いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

徒然なるままに

2006-09-12 | Weblog

「時間は悲しみをいやしてくれない。生涯、心の痛みが消え去ることはない」
「光のツインタワー」を見つめながら、あの911(September Eleventh)でご友人を亡くされた女性がそう言ったと、産経新聞のサイトにあった。

 日本で同じことが起こったらどうなるのか。
 日本では同じことは起こらないと考えている方々が如何に多いか、ジャーナリズムはそれを見抜いているのか。あの3000人の犠牲者の中に、日本人がいるということを知らない人が何割いるか。
 憲法改正に反対している人々に聞いてみたい。
 ノドンやテポドンよりももっともっと恐ろしい巨大な核兵器を持った国が、日本のすぐ隣にいる。彼らは、有人の人工衛星を打ち上げる能力を持っている。広島型の原爆とは比較にならない核兵器を持ち、核爆弾を装着できるミサイルを14本も搭載可能な原子力潜水艦を何隻も持っている。
 「新しいミサイル迎撃システムを作らないで欲しい。自分たちの国は、それを越えたミサイルを作らなければならないから、お金が掛かって仕方がない」と、国家主席がつい本音を洩らしてしまった国。
 「拉致は侵略に比べれば大したことはない」と豪語する「首領さま」のいる国は、またミサイルを発射できるように準備しているとか。
 国内では、未だに自衛隊が海外侵略が出来るかのように言って歩く人がいる。
 今の自衛隊の装備と弾薬の備蓄で、何が出来るというのかを考えることなく、「軍事費が世界第2位」という言葉を繰り返す。ヨーロッパ諸国の軍事費が少ないのは、国連も認めている集団的自衛権を行使しているからに他ならない。現行憲法が集団的自衛権を認めているかどうかを議論する愚かさの中で、60年間、文字表記さえ手を付けることのなかった憲法を根本から見直そうとする人々を「右翼」「戦争をしたがってる人々」「平和を願う人々を死に追いやる人々」と言って批判する人々が、拉致問題になると口を噤んだり、近隣の軍事大国のことをまるで忘れているかのように「平和・友好」という言葉を口に
する。
 戦争の悲惨さを語っていながら、他国の軍事力についてはまったく論じようとしない。 「一番戦争をしたくないのは、自衛隊だ」と石破先生はおっしゃっていたが、その意味を真剣に問い質そうとしていない人々が、自衛隊をミリタリー・マニアの集団であるかのように言っている。
 皇室典範を改正させ、日本の歴史を骨抜きにしたいのは一体誰なのか。
 彼らは何故そうしたことをしているのか。
 あるキリスト教関係団体の長は、中国から帰国してすぐに、「中国にも信教の自由はある」と語ったそうだ。中国へ行って来ると、みんなそう言うようになってしまうのだろうか。最近は、世界の宗教統計を取るとき、中国を仏教国とは考えなくなった。かつては、中国国民の大多数が仏教徒であるかのように考えられていたが、文化大革命以降、共産党政府の認めた仏教寺院しかその活動は許されていない。ダライ・ラマをはじめ、おおくのチベット仏教の僧侶たちは国外に脱出した。そして、あの仏教徒をセイロン島に追い出したインドに、とりあえず仮寓している。歴史とは本当に皮肉なものだ。
 「チベット・仏教」と入力して検索すると、チベットの亡命政府のサイトを読むことが出来る。各国語で表記されていて、もちろん日本語のサイトもある。

