自由広場

穿った独楽は廻る
遠心力は 今日も誰かを惹きこむ

不自然な記憶と孤独の方程式

2006-01-29 14:41:11 | どーでもいいことつらつらと。
目を覚ますとそこは真っ白い部屋だった。

10畳はゆうにある、何もない広い部屋。壁も床も天井も、真っ白。頭も真っ白になってしまった私は、ただ呆然と立ち尽くした。

なぜ私はこんなところにいるのか。目が覚める前の記憶が全くない。ただ、私はサラリーマンであること、妻を持ち3歳の息子がいること、趣味は釣りであること。それらは当然のように覚えている。自分がなぜここにいるのかは分からない。今何時だろう。反射的に腕を見るが、お気に入りの腕時計はそこにはなかった。

正面、といっても私がたまたま向いていた方だが、そこに細い長方形の縁を確認した私は、そこに近づいてみた。そしてそこが切り抜かれていることがわかった。床から約1メートルくらいのところに、縦5センチ横30センチくらいの切り抜き。まるでポストのようだ。向こう側を覗いてみても、やはり白い空間しかない。こんな白一色の部屋でよくこの境界線を見つけられたと、ここにきて初めて私は私を実感することが出来た。

私はその穴の縁に手をあて、口を添えて大きく「おーい」と叫んでみた。声は響くこともなく虚しく目の前で収束していった。この壁は一体どんな材質でできているのだろう。

色々試したが、結局らちがあかなかった。私は部屋の中央でひざを抱えてそこに顔を埋めていた。白だけの世界が嫌になり、暗闇が欲しかったのだ。

目を閉じ、頭をめぐらす。しかし何も判らない。この白だけの世界で、私は気が狂いそうになった。



3時間くらい経っただろうか。どこからともなく足音が聞こえた。私は恐怖からか、体育座りの姿勢のまま動けなかった。足音は私の部屋の前で止まった。そして先ほどの長方形の穴から、鉛筆と2枚の紙が放り込まれた。

すると突然、ポスト穴よりさらに50センチほど上にデジタル数字が現れ、「3600、3599、3598、・・・・」と一秒刻みのカウントを始めた。
私はポストのそばまで寄って紙を見た。B5程度の大きめの紙。一枚は問題用紙、もう一枚は解答用紙だった。前者には小学校レベルから高校レベルまでの数学の問題が載せられていた。私はしばらく考え込んだ。

要するに、私にこの問題を、3600秒、つまり1時間以内に解いてみろというのか。カウントはすでに3500を切っていた。私は鉛筆を握り締め、テーブルも何もないので、四つんばいの姿勢で問題に取り組んだ。

序盤は何の戸惑いもなく解くことが出来た。しかし中学、高校となってくると熟考する問題が増えた。数学は得意な方だったが、社会に出て10年、こうも脳は衰えるものかと私は驚いた。
計算するスペースが狭く、消しゴムもない。しかもこんな姿勢で。そんな窮屈な試験を私は今までやったことがなかった。

白い床がチカチカ気になり、集中できない。段々わけが分からなくなり、問題の文字が私の目の前で踊りだす。そいつらは私の頭の中に侵入し、脳みそをかきむしりだした。

気がつけばカウントが10になっていた。私は放心状態だった。
0になると、突然ポスト穴から黒手袋が現れた。どうやら1時間部屋の前で待っていたようだ。初めて白以外の色を見た気がした。
私は鉛筆と紙を手渡した。すぐに手は引っ込み、沈黙が流れた。
約5分くらいだろうか。ポストの上にまたデジタル数字が現れた。「53/100」と書かれていた。どうやら試験の結果が出たらしい。足音は遠ざかっていった。



さらに3時間ほど経ち、足音が聞こえてきた。
ポストから、袋に包まれたパンと、ペットボトルの水が投げ込まれた。どちらにもラベルなどなく、毒でも入っていても不思議ではなかったが、腹の空いていた私は何の躊躇もなく開けて食した。

しばらくすると眠くなり、私は冷たくて固い床に寝転んだ。白色が眩しかったが腕で遮って眠った。


朝、かどうかは分からないが目が覚めた。それからまた3時間ほどぼーっとしていた。何を考えるでもなくポストの縁を目でなぞってみたり、時々妻や子供、そして仕事のことを考えてみたりした。

そしてどこからともなく足音。鉛筆と紙が放り込まれ、カウントが始まった。私は問題を解く気は全くなかった。これを解いて何になるものか疑問に思ったからだ。

私は部屋の前にいるであろう黒手袋にたずねた。

「ここは一体どこなんだ?私はなぜここにいるんだ?私はどうして問題を解かねばいけないんだ?」

奴は答えない。ただ与えられたことだけをやっていればいいとばかりに、重い空気がズンとのしかかる。

やがて試験時間は終了し、採点が始まる。0点だった。


食事を済ませ、本当の意味で床に就く。が、今日は眠れなかった。色々な気持ちが溢れては消え、そして新しい考えが泡のように浮かんできた。
私は普段の生活の頃を思った。朝7時に起き、子供と一緒に妻が作った朝食を食べ、二人に見送られ家を出て、月曜と木曜はゴミを出し、電車に揺られて会社へ向かう。会社ではいつも上司にいびられながらも何とかこなし、そこそこの業績を上げている。夜は金曜日は鈴木たちと飲むが、それ以外の日は家へ直行し家族サービスに明け暮れた。日曜は釣りへ行った。


