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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文866

2023-11-02 14:55:48 | その他
『フルシチョフ秘密報告スターリン批判』(全訳解説 志水速雄 講談社学術文庫)

 世界各国の共産党に衝撃を与え、反スタ主義・トロツキー擁護の運動を活気づける契機となったスターリン批判。
 様々な文書で言及され、以前と以後において越えられないラインを引かれたかに見える文書。
 と知ってはいたが、実際に読むのは初めてである。
 昨年来のウクライナ侵略、その行く末を考えるとき、ソ連(ロシア)の指導者について、特にその思考の傾向を知ることが必要であろうと、スターリンの伝記に引き続いて手にした。
 ここまで赤裸々に、その非道が語られているとは、ソ連という国の閉鎖性からして意外に過ぎた。
 資本主義陣営には大いに有利な情報に思えたろう。
 しかしソ連(フルシチョフ)も間抜けではない。ソ連内の権力闘争を勝ち抜き、スターリンの暴虐で疲弊した国内を立て直すには、このような外科手術的報告が必要だったのだろう。
 読んでいると、フルシチョフをはじめとする新指導部が、とても民主的・人道的なグループに思えてくる。彼らがスターリンの手先として、その非道の一端を担っていたとは、とても思えない筆遣いである。
 と、これはフルシチョフらによる計算ずくの報告だったのだろう。
 余波として、ハンガリーやチェコで動乱が起き、日本でも共産党を離脱した若者らが共産主義者同盟を結成し、内ゲバが生起していくわけだが。
 フルシチョフだけでなく、ウクライナの書記長を歴任したカガノーヴィチについても知りたくなった。

読書感想文837

2022-10-29 17:20:14 | その他
『総員玉砕せよ!』(水木しげる 講談社文庫)

 これも東村山『ゆるや』で手に取ったもの。漫画である。
 水木しげるの(活字による)戦記ものは、『娘に語るお父さんの戦記』というのを読んだことがある。漫画で描いた戦記は、図書館か、まんが喫茶で若い頃に見て以来だ。これなら子供にも読めると思って買った。
 作中人物の独特な描き方に、まずは注目してしまう。どこかで見た顔が、たくさん登場するからだ。現代版の『ゲゲゲの鬼太郎』ではなく、オリジナルのやつは、なんとも形容し難い不気味なタッチで描かれていた。表情のみで、見る者に不安や恐怖を与える絵だ。
 凄惨な話だが、彼らの妖怪じみた表情が、ときに読む側を優しくいざなう。
 多くの仲間を失い、自らは片腕を奪われて帰還した水木しげるは、描くべきこと、言いたいことがたくさんあったろうと思う。見つけたら手にする、という態度でなく、探して、できれば全てを読んでみたい。
 人物の表情は、デフォルメされているが、背景の景色や、メカニカルな描写はとても上手く、後から鑑賞したくなるものだ。そういう実力の上にこそ、妖怪じみた表情が映えるのだろうと気づいた。

読書感想文809

2022-02-07 16:06:00 | その他
『あいまいな日本の私』(大江健三郎 岩波新書)

