『異形の大国 中国 彼らに心を許してはならない』(櫻井よしこ 新潮社)
故あって中国のことを学習する機会に恵まれ、とりあえずこれを読んでみなさいと渡されたのが本書だった。もっと学術的なものを勧められると予想していただけに、ちょっとがっかりした。安易なものから興味を振起させようという上司の真心か、あるいは私の素養を低く見積もっての選択か、その本意は不明である。
とはいえ先入見で評価するのはよろしくあるまい。著者の名はよく目にするが、その発言が掲載されるメディアの作風から判断して、ある程度は主張が予測できてしまう。それで端から読むに値しないと判断していたわけだが、それは判断ではなくて“反射”でしかない。“反射”に“反射”で対応していては冷静な批評は生まれまい。と、今回は良い機会を得たと思って腰を据えて読んだ。
とはいっても、無意識に批判的な読み方をしてしまうせいか、突っ込みどころが多くて苛々した。『天皇が~しておられる』(P38)とかいう敬語表現の間違いは噴飯ものだし、海上自衛隊の装備するP3Cについて、丸腰の哨戒機だという主張(P71)にはげんなりしてしまった。
よくぞそれでいっぱしのジャーナリストを称し、政治家に対し高圧的に『~しなさい』などとのたまえるものだ。近頃、こういう芸人的な教養人気取りが、そのキャラだけで罷り通ろうとする風潮があって、迎合する世論というか世の中に、私は不信感をさえ抱いてしまう。
否、確信犯的に利用されているのかもしれない。曾野綾子にせよ元航空幕僚長にせよ、政治家・官僚のようなしがらみのない無責任な立場だ。キャラも立っている。私たちはその発言の真意と裏を読まねばならないのだろう。
さて中国の脅威を煽るのは良いとして、その論法は次第に飛躍して断言的になっていく。
「台湾を押さえれば、沿海州から日本列島、フィリピンにつながる第一列島線が支配され、日本のシーレーンは脅かされます。朝鮮半島は自動的に中国の掌中に落ち、日本は事実上中国に併合された形になります」という中国軍事研究者とやらのソース不明な言葉を受け、何らの検証もなく『日本は、台湾を見捨てて安全を選び、結果、中国の属国となるのか。』と危惧してみせる。
マンガやエンタメじゃないのだから、断言する前に複数の選択肢や可能性を並列し、検証し、それらのもたらす結果を推測し、反対意見を説得できるだけの理論武装を経るべきだろう。けれど本書においては、結論が先にあってそれに都合の良い意見をひとつだけ紹介して断言が重ねられていく。それはジャーナリズムではなく、洗脳に近い。著者が憎む中国共産党が用いる手法だ。この皮肉に、本人は気づいているのだろうか。
矛盾といえばだいたいが該当してしまう。靖国参拝に理解を示すアメリカ人学者の言葉を紹介した後、こう捨て台詞を吐いてみせる。
『ブッシュ政権の周辺や米国の論壇が靖国参拝反対の一色に染まっている事実など、全くない。その間違った情報は、日本でその類のことを言う人々の思い込みか期待値に過ぎない。』
自分の論調も“思い込みか期待値”に毒されていないかと、疑問を持たないのだろうか。所詮は、結論ありきの人たちに心地良くなってもらうための売文なのか。
水掛け論を招くしかないような、中国の論法と同じ地平に堕ちていること。冷静な読者なら気づくだろう。たとえば南京大虐殺に関する断言。
『虚構であることは北村稔氏の『「南京事件」の探求』などでも明らかだ。』
つまみ食いの結果をもって、それを普遍的な既成事実のように言い切る。もはやこれは宗教だ。そう信じたいということであろう。
中国の政治、経済、軍事、権力闘争などなど、参考になる部分はあった。眉唾ものとはいえ、本書の危機アジリは、いままでよりも問題意識を持って新聞に向かうきっかけにはなった。しかし、以上に指摘したところの“げんなり”感が、終始つきまとった読書だったのは否定できない。
あまり読むに値しないという私の先入見は、それほど間違ってはいなかったらしい。デビュー作の薬害エイズに取材したものは読んでみたいと思うが。
蛇足ながら、本書は岸田秀『日本がアメリカを赦す日』と同時並行的に読んだ。国際関係に精神分析を適用して日米関係を論じた一見無茶な
本だが、櫻井よしこの、あたかも宗教的にさえ見える断言や矛盾に満ちた論法を見ると、岸田秀のいう症例をみるようで、なかなか勉強になったのである。