そんな日々が千里の昔のように懐かしい。涙が出てきた。なぜこんなことになってしまったのか。なぜ私はここでテストを受けているのか。疑問は消えない。
算数・数学のテスト。小学校中学校高校と教わられてきた教科。何のためだかわからない、ただただ親や教師の言われるままにやってきた。大人になった今、それがためになっているかどうかも実は定かでない。
他にも定かではないことが山ほどある。何のために仕事をするのか。お金のため、食べていくため、家族を支えるため。それは正しい。
しかし私は今、この白い部屋で働いてもいないのに、ちゃんと食事を与えられて生きている。決して満足なそれとはいえないが、死ぬことはないだろう。前の暮らしにしろ今の暮らしにしろ生きている。同じ生きているなのにどこが違うと言うのか。


同じ日々の繰り返しが始まった。繰り返しの日々、と言う点ではもう慣れっこだった。誰だってそうだろう。

食事は毎日同じパンと水だったが、テストの結果だけは変わった。60点、54点、72点、75点。
私はどこか割り切ったように試験を真面目に受けた。少しずつ高校の数学の内容も思い出してきた。
100点を取った時、何かが変わる。そんな気がしてきた。


思えば、試験で満点を取ったことなどなかった。いつも平均点かそれよりやや上を行くくらいだった。試験だけではない。私は何かで満点を獲ったことはあるだろうか。


ある夜、といっても本当に夜かどうかは分からないが、私が眠っていた時間。

誰かのすすり泣く声が聞こえた。私は耳を壁に当ててみた。確かに誰かが泣いている。それは段々狂ったようになり、笑っている風にも聞こえた。私は大きく「大丈夫ですか!?」と叫んでみた。しかし何も変化はない。どうやら私の声は届かないらしい。
私と同じ境遇にあるものが、他にもいる・・・・!。これは私にとってある種の励みにもなった。仲間のいることが、こんなにも嬉しいことだとは夢にも思わなかった。

しかし彼の狂った声は聞いていてこちらまで気がおかしくなりそうだった。現状に耐えられなくなり、孤独の寂しさ、同じことの繰り返しに嫌気がさした、いっそ死んでしまいたい、そんな声。ひょっとしたら誰もが皆、心の中でこんな風に嘆いているのかもしれないと私は悲しくなった。


この日を境に、かどうかは定かでないが、私は試験で満点を取るため日夜記憶の引き出しを整理しては改築し、ほとんど全ての数学の内容を把握できるようになった。後はミスさえなければ、満点も夢ではなかった。


ここに来てから100日は経っただろうか。いや500日だろうか。たった10日かもしれない。

いつものように黒手袋に問題用紙と解答用紙を返却した。
採点を待つ。いつもより長い気がした。永遠に終わらないかとも思えた。
しかしちゃんとデジタル数字は表示された。100点。

何かが始まるかも分からない。何かが終わるとも限らない。しかしこの達成感は、今までに感じたことがなかった。自然と涙が溢れ、私は心の中で家族に「やったよ」と叫んだ。

デジタル数字が点滅し、「オメデトウ」の文字に変わった。
急にポストを囲う約2メートル四方のところに黒い縁が浮かび上がり、扉となって開けることができた。開くとそこは、一面光に包まれていた。もう白はこりごりだと、私は笑顔で光の中に飛び込んだ。



目を覚ますとそこは真っ白い病室だった。

ベッドに横になり、私は天井を細目で見た。

「あなた!?あなた!?」

妻の声がする。

「奇跡だ・・・!まさに奇跡だ・・・・!」

医者の声がする。


私は戻ってこれた。





私は事故に遭ったのだ。帰宅途中、バイクとぶつかった。その日は残業で、とても疲れていて周りに注意を払えなかった。外傷はほとんどなかったが、頭を強く打ったせいで二度と目を覚ますことはないといわれていた。


驚いたことに、向こうの世界では数十数百日と過ごした気がするのに、こちらでは1週間ほどしか経ってなかった。しかも目が覚めてから3日もすれば元の状態に回復し、大事をとったが2週間後には社会に復帰できた。医者は会う度に奇跡だ奇跡だと言う。

事故後初めて、会社に出向く日がやって来た。
7時に起き、3人で朝食を食べ、見送られて家を発つ。今日はゴミはない。電車はぎゅうぎゅう詰めで、どこか懐かしさを感じた。毎日続くと嫌なものだが。
駅に着き、大きなスクランブル交差点を渡っている途中だった。

私は変な気分に襲われた。
周りを見ると、皆、ただ目的地を目指して歩いている。周りに同じ人間がいることなど気付かない。そこには自分だけがいる。孤独がある。同じ繰り返しがある。何のために歩くのか。仕事のため、お金のため、自分のため、誰かのため。目的地に着けばノルマを与えられ、制限時間が設けられる。
私はあの部屋にいたときの感覚を覚えた。

果たして仲間などいるのだろうか。



私は交差点の端っこに黒く縁取られたポストを見つけた。そこから黒手袋が手を出し、解答用紙の提出を待っていた。