 表題作はノーベル文学賞の授賞記念講演である。先輩作家で日本人初のノーベル文学賞を授賞した川端康成の講演『美しい日本の私』をもじったものだ。
 大江健三郎の授賞当時、高校生だった私は、定型を辿るように“文学に目覚め”、そして幾分か右側に偏った少年だった。
 その条件から、私には大江健三郎という大作家が、素通りできぬ存在に感じられた。少年にとり、最大の権力者は学校であり教諭らだ。それらが概ね、左側の考え方に基づいて生徒を指導していた。世の中を知らない少年には権力=左翼であった。
 似たような発想に立脚しているように見受けられる大江健三郎が、国際的な権威ある賞を取った。私の思い込みには拍車がかかった。偉そうなことを言うやつらは皆、左だ、けしからんと思った。
 そういう嫌悪感は、それから数年続いた。一人暮らしを始めて新聞をとるようになると、ときどき大作家が登場し、外国の著名人と往復書簡みたいなことをやらかして掲載される。カタカナが多用され、翻訳みたいな文体で書かれるその書簡に、文学青年の私は憤りを新たにしたものだ。
 かつて左翼の権化として忌避した大作家が、アカデミックな、インターナショナルや強者として、また違った反感を与えたらしい。
 そんな経緯があって、本書は長く長く私にスルーされてきた。この間、若いときの偏見は解消し、小説や沖縄及び広島に関するエッセイも読んで、共感を得るに至っていたにもかかわらず。皮膚感覚で、あの授賞後の講演や書簡に対する嫌悪が尾を引いたものらしい。今回たまたま、東村山『ゆるや』の軒先で¥100で見つけなければ、この新書は手にすることもなかったかもしれない。(古書店での偶然の出会い、店の雰囲気が推してくる本というものの貴重さを再認識した)
 前置きが長引いたが、読んで良かった。出版から27年経って、大江健三郎を突き動かしていた反省のような態度、そこから導かれる展望は、多くが前進せず、打ち砕かれたかにみえる。そういった停滞を思い知らされる読書となり、愉快ではなかったが、汲むべきことの少なくないのは予想以上だった。
 また一種の文学評論だが「井伏鱒二さんを偲ぶ会」での講演『井伏さんの祈りとリアリズム』は秀逸だった。
“自分として感情を移入できる側面だけに限って書く時、小説にリアリティが生じる”
“私たちは小説家という一人の人間が見る見方でしか世界を書けない”
 ロシアやフランスでの文学を敷衍しながら縦横無尽に論評する中で、井伏鱒二文学の価値や輪郭を顕にしていく。大江健三郎という人は、評論の才にも恵まれた人だったのかと感心した。
 世界史的な時代の交差点に至ることで、思わぬ論考が営まれることもあったのかもしれない。私が権力と誤解していた左側の人たちにとって、90年代初頭は、青天の霹靂とでもいうべき転換期だったのである。
 


読書感想文793

2021-08-10 11:27:00 | その他
『新世紀エヴァンゲリオン』( 庵野秀明原作・監督 )

 映像作品の感想は、原則ここに載せないのだが「自分ひとりが読むのは勿体ない」と言ってくれる人があり、個人的にメールした感想をこちらに転載することとした。
 なお、私はリアルタイムでは『エヴァンゲリオン』に接しておらず、初めて観たのが昨年NHKで放映された劇場版(序・破・Q)だった。
 その不可解さに、物足りなさ半分、興味半分を覚え、従来からのファンである人に質問をするうち、アニメ版を見てみることを薦められ、こうして感想を書いた、という顛末だ。
 さまざまな評論が出ているのだろうが、それらは敢えて読んでいない。製作現場を取材したドキュメンタリーは、BSで再放送されたが、これも録画だけして、観る前に感想を書いた。とりあえず自分のまっさらな印象をまとめてみた。

世界観:
オウム真理教及び『エホバの証人』のそれに類似。テレビ放映が地下鉄サリン事件の年と一致しているのは偶然ではないと思量。1999年に向けて、時代が要請していた世界観だったのだろう。
なんらの救いもないが、あと数年早く世に出ていたら、オウム真理教に傾倒した若者の幾人かは、破滅志向を『ヱヴァンゲリヲン』というエンターテイメントの中で昇華し得ていたかもしれない。(アフター・オウムの世代には、良くも悪くもガス抜きになったのかも)

使徒:
繰り返される戦争を暗喩しているのかと推量。人類は戦争により科学を発展させてきたが、滅亡へも近づいていくというパラドクス。
ハッキングする使徒、心を乗っ取る使徒もおり、未来の戦争を示す先見性に驚いた。

下地:
機動戦士ガンダム+不思議の海のナディア
バックボーンには旧約聖書と新訳聖書があって、キリスト再誕のプログラムをオウム真理教やエホバ的に解釈。その意味でカルト的

物語構成:
伝統的なエディプスコンプレックスをベースとしながら、自己同一性の問題を執拗に提起。その意味で大人の観るアニメではないと感じた。(10代の多感な時期に観たら、影響を受けただろうなと思う)
シャアとララァとアムロのエピソードを翻案したようなもの。あえてガンダムと同じ土俵で勝負したのは自信の現れか、「こうすれば売れる」という打算か。