 September Eleventh
 アメリカ国民は、July Fourth と同じように忘れないだろう。
 日本人には、忘れられない日があるだろうか。
 経団連の会長が憲法改正を示唆する発言をしたと新聞に出ていた。「難しい議論は偉い人に任せておけば良い」という意識では、国が滅びる。皇室典範改正も教育基本法改正も憲法改正も、国民的な議論を広げなければ、結局は思想家と評論家の思いのままになってしまう。
 昭和20年代後半から30年代前半まで、「省線」に乗るとカーキ色の服を着た背の高い人たちがいた。そして、時々、あのカーキ色の服を着た人たちが夢の中に出てきて、魘されて目を覚ましたことが何回もあった。その時代を知らない世代の思想家や評論家は、好き勝手な議論をしている。「日本はアジア侵略をしたのだから、東京の住宅地に焼夷弾を落とされても仕方がなかった」とさえ言ってのけた大学助教授がいる。原発に反対していながら、原子力学会の会員になっている人物だ。サヨクとはそんなものだろう。
 こうしたサヨクが、「平和憲法を守る」などといっているが、それも単なるポーズでしかないだろう。他国が侵入してきたら、我先に国外へ逃げ出す御仁の一人かもしれない。
 あの「人間の盾」になりたかった人物は、イラクでの「活動」の報告会をいまだにしているらしい。北朝鮮の拉致を国際的犯罪として捉えられない人物で、インドネシア人のごく一部が主張している「対日批判」を、それがインドネシアの国家的理解であるかのように語っている。

 オウム真理教による地下鉄サリン事件、被害者の傷は永遠に消えない。
 あの日、元気で仕事に出掛けたご主人のことを、あのご婦人はいつまでも忘れることが出来ないだろう。サリンを吸ってしまった人々は、いまだにそのトラウマから抜け出せていないというのに、サリン事件そのものが、人々の思考の中で風化しようとしている。宗教に対する学問的研究を疎かにしてきたことが原因だろう。だから、小泉首相の靖国神社参拝に対して、国民全体を唸らせるような意見が出てこない。

 自民党の総裁選挙、国家としての日本の真義を語れる方が総裁になり、総理大臣になっていただきたいと思う。累進課税を極端なまでに緩和した後で、子孫に借金を残さないために消費税を10%まで引き上げるという、あまりにも民主主義国家として恐ろしい発想を棄てられる勇気を持っている方になっていただきたいと思う。
 巨大な、或いは悪辣な軍事国家に対して、はっきりと「否!」と叫ぶことの出来る方になっていただきたいと思う。そして、日本を巨大で悪辣な軍事国家に成長させたいと思わない方になっていただきたいと思う。
 郵政民営化の蔭で、すでに多くの問題点が出てきている。集配局の削減は、冬期間の郵便物の遅配に繋がることは火を見るより明らかなことだ。国家のための米の増産を目指して、汗水垂らして開墾した田圃が、雑草地どころか雑木林になりはじめている。あの高齢者の方々の苦しみを理解できる方になっていただきたいと思う。
 少子化の本当の理由を見抜いて、それをどうしたら解決できるかということを、根本から見抜ける方になっていただきたいと思う。極端な少子化政策を実施した中国は、国民総数を把握できていない。第二子・第三子の出生を届け出ていないからだ。選挙権は共産党員にしかないから、選挙の時には問題にならないらしい。累進課税・消費税ということだけでなく、格差是正ということを、真実の民主主義の視点から考えて下さる方になって欲しいと思う。
 弱者をしっかりと保護することこそが、自由主義・民主主義の根本にあるのだということを、実践して下さる方になって欲しいと思う。老人福祉の世界で重大な問題が起きているとテレビで問題にしていた。あらゆることを民営化したい気持ちは判るが、しかしその結果として介護を受けられなくなっている人々がいるという。いつかは自分たちも高齢者になるのだということを、若い世代にはっきりともの申すことの出来る方になって欲しいと思う。

