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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文312

2011-02-28 22:15:00 | 詩歌・戯曲
『表札など』(石垣りん 童話屋)


 立ち読みでぱらぱら頁をくることはあったが、きちんと読んだのは初めてだ。新聞で訃報を目にして、そこで取り上げられていた『表札』という詩が印象的で、以来、目にすると手にして、しかし持ち帰りはしなかった。
 女流詩人といえば、他に茨木のり子くらいしか読んでいないので、その作風と比べるしかないのだが、より強く生活感に根ざした、毒々しいほど生活臭を纏った詩だなと感じた。
 毒々しいというのは、嫌みな毒が効いているという意ではない。著者個人の思いというより、何十年、いな何百年もの間に堆積してきた“女”……搾取されてきた“女”が、口承される神話のように、詩から匂い立つのだ。
 そのとき世帯ズレしたかのような生活臭は、生々しいにおいを保ったまま昇華されていこうとする。読む私ら男性にとっては、ときに圧倒的な地鳴りのようにして。



読書感想文311

2011-02-23 12:44:00 | 純文学
『ブエノスアイレス午前零時』(藤沢周 河出文庫)

 私が文芸雑誌を買ったり定期購読したりしていた時期に芥川賞を受賞した作品だけに、題名も著者の名もよく覚えている。だがおかしなことに内容についての印象がない。読んだかどうか、記憶も曖昧である。
 当時、私は時代錯誤なほど保守的な視座から文学を捉えていた。私の所属していたグループ界隈が、そもそも『文學界』や『三田文学』あたりを指標とし、昔ながらの私小説を歓迎する雰囲気にあった。リニューアルした『文藝』を、それらが輩出しだした“J文学”を、本流が亜流を見下すふうに見下していた。そうした諸先輩方の筆鋒に、私はただ盲従していたに過ぎないのだが。
 という色眼鏡で見ていたから、これも“J”であろうと早合点して読まなかったのかもしれない。偏見に読む目を曇らされ、流し読んで記憶に残らなかったということもありえる。
 しかし読んでみると、意外に古くさい作りの小説で、それが身近さを感じさせ、私の偏見は消し飛んだ。文章もひっかかるような荒削りなところがあって、新人らしさが好印象だった(読んでいて快適ではなかったが)。この読みにくさも創られた“文体”なのだろうか。朗読してみれば、そのまずさに気づくはずなのだが。
 出戻りの主人公は、鬱々と何かを抱えているらしいことを感じさせる。作り物にしては、泥臭い切実感があって、不自然な展開をもその切実さの延長で飲みこんでしまいそうになった。著者の経歴が反映された作品なのかもしれない。
 老女の耄碌した言動に主人公の幻想がリンクしていき、ともにタンゴを踊るラストに、無理な飛躍を覚えはする。ただし、そう描かざるを得なかった生硬さみたいなものが、この作品を“文学”にしているのだと思った。
 



読書感想文310

2011-02-20 21:31:00 | ノンフィクション
『マイケル・ムーアへ 戦場から届いた107通の手紙』(マイケル・ムーア 黒原敏行 戸根由紀恵 遠藤靖子訳 ポプラ社)

 アカデミー賞で名を馳せた『華氏911』は私も観た。兵士を非難するのでなく、兵士の立場を理解する側に立ち、無責任な為政者を批判する。イラク戦争を引き起こした産業構造を暴き出して照射する先には、新たな帝国主義とでもいうべき断末魔の資本主義が見えてもくる。もの言えぬ兵士らは、よくぞ代弁してくれたと歓迎するはずである。
 本書は、マイケル・ムーアの諸作品を観た(あるいは読んだ)兵士やその家族、また退役軍人などから寄せられた手紙を集めたもの。中には敢えて階級姓名を公表する兵士もいる。軍務を拒否するという手紙もあった。
 私は『華氏911』を観ても、しかし米兵に親しみを持つまでには至らなかった。彼らはいつでも“正義の味方”で、アジア人を殺戮することに良心の呵責もない……そんなステロタイプなイメージが、私の中で米兵全般に適用されてしまっていたのだ。日本国内の基地周辺で、彼らが我が物顔に歩くのも、私に潜在的な反感を植え付けていたのかもしれない。彼らに敗れ、占領された屈辱は、直接それを経験しない私にも、隔世的に伝わっている。私はそこに目をそむけ忘却し続けた、日本人の恥知らずさと無責任さに、いつも意識的であろうとしてきたから、なおさらなのだ。
 だからこの本は、私には開眼の書といって過言ではない。初めて私は、アメリカの兵士らに親近感を覚えたのだ。合衆国憲法を命がけで守ることに誇りを持つ彼らが、任務を疑わざるを得ないという苦悩。人間がいる、と思った。米軍に精神科医の多いのはもっともだと知った。
 また、かの国で同時多発テロ以降、反戦を唱えることの怖さも本書で初めて知った。戦争に反対するというステッカーを車に貼って走っていたら、ぶつけられるなどの酷い嫌がらせを受けたという手紙があった。
“アメリカ”をひとくくりにして嫌っていたことを、心あるアメリカ人民に謝りたい。私がああやって偏見を抱いたようにして、一部の保守的アメリカ人は、イスラム教徒を迫害したのだから。
 ちょっとしたきっかけで、わかりあえるのかもしれない。ということを、気づかせてもくれた本書に、感謝の意を表したい。



読書感想文309

2011-02-16 15:58:00 | 自己啓発
『「原因」と「結果」の法則』(ジェームズ・アレン 坂本貢一訳 サンマーク出版)