故あって中国のことを学習する機会に恵まれ、とりあえずこれを読んでみなさいと渡されたのが本書だった。もっと学術的なものを勧められると予想していただけに、ちょっとがっかりした。安易なものから興味を振起させようという上司の真心か、あるいは私の素養を低く見積もっての選択か、その本意は不明である。
とはいえ先入見で評価するのはよろしくあるまい。著者の名はよく目にするが、その発言が掲載されるメディアの作風から判断して、ある程度は主張が予測できてしまう。それで端から読むに値しないと判断していたわけだが、それは判断ではなくて“反射”でしかない。“反射”に“反射”で対応していては冷静な批評は生まれまい。と、今回は良い機会を得たと思って腰を据えて読んだ。
とはいっても、無意識に批判的な読み方をしてしまうせいか、突っ込みどころが多くて苛々した。『天皇が~しておられる』(P38)とかいう敬語表現の間違いは噴飯ものだし、海上自衛隊の装備するP3Cについて、丸腰の哨戒機だという主張(P71)にはげんなりしてしまった。
よくぞそれでいっぱしのジャーナリストを称し、政治家に対し高圧的に『~しなさい』などとのたまえるものだ。近頃、こういう芸人的な教養人気取りが、そのキャラだけで罷り通ろうとする風潮があって、迎合する世論というか世の中に、私は不信感をさえ抱いてしまう。
否、確信犯的に利用されているのかもしれない。曾野綾子にせよ元航空幕僚長にせよ、政治家・官僚のようなしがらみのない無責任な立場だ。キャラも立っている。私たちはその発言の真意と裏を読まねばならないのだろう。
さて中国の脅威を煽るのは良いとして、その論法は次第に飛躍して断言的になっていく。
「台湾を押さえれば、沿海州から日本列島、フィリピンにつながる第一列島線が支配され、日本のシーレーンは脅かされます。朝鮮半島は自動的に中国の掌中に落ち、日本は事実上中国に併合された形になります」という中国軍事研究者とやらのソース不明な言葉を受け、何らの検証もなく『日本は、台湾を見捨てて安全を選び、結果、中国の属国となるのか。』と危惧してみせる。
マンガやエンタメじゃないのだから、断言する前に複数の選択肢や可能性を並列し、検証し、それらのもたらす結果を推測し、反対意見を説得できるだけの理論武装を経るべきだろう。けれど本書においては、結論が先にあってそれに都合の良い意見をひとつだけ紹介して断言が重ねられていく。それはジャーナリズムではなく、洗脳に近い。著者が憎む中国共産党が用いる手法だ。この皮肉に、本人は気づいているのだろうか。
矛盾といえばだいたいが該当してしまう。靖国参拝に理解を示すアメリカ人学者の言葉を紹介した後、こう捨て台詞を吐いてみせる。
『ブッシュ政権の周辺や米国の論壇が靖国参拝反対の一色に染まっている事実など、全くない。その間違った情報は、日本でその類のことを言う人々の思い込みか期待値に過ぎない。』
自分の論調も“思い込みか期待値”に毒されていないかと、疑問を持たないのだろうか。所詮は、結論ありきの人たちに心地良くなってもらうための売文なのか。
水掛け論を招くしかないような、中国の論法と同じ地平に堕ちていること。冷静な読者なら気づくだろう。たとえば南京大虐殺に関する断言。
『虚構であることは北村稔氏の『「南京事件」の探求』などでも明らかだ。』
つまみ食いの結果をもって、それを普遍的な既成事実のように言い切る。もはやこれは宗教だ。そう信じたいということであろう。
中国の政治、経済、軍事、権力闘争などなど、参考になる部分はあった。眉唾ものとはいえ、本書の危機アジリは、いままでよりも問題意識を持って新聞に向かうきっかけにはなった。しかし、以上に指摘したところの“げんなり”感が、終始つきまとった読書だったのは否定できない。
あまり読むに値しないという私の先入見は、それほど間違ってはいなかったらしい。デビュー作の薬害エイズに取材したものは読んでみたいと思うが。
蛇足ながら、本書は岸田秀『日本がアメリカを赦す日』と同時並行的に読んだ。国際関係に精神分析を適用して日米関係を論じた一見無茶な
本だが、櫻井よしこの、あたかも宗教的にさえ見える断言や矛盾に満ちた論法を見ると、岸田秀のいう症例をみるようで、なかなか勉強になったのである。
