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よい子の読書感想文 

読書感想文924

『狩猟サバイバル』(服部文祥 みすず書房)

 古書店チェーンで見つけた。けっこうな値がついていた。「みすず書房なら仕方ないか」と納得しながらもAmazonで安いのを見つけて、その場で注文していた。
 何かでこの本の存在を知っていて、興味を惹かれていたことを思い出したのだ。
 帯には「狩猟登山はじめました」とある。「登山はじめました」なら、まあ珍しくもない。「狩猟はじめました」となるとレアなケースだが、探せばいる。だが「狩猟登山」なんて組み合わせは聞いたことも想像したこともなかった。
 表紙には、焚き火を前にして、鹿の骨付きモモ肉を持つ著者の写真。後方には首を落とされた鹿が木に吊るされている。読まないわけにいかないだろう。
 
 とはいえ、日常に蠢く普通の読者を突き放すような、手の届かない絶対的非日常体験が綴られるばかりではない。
 登山家として実績を積み、夏山で岩魚と山菜を獲りながらのサバイバル登山を既に経てきた著者でありながらも、狩猟を始めるためには山梨県小菅村の巻き狩りに弟子入りし、地道に腕を磨いていく。
 この中で、著者が直面する葛藤や戸惑いは、極めて人間くさい。登山家が持つストイックさ、哲学者っぽさよりも、迷いながら手探りで考えをまとめていく過程。それは猟犬や先輩猟師に教えられるのみならず、獲物が死をもって教えてくれるものでもある。
 2シーズン目の終わりごろ、初めて鹿を仕留めた著者は、自らナイフで鹿の頸動脈を切ってとどめを刺した。
 先輩猟師に状況を報告するとき、彼は正直にその心境をこう書く。
“私はなにか賞賛の言葉が欲しかったのだと思う。仕留めたことではなく、自分の手でとどめを刺したことを、褒めてもらいたかったのだ”
 先輩は含蓄ある言い方で「きれいごとだけじゃ、鉄砲はできねーな」と答えるのだが、暗にこれは、後輩が“きれいごと”の世界から、こちらに飛躍してきたことを認めた一言なのだろう。
 著者は続ける。
“ケモノを殺し、解体して、食べる。スーパーで売っている肉しか知らない人にとって、残酷で、可哀想で、こわいことだろう。だがそれこそがパックされたきれいごとの思想である。”
 そして狩猟には、
“生きることと食べることに関する直接的な事象が、目に見えて手に触れる形で存在する。それは都市文明が覆い隠したものでもあり、われわれ鉄砲撃ちが言葉にすると「きれいごとじゃない」なにかなのだ”という。
 と、気づきを得ながらも、いざ銃を向けるときは、大型哺乳類を殺すことの恐怖に惑い、“当たらなければいい”などと矛盾の心で引き金を引く。
 思えば、狩猟は矛盾を引き受けねばならない行為であろうと思う。命をいただき、食料とする行為によってしか、気づけないことがある。他方で、狩猟採集民ではない、職業猟師でない人間に、狩猟をする必然性はない。だから、著者は真摯に、奪った命を背負おうとする。“感傷に過ぎない”とは断りながら。
 最近、初めて銃で鹿を仕留めた私にもわかる。“感傷”かもしれないが、畏怖する気持ちが、誠実であれと自らを鼓舞する。スーパーの精肉コーナーで自らに誠実さを問う人はいないだろう。その意味で、狩猟は哲学的な開眼・認識上のブレイクスルーを与えてくれる気がする。
 
 さらに著者は、冬山に当然持参すべき装備と食料を持たず、鉄砲を背負って縦走する狩猟登山を試みていく。
“その装備を持ち歩かないと、そこに隠されていた不安が顔を出す。こだわりで作り出した不安だが、その不安は本来自然のなかにある不安だと思う。人間はその不安を人工的に取り除いてきた。私は、その人工的な部分を個人的に忌み嫌うことで、再確認しているのだ”
 こうした思索の振れ幅が面白い。こだわりで不安を作り出しておきながら、予定していたタープだけのビバークよりも、見つけた廃屋での宿泊を選ぶ。囲炉裏で暖まって、焼き肉丼に舌鼓を打つ。
 リアルな、整理のつかない気持ちが綴られる。そうした文面に、私は文学的な味わいも感じた。これも形を変えた自分探し、自己実現の物語なのだろう。
 著者は最後にこう告白している。
“表現欲はあるのに私の人生には語るべきことがなにもなかった”
 体験があって、それを書いたというより、書くために登山を、サバイバルを、さらには狩猟登山を始めたということだ。
 そして私小説みたいに、こう語っている。
“残酷なことを実行してみることで、タフで図太いと気取りたい気持ちがあるのかもしれない。銃器に対する憧れのようなものも捨てられない。何より、獲物を追う、仕留めるという行為がおもしろくて仕方がない。おもしろいという言葉がわるければ、興味深いと言い換えてもいい。追う、狙う、仕留める、解体する、精肉する、料理する、食べる。この行為を魅力的でないというなら、何を魅力的といえばいいのだろうか
 心当たりのあることだからか、頷かざるを得ない。
 この著者の本は初めてかと勘違いしていた。狩猟をしようと決めて、関連本を読み始めたころ、『息子と狩猟に』という小説を読んだ。文学好きで、物書きを目指していたというバックボーンにも共感する。



#服部文祥
#狩猟登山
#サバイバル登山
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