9月11日はまだ終わっていない

2006-09-12 | Weblog
 9月11日はまだ終わっていない。と言っても、今、日本時間では9時16分だから、アメリカはまだ11日だということではない。あのテロ事件が再発する可能性はまったく変わっていないということを意味している。
 アメリカは、ウサマ・ビンラディンの居所さえつかめていない。ということは、日本の公安や警察も当然知るはずもないということだ。彼らはいくらでも日本に侵入してくることが出来る。アルカイダなどの過激派の中には、影武者のような、一般市民の中に隠れて暮らしている人物がいることは、当然予測できる。彼らは「善良な」市民として生活しているだろう。そして、白いワイシャツを着て、ネクタイを締め、スーツをまとい、中には仕事上の書類と簡単な旅行用品が入っているブリーフケースを手にしていれば、日本の入管や税関を通り抜けることは簡単なことだ。都心の雑踏を歩いても、誰もテロリストだとは思わないだろう。
 秋葉原の電気街でチップなどの電子部品を買うときに、身分証明書の提示を求められたことがない。北朝鮮のスパイは、立ち去れた日本人から日本語を習っているから、その人物が北朝鮮の人間であることを、見かけ上から判断することは極めて難しい。
 今日、電車の中で両隣に座った人物や、向かい側に座っていた人物が日本人であるという根拠をはっきりと見たひとはいるだろうか。日本の人口の約4分の1が首都圏に集まっているという。この中に紛れ込んだら、簡単には見付けることは出来ない。
 国家が国家として存続し、国民が国家によって保護されるためには、時として個人の権利が疎外されるようなことが起こっても仕方がない時代なのかもしれない。100円ライター1個分のプラスチック爆弾で、何人の人を殺すことが出来るか。
 戦後60年、明らかに日本人は平和ボケしている。
 自分は交通事故には遭わないし、交通事故を起こすこともないと思っている人がかなりいる。だから、自動車の任意保険加入率が驚くほど低くなっている。この安全保障感覚が国際感覚にも現れているのだろう。ノドンやテポドンは飛んでこないし、イスラム原理主義のテロ攻撃のターゲットにはならないと思い込んでいる。政治家と呼ばれる人の中にも、そうした鈍感な感覚しか持たない人もいるように見える。
 今日、あなたの周りを何人の外国人が通り過ぎたか、はっきりと判る人は一人もいないだろう。イスラム原理主義者のスパイはアラブ系の人種だけであるとは限らない。そんなことは諜報活動にあってはイロハのことだ。しかし、平和ボケした政治家も、本当の意味での安全保障を考えられないでいる。

どうなったんだ? 北朝鮮のミサイルは‥‥‥

2006-09-12 | Weblog
 一体どうなったんだろう、北朝鮮のミサイルは‥‥‥‥‥。
 最近、ネット上の新聞社のサイトから北朝鮮のミサイル関連の記事が消えている。また発射台にミサイルが運ばれたとか、移動中のミサイルは発射可能な状態で運ばれているとか記されていたのだが、その後どうなったのだろう。
 ノドンもテポドンも、確実に日本に到達するというのに、国民には何も知らされないのだろうか。

 ノドン
 全  長   16.5m
 直  径    1.35m
 発射重量 16.25t
 構 造 1段式液体燃料ロケット
 推 力 26,000kg
 誘導方式 慣性誘導
 弾頭重量 700~1,000kg
 射程距離 1,000~1,300km
 半数必中半径(CEP) 3,000~5,000m
 発射準備時間 1時間
 配備方法 地下サイロ/大型車輌

