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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文236

2009-11-30 16:02:00 | 自己啓発
『不倫のリーガル・レッスン』(日野いつみ 新潮新書)

 不倫の法的対処とリスクを弁護士が解説した本である。
 不倫相手の配偶者に慰謝料を請求された或いは請求されそうだ、という類の相談を何人かから受けたことがある。私の身の回りにたまたま多いのでなく、意外に多数の人がそういう恋愛に陥っているのかもしれない。
 その辺りの法律に疎い私はネットで調べる傍ら本書をAmazonで見つけて注文した。六法全書は近頃本棚に飾ってあるだけになってしまった。
 週刊誌にでも連載されていそうな“コンビニ本”である。法律や判例を引用しながらの解説は、お堅いようでありながら、一方で不倫のリスクマネージメントをまるで不倫を助長するように書く。週刊誌読者を意識して興味を引くように意図してのことだろう。
 法律に関してはネットで調べればわかる程度だが、各種費用や裁判での感想などは参考になった。リスクを述べて『それでも不倫をしますか』と質しておきながら、不倫のリスク回避の方法まで入れ知恵する辺り、ちょっとどうかとは思ったが。
 もっと判例をたくさん紹介してデータ化されたものを解説して欲しいとも思った。そういう内容を新潮新書に要求してはいけないのかもしれないが。


読書感想文235

2009-11-29 08:25:00 | ノンフィクション
『日本人の戦争』(ドナルド・キーン 角地幸男訳 文芸春秋)

 書評か何かで大変興味を感じ、躊躇なく新刊本を買ってしまった。戦中の作家たちによる日記を読み解くことで、なにがしかを照射しようというスタンス。『きけわだつみのこえ』のように、私の座右の書になるやも、と思った。
 という期待感が失望を大きくさせたのかもしれない。本書は主として伊藤整、永井荷風、高見順、山田風太郎らの日記を取り上げている。小説を書くほどの人間だから、日記では辛辣な批判と客観的分析がされ、『きけわだつみのこえ』を超える真摯な考察が読めるのだろうと思っていた。
 本書にガッカリしたのではなく、彼ら作家の尻軽さと蒙昧さにガッカリした。言論統制と恐怖政治の時代に、文筆で口に糊するには軍国調の文章を書かざるを得なかった、のはわかる。そうして演じることで戦争を乗り切った作家はいただろう。しかし日記である。文学で嘘を書くぶん、日記で切実な心情を吐露しているだろうという私の期待は、彼らへの過大評価ではなく、ごく当たり前の楽観的な希望であった。
 伊藤整と山田風太郎などは特にひどい。日記中においても戦争を賛美し、神国日本の勝利を疑わず、日本人は最後の一兵が玉砕するまで闘うのだと吠えている。
 山田はまだ作家でなく医学生なのだが、同年代の文科学生が次々に駆り出される中、兵役免除の身分だけに腹立たしい。ドイツの降伏を見て、欧州の日本人は総て自決せよと日記に書くあたり、自らの安全から想像力を失った無知蒙昧さは特筆に値する。
 著者ドナルド・キーンの恣意的な編集も疑問を抱かざるを得ないが、その選択の基準を『わたしが面白いと感じた日記』としている。確かに作家ともあろう者がと、我々に憤怒を抱かしめる文章は、アメリカ人には『面白い』ものだったろう。
 と憤ってから気づくのは本書の照射したものである。著者に反軍的と称される荷風でさえ、その反感は憲兵に対する庶民的な反感であったりリプトン紅茶が飲めないといった類の老大家による高踏派的な反感に過ぎず、せいぜい冷笑するくらいだ。
 総力戦とはマス・メディアという機構を狂わすのみならず、その書き手をも惑わせ誤らせる。また戦後の破廉恥な忘却と米国賛美は、作家だけの問題ではない。文筆をものする輩でさえ、である。
 著者の意図はどうあれ、取り上げられた作家に失望こそすれ、考えさせられはした。


