「時間は悲しみをいやしてくれない。生涯、心の痛みが消え去ることはない」
「光のツインタワー」を見つめながら、あの911(September Eleventh)でご友人を亡くされた女性がそう言ったと、産経新聞のサイトにあった。
日本で同じことが起こったらどうなるのか。
日本では同じことは起こらないと考えている方々が如何に多いか、ジャーナリズムはそれを見抜いているのか。あの3000人の犠牲者の中に、日本人がいるということを知らない人が何割いるか。
憲法改正に反対している人々に聞いてみたい。
ノドンやテポドンよりももっともっと恐ろしい巨大な核兵器を持った国が、日本のすぐ隣にいる。彼らは、有人の人工衛星を打ち上げる能力を持っている。広島型の原爆とは比較にならない核兵器を持ち、核爆弾を装着できるミサイルを14本も搭載可能な原子力潜水艦を何隻も持っている。
「新しいミサイル迎撃システムを作らないで欲しい。自分たちの国は、それを越えたミサイルを作らなければならないから、お金が掛かって仕方がない」と、国家主席がつい本音を洩らしてしまった国。
「拉致は侵略に比べれば大したことはない」と豪語する「首領さま」のいる国は、またミサイルを発射できるように準備しているとか。
国内では、未だに自衛隊が海外侵略が出来るかのように言って歩く人がいる。
今の自衛隊の装備と弾薬の備蓄で、何が出来るというのかを考えることなく、「軍事費が世界第2位」という言葉を繰り返す。ヨーロッパ諸国の軍事費が少ないのは、国連も認めている集団的自衛権を行使しているからに他ならない。現行憲法が集団的自衛権を認めているかどうかを議論する愚かさの中で、60年間、文字表記さえ手を付けることのなかった憲法を根本から見直そうとする人々を「右翼」「戦争をしたがってる人々」「平和を願う人々を死に追いやる人々」と言って批判する人々が、拉致問題になると口を噤んだり、近隣の軍事大国のことをまるで忘れているかのように「平和・友好」という言葉を口に
する。
戦争の悲惨さを語っていながら、他国の軍事力についてはまったく論じようとしない。 「一番戦争をしたくないのは、自衛隊だ」と石破先生はおっしゃっていたが、その意味を真剣に問い質そうとしていない人々が、自衛隊をミリタリー・マニアの集団であるかのように言っている。
皇室典範を改正させ、日本の歴史を骨抜きにしたいのは一体誰なのか。
彼らは何故そうしたことをしているのか。
あるキリスト教関係団体の長は、中国から帰国してすぐに、「中国にも信教の自由はある」と語ったそうだ。中国へ行って来ると、みんなそう言うようになってしまうのだろうか。最近は、世界の宗教統計を取るとき、中国を仏教国とは考えなくなった。かつては、中国国民の大多数が仏教徒であるかのように考えられていたが、文化大革命以降、共産党政府の認めた仏教寺院しかその活動は許されていない。ダライ・ラマをはじめ、おおくのチベット仏教の僧侶たちは国外に脱出した。そして、あの仏教徒をセイロン島に追い出したインドに、とりあえず仮寓している。歴史とは本当に皮肉なものだ。
「チベット・仏教」と入力して検索すると、チベットの亡命政府のサイトを読むことが出来る。各国語で表記されていて、もちろん日本語のサイトもある。
September Eleventh
アメリカ国民は、July Fourth と同じように忘れないだろう。
日本人には、忘れられない日があるだろうか。
経団連の会長が憲法改正を示唆する発言をしたと新聞に出ていた。「難しい議論は偉い人に任せておけば良い」という意識では、国が滅びる。皇室典範改正も教育基本法改正も憲法改正も、国民的な議論を広げなければ、結局は思想家と評論家の思いのままになってしまう。
昭和20年代後半から30年代前半まで、「省線」に乗るとカーキ色の服を着た背の高い人たちがいた。そして、時々、あのカーキ色の服を着た人たちが夢の中に出てきて、魘されて目を覚ましたことが何回もあった。その時代を知らない世代の思想家や評論家は、好き勝手な議論をしている。「日本はアジア侵略をしたのだから、東京の住宅地に焼夷弾を落とされても仕方がなかった」とさえ言ってのけた大学助教授がいる。原発に反対していながら、原子力学会の会員になっている人物だ。サヨクとはそんなものだろう。
こうしたサヨクが、「平和憲法を守る」などといっているが、それも単なるポーズでしかないだろう。他国が侵入してきたら、我先に国外へ逃げ出す御仁の一人かもしれない。
あの「人間の盾」になりたかった人物は、イラクでの「活動」の報告会をいまだにしているらしい。北朝鮮の拉致を国際的犯罪として捉えられない人物で、インドネシア人のごく一部が主張している「対日批判」を、それがインドネシアの国家的理解であるかのように語っている。
オウム真理教による地下鉄サリン事件、被害者の傷は永遠に消えない。
あの日、元気で仕事に出掛けたご主人のことを、あのご婦人はいつまでも忘れることが出来ないだろう。サリンを吸ってしまった人々は、いまだにそのトラウマから抜け出せていないというのに、サリン事件そのものが、人々の思考の中で風化しようとしている。宗教に対する学問的研究を疎かにしてきたことが原因だろう。だから、小泉首相の靖国神社参拝に対して、国民全体を唸らせるような意見が出てこない。
自民党の総裁選挙、国家としての日本の真義を語れる方が総裁になり、総理大臣になっていただきたいと思う。累進課税を極端なまでに緩和した後で、子孫に借金を残さないために消費税を10%まで引き上げるという、あまりにも民主主義国家として恐ろしい発想を棄てられる勇気を持っている方になっていただきたいと思う。
巨大な、或いは悪辣な軍事国家に対して、はっきりと「否!」と叫ぶことの出来る方になっていただきたいと思う。そして、日本を巨大で悪辣な軍事国家に成長させたいと思わない方になっていただきたいと思う。
郵政民営化の蔭で、すでに多くの問題点が出てきている。集配局の削減は、冬期間の郵便物の遅配に繋がることは火を見るより明らかなことだ。国家のための米の増産を目指して、汗水垂らして開墾した田圃が、雑草地どころか雑木林になりはじめている。あの高齢者の方々の苦しみを理解できる方になっていただきたいと思う。
少子化の本当の理由を見抜いて、それをどうしたら解決できるかということを、根本から見抜ける方になっていただきたいと思う。極端な少子化政策を実施した中国は、国民総数を把握できていない。第二子・第三子の出生を届け出ていないからだ。選挙権は共産党員にしかないから、選挙の時には問題にならないらしい。累進課税・消費税ということだけでなく、格差是正ということを、真実の民主主義の視点から考えて下さる方になって欲しいと思う。
弱者をしっかりと保護することこそが、自由主義・民主主義の根本にあるのだということを、実践して下さる方になって欲しいと思う。老人福祉の世界で重大な問題が起きているとテレビで問題にしていた。あらゆることを民営化したい気持ちは判るが、しかしその結果として介護を受けられなくなっている人々がいるという。いつかは自分たちも高齢者になるのだということを、若い世代にはっきりともの申すことの出来る方になって欲しいと思う。