上司の薦めで読んだ。この手の自己啓発本は良くも悪くも底が浅くて、もう手にすまいと思っていた。文学や哲学、あるいは心理学でも社会学でもいい、世の中には様々な切り口から問題を吟味する方法がある。奥深い芸術もある。占い師風情の言葉に一喜一憂する昨今の民法番組みたいに、安易な“自己啓発”本に惑わされたくはないのだ。
 しかしその上司の引用の仕方や話が上手くて、つい買ってみてしまった。
 本書は百年以上前から読まれている自己啓発本の元祖といった本であると同時に、はからずも表現しているのは“自己責任論”の元祖、ということである。要約すると、著者がいうのは、
『心の中で思っていたように実現されていく』
『したがって環境とは自分が作るものである』
 といったほどのことである。はて、どこかでひどく論破されていた論調に似てはいまいか。そう、これは『ドイツ・イデオロギー』においてマルクスに完膚無きまでやっつけられたマックス・シュティルナーやブルーノ、フォイエルバッハら古いイデオロギストたちの論調そのものなのである。
 私が“自己責任論”の元祖と評するのは以上のことが理由である。保守的な層は、そういう論調を度々援用してきたろう。またそういった論調が支配的になっていったのは、これらテキストの効用でもあったのではないか。
 いわく《搾取する人たちと搾取される人たちは、たがいに協力しあっている人たちなのです。そしてかれらは、どちらもつねに苦悩を手にし、その責任を相手側に向けていますが、実際に悪いのは自分たち自身にほかなりません。》
 いまでいう御用学者だったのではないかと疑ってしまうほどだ(同時、イギリスは最も革命的情勢にある国だっただけに)。
 中には、「そうだった」「なるほどな」と思わせる一節もあった。それらを抜き書きしておこう。

《人類は、心のコントロールを怠ることで自分の人生と幸せを破壊することを、いったい、いつになったらやめるのでしょう。バランスのとれた人格を手にしている人たち、その属性である真の穏やかさを所持している人たちの、なんと少ないことでしょう。(P86)》
 わかりきったような指摘だが、自分の感情をコントロールできていないから批評できない。穏やかさ……それをこんなスピリチュアルな分野に頼って手に入れたくはないが。

《理想を抱くことです。そのビジョンを見つづけることです。あなたの心を最高にワクワクさせるもの、あなたの心に美しく響くもの、あなたが心から愛することのできるものを、しっかりと胸に抱くことです。そのなかから、あらゆる喜びに満ちた状況、あらゆる天国のような環境が生まれてきます。(P72)》
 いわれてみれば、思い続けること念じ続けることを、私は忘れがちだったような気もする。夢はいつの間にか念頭の端に追いやられていたようなのである。
本書の傾向を手酷く批判した一方で、やはり汲むべき部分も同じ中にあったこと。これは認めねばならない。

《成功を手にできないでいる人たちは、自分の欲望をまったく犠牲にしていない人たちです。(P67)》
 耳に痛い箴言である。欲望を犠牲にせねば意中のものは得られぬ、というのは当たり前のようでいて、当たり前には実行できていないのだ。

《人間を目標に向かわせるパワーは、「自分はそれを達成できる」という信念から生まれます。(P57)》
 わかりきっていたはずのこと。だが、現状を見れば、信念に邪念が大量に紛れ込んだことに気づく。目標管理というのが、ここ数年、機能していなかったことにも思い至る。

《心の中に蒔かれた思いという種のすべてが、それ自身と同種のものを生み出します。それは遅かれ早かれ、行いとして花開き、やがては環境という実を結ぶことになります。(P24)》 これが題名にいう「原因と結果の法則」だと著者はいう。法則だなどと大それたものでもなかろうが、否定できない箴言である。このことを、真摯に考え、自己管理していきたいと思った。
 反感7割・同感3割。いつか機会があったら、反感を度外視して読んでみよう。私の自己啓発本に対するバイアスが、読む姿勢に影響し過ぎたのも否定できないのだから。



読書感想文308

2011-02-13 23:52:00 | 推理・探偵小説
『幽霊塔』(江戸川乱歩 春陽文庫)

 ポプラ社の少年向けシリーズでは『時計塔の秘密』という題で、小学生の私にとっては最高傑作といえる作品だった。その原作『幽霊塔』は二十歳くらいのときに愛読、また読みたくなったのでアマゾンで古本を見つけて入手したのである。
 もともとイギリスで著されたミステリーを明治時代に黒岩涙香が翻案、それを昭和(10年くらいか)の当世風に乱歩が書き直したものである。したがって純粋な意味では乱歩のオリジナルではない。のみならず今回アマゾンのレビューを見ていて、ゴーストライターによる作であるという説を初めて知った。そう知ってしまって読むせいか、文体が乱歩らしくない感じもする。“江戸川乱歩作”というのはブランドみたいなものだから、出版社の悪知恵で、そんな説が事実であったとしてもおかしくはない。
 と、残念なような話を勘定に入れても、やはり面白かった。ロマンスあり、ミステリーあり、冒険あり。ルパン三世『カリオストロの城』の原作になっただけはある。また新聞に連載した小説だけあって、章節ごとに読者に期待と好奇心を抱かせる工夫がされて、通して読んでも飽きることがなかった。
 たとえ乱歩の作でなくとも、やはり読むに堪える作品である。特に、病床で読みふけった昔を思い出しながら、風邪をひいて寝込んで読んだので、タイムスリップしたような郷愁が、私を甘い気持ちにいざない、この読書に花を添えたようなのである。