総評:
○同年代にファンが多いのに私は観る機会がなかった。それは私が自衛隊の高校にいたころ放映されたからなんだなと知った(テレビは学年に1台しかなく、私はわずかな余暇時間は読書に費やした)。
まさに私は碇シンジのような年齢で軍隊に入っていて、そのことにより「エヴァンゲリオン」に出会わなかった。
でも、それで良かったと思う。当時、16歳くらいで観ていたら全身全霊で受け入れてしまい、人生に影響を与えていただろう。(私は私で、碇シンジみたいな特異な青春をリアルに送っていたわけで、この作品を受け入れていたら容量オーバーで壊れていたかもしれない。あの学校は旧海軍の亡霊が生きていて、ネルフ並かそれ以上に特殊だった。)
○25話26話は不毛だった。作品として手抜きに思えたし、人類補完計画というのが独善的で、やはり世界観にオウム真理教やエホバとの共通点を見いだしてしまう。
○若者向けとはいえ、10代から20代後半くらいまでをカバーできるよう人物設定されていて、これはガンダムに匹敵。
いわゆる萌え要素もあり、そういう部分でのファンもいるんだろう。綾波レイはララァの再来のようで、男心をくすぐる設定をされているし、アスカのキャラも(つらい子供時代を過ごした人に)強く共感を与えるだろう。
○異常さや特異さに翻弄される中、葛城3佐はカメラアングルや座標軸みたいな役割を果たし、大切な存在だと感じた。小説なら語り手の立ち位置か。
○碇ゲンドウには男としても人間としても魅力が感じられない(何も描かれてないから仕方ないが)。また教祖的なカリスマ性もなく、それがいっそう人類補完計画とかを荒唐無稽に感じさせる。
○多くの人が死んでいるはずなのに、残酷な、悲惨な場面を描かないのは戦いを綺麗事にしてしまい、若い人に悪影響だと残念に思う。ダークなファンタジーとして暗い雰囲気をまとっているが、本当の暗さから逃げている。
○謎、不可解さ、こういったミッシングリンクが作品を構成する一要素になっている。不備のようでいて、観るものに考えさせることで、余韻を長く楽しめる造りにはなっている。
○解釈の余地が敢えて残されている。日常生活で咀嚼することで、個人は各個人ごとに何かの気づきを得る。そういう影響力を持っていること。その点が村上春樹の作品に似ていると感じた(荒唐無稽さ、伏線を張りっぱなしなところも含めて)。
悪く言えば、そういうアシストがないと自らのアイデンティティーを描けない人を惹き付けてしまうのかも。作品が、上手く、軽妙にアシストしてくれるから。(自戒を込めて)




読書感想文776

2021-04-28 20:18:00 | その他
『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴 集英社)

 これも『源氏物語』同様、子供に借りたものである。
 いっきに読むか、定期的・継続的に読めば良かったのだが、ジムでエアロバイクを漕ぐとき(ジムでは大抵トレッドミルで走っているので、これは例外的なトレーニング)に紐解いていたために、長期間かけて読了してしまった。(23巻とはいえ、この手の漫画は分量も薄く、いっき読みできなくはないのだが。)
 前半のエピソードなんかは記憶の彼方に飛んでしまった。それでも、場面場面だけ見ても面白いのは否定できず、人気沸騰にも頷かされた次第だ。
 死んでいく剣士のみならず、鬼にも悲愴な過去があり、走馬灯のように描かれる挿話に涙を誘われる。幅広い年代に受け入れられた所以を読んで理解した。例えるなら、『北斗の拳』のサウザーやラオウに涙した、われわれの世代にもウケる作り方なのである。
 しかし、そういうエピソードにスポットを当てる一方、人物描写は粗く、戦いの場面が大半を占め、ときどき訪れる平穏な時間はギャグ漫画みたいなちゃらけた雰囲気に彩られる。もっと丁寧に人物や修行の様子を描いてほしかったなと感じた。(YouTube等に慣れた若い読者には、丁寧な描写より即物的でスピーディーな展開が好かれるのだろうけれど。)
 戦闘場面も、とても漫画で描ききれる単純な動きではなく、アニメや映画を想定して作られたのかなと感じた。
『いま何やったの?』
『これ、どうなってんの?』
 と、絵だけでは消化不良が連続した。作者が求める枚数が認められず、コマ数が減らされた結果なのかもしれない。いずれにせよ、アニメや映画も機会があれば観てみたい。
 話はずれるが、古来、鬼とは異形の者、つまり異人=異民族=先住民等を比喩的に表した場合もあった。同じ人間を討伐=虐殺したとは言い辛く、鬼を退治したと言い換えた。という腹案を持って読むと、『鬼滅の刃』もまた、神話の様相を呈してくる。
 世相として、いま鬼は新型コロナウィルスなのであろう。共通の敵=鬼を持ったタイミングが、この作品の評価を、実際以上に高めたように思う。ちょうど、ファシズムと闘った欧米諸国で、カミュ『ペスト』が好評を得たように。