも閲覧した記録は残ってない。つまり、この4人の聖職者は、被害者の正式な被害手記を読むことなく、原田文雄司祭と11月14日に話し合いをしているということである。これは、由々しき問題ではないだろうか。被害者の訴状や控訴理由書にも目を通さず、またそれに対する原田文雄司祭らの反論を読むことなく、問題を解決しようとしているのである。しかも、最高裁判所の上告棄却によって確定した高等裁判所の判決では、原田文雄司祭らの控訴理由書への反論はすべて退けられているのである。
そして、鞍馬天狗が自分のブログに書いているが、2007年11月2日に高地主教と数名の司祭がBさんと「付き添いの方」を同道して原田文雄司祭の居所を「予告なく」訪ねた理由は何だったのか。鞍馬天狗は刑事訴訟法を引用している。
刑事訴訟法
第250条(公訴時効期間)
時効は、左の期間を経過することによって完成する。
(1~3省略)
4.長期15年未満の懲役又は禁錮にあたる罪については5年
(5~7省略)
鞍馬天狗が言うように、Bさんに対する加害行為はこの5年という時効の完成の時がまだ来ていないのだろうか。それともまったく別の理由があるのだろうか。2005年12月の「謝罪の記者会見」で、Bさんに対する加害行為を認めていた日本聖公会京都教区は2007年11月2日に何故Bさんだけを連れて原田文雄司祭に会いに行ったのか。日本聖公会京都教区はこのことに関して沈黙している。Bさんから、一切口外しないで欲しいと依頼されているからなのか、それとも被害時期を公表することが憚れるからなのか。もし後者だとしたら、その理由は何なのか。日本聖公会京都教区がBさんの人権を主張するのであれば、Aさんの控訴理由書に対する反論(高裁乙第18号証)に記されているあの重大な人権侵害発言を日本聖公会京都教区は何故問題にしないのか。
そして、「特に被害者の方々の尊厳の回復こそが最も大切なことだ」と日本聖公会京都教区の主教や常置委員会が考えているのだとしたら、この被害者の人権が侵害されていることを誠実に問題にし、その解決を早急に目指すべきであろう。これは乙第18号証が裁判記録に残されている以上、避けて通ることの出来ない問題である。日本聖公会京都教区は、2005年12月に「謝罪の記者会見」を開いているのである。