 とあるサイトにこう出ていた。
 小型の核弾頭を搭載するには問題ないし、山手線の中心部を照準した場合、確実に山手線のなかに半分は落ちろということになる。他の資料だと、日本までの到達時間は15分程度だろうという。
 仮に30分だとしても、その間に日本はどのような対応が出来るのだろう。
 戦後の平和教育は、日本人を戦争に関して無知にし、その恐怖に関して無感覚にしてきた。未だに、自衛隊を解体し、非武装化すれば外国は攻めてこないと思い込んでいる評論家や学者や政治家がいる。おそらく、小学校時代から、穏和で、優しく育てられたのだろう。少し前に、「攻めてこられたら降伏すればいい」とネットに書かれているのを読んだことがある。自分の子供や孫がいるところにはミサイルは飛んでこないと固く信じているのだろうか。
 中国は既に14本の対地ミサイルを搭載可能な原子力空母を竣工していると考えられるが、今までにも中国は要らなくなった航空機や艦船を北朝鮮に売ってきた。H-5爆撃機(轟炸5)なども大量に北朝鮮に売られているし、日本の本土上空を「隠密に」飛来している。超低空で飛ぶことの出来る、双発ジェットエンジンを搭載した小型爆撃機だ。Mig-29も飛来している。どちらもこの眼で確認したのだから間違いない。しかも、見間違えるような高々度ではなく、超低空飛行をしていた。
 それを話すと、ほとんどの日本人は「本当なの?」とか「自衛隊機じゃないの?」という。Mig-29は垂直尾翼が2枚、F15も垂直尾翼が2枚だが、日本の自衛隊機にはすべて日の丸が付いている。目撃したジェット機には、国籍を識別できるものはおろか、文字列も一切書かれていなかった。

 国民が不安に陥るといけないと思っているのか、国民にこうしたことを周知させようとは思っていないように思える日本政府。ある意味では、戦中の「大本営発表」の裏返しに思える。父親や母親が未成年者の子供の部屋に無断で入るのは教育的配慮だろうが、他国籍の軍用機が日本の領空を飛ぶことは、明らかに軍事行動だ。
 何らかの爆弾や対地ミサイルを搭載していないという保証はない。
 航空自衛隊がスクランブルをかけても、自衛隊機が対空ミサイルを発射したり、機関砲を撃つことはないと安心しきっている多国籍機は、悠々と低空飛行を続けていた。関東地方周辺の発電所や変電所に、小さな爆弾を一つずつ落とせば、数十分で都心の電圧降下が起きることは間違いない。電圧降下が起これば、異常が発生したことを感知して、送電停止が行われるだろう。無停電電源を確保していないコンピューターはすべて停止するし、ほとんどの信号機は消えてしまう。信号機の数と、大きな交差点での交通整理の訓練を受けたことのある警察官の数とどっちが多いのだろう。

 「国を愛する」という言葉に、異様に反応している政治家たちがいる。「愛国心」という言葉と、戦前の軍国主義を短絡的に結びつけているからだろうが、アメリカのスターズ・アンド・ストライプスや「国家への忠誠心」という言葉が、ベトナム侵略を再現しようとしているとは誰も考えない。もちろんアメリカ人もそうは考えないだろう。徹底的な平和主義者でさえ、国家に対する忠誠心を持っている。公明党や社民党は、こうした現実を知っているのだろうか。知っていて「国を愛する」という言葉を批判しているのだとしたら、実に滑稽なことだ。「イジメ」という言葉を子供に教えなければ、イジメが学校から消えると思うことと同じだ。
 先日、ある小さな島で、幼い命が消えた。イジメが原因だと判っている。にもかかわらず、校長は「イジメがあったことに気が付かなかった」と話したらしい。ネット上の新聞には少なくともそう書かれていた。「気が付かなかった」ことに対する責任はどうなるのか。

 他国がミサイルを発射台に載せたことに気が付かなければ、ミサイルは発射されないのか。日本が気が付くまで、発射ボタンを押さないでくれるのか。「自衛のための先制攻撃」は、国家が存続する限り、そして夢のような平和な世界が訪れない限り、自明の権利として国家に付与されていると考える。
 不法侵入機は、不法侵入者と違って、燃料が切れる前に帰還しなければならないから、短時間で出ていってくれるが、その間に攻撃してきたらどうなるのか。
 イスラム原理主義者にとっては、西洋文明に毒された日本も悪でしかない。
 いつテロの対象になるか判らない。

 それとも、毎晩寝る前に、「明日の朝は目が覚めないかもしれない」とはっきりと自覚した上で寝なければならないのだろうか。