読書感想文234

2009-11-22 14:36:00 | 純文学
『蛇を踏む』(川上弘美 文春文庫)

 先日の、“適当な棚から一冊必ず買う”という方法で選んだひとつである。
 名前はよく目にするが読むのは初めてである。もしかしたら文芸雑誌で何か短編を読んだかもしれないが記憶にはない。手始めにちょうどよく芥川賞受賞作を見つけたので読むことにした。
 なんというか、こうした前衛的というか、あたりまえじゃない小説の奇抜さには多少飽きてはいる。それでも更に表題作は突飛で、奥で抱えられているものの重量感が散り散りになりそうな文体のなかでドライブする。
 善し悪しはわからないが、フリージャズを聴いているような気分。すごい技術と緊張感と感受性と……なんて感心する傍ら、そこまで崩して変化球投げまくらなきゃいけない必然性って? と首を傾げてしまう。普通に登場して受け入れられるほどには、出版業界も寛容じゃないということか。
 失われた10年などと言われた時代を反映したのか、求められたのかわからないが、その不確かさと流動感と絶望的なリフレインをお伽噺風に書くあたり、新鮮というより新たなジャンルのように感じた。
 また読みたいとは思えないのだけれど。


読書感想文233

2009-11-22 11:59:00 | ノンフィクション
『陸軍歩兵よもやま物語』(光人社NF文庫 斉藤邦雄)

 中学生のとき、光人社の『よもやま物語』シリーズを熱心に読んだ。受験勉強のストレスからの逃避であったろうし、戦記ものは学校と塾と家の往復にうんざりし始めた少年の私に、気分転換以上の非日常を与えた。実体験の乏しい私には、兵士の苦しみを追体験する想像力など持ち合わせていない。ただ未知への好奇心と冒険心と幼いパトリオチズムを満たす爽快さを求めていた。
 そういう読書傾向はエスカレートして、私の進路に重大な影響を与えた。反省から、私は安易な戦記(戦争を売り物にするような)を避けてきた。
 書店をぶらぶらしていて、文庫本化された『よもやま物語』シリーズを見つけた。文庫本になっているとは知らなかった。不思議なもので、単行本だと購買意欲を持てない本でも、こうなると手軽に買ってみたくなる。いまならもっと客観的に読めるだろう。私は中でもいちばん地味な内容と思われた『陸軍歩兵』を選んだ。
 シリーズはだいたいのものを中学時代に読んだと思っていたが、頁をくっていくうち、これは初めてかもしれないと思った。やはり少年の私が好んで読んだのは航空隊や海軍の艦隊勤務に関するもの、つまりは外から見て華々しいものばかりだったように思う。ドラマや映画になるのも飛行機乗りや艦隊勤務のが多いし、志願する軍国少年もそうだったらしい。
 歩兵は数の上で圧倒的多数でありながら、絵にならない職務内容、地味で汚くて疲労に満ちた職分である。もしかしたら読んだのに記憶すら残らなかったのかもしれない。
 このシリーズを思い出すに、イラストの視覚的補完で、面白おかしく描いているイメージがある。今回はそういう意味で少し警戒して、高をくくって読み始めた。
 けれど違った。辛いのは辛いとハッキリ切実に描き、軍隊への批判も歯に衣着せず的確で、愚痴めいたものではない。著者は司令部情報室勤務に抜擢されるくらいのインテリだから、こうした客観的著述もできたのだろう。
 文章からは、さんざん苦しめられた八路軍に対する怨みも漂ってこない。冷静に日本軍と比較してその優れた部分を述べたりと公平な視点に好意を持った。
 私の祖父も中国戦線にいたことがある。祖父のことを想いながら読むと、感慨深いものがあった。
 ちなみに現在の日本では歩兵を“普通科”と呼ぶ。装備以外はあまり変わっていないようである。風土的な部分において。


読書感想文232

2009-11-14 12:22:00 | 純文学
『蜘蛛の糸・杜子春』(芥川龍之介 新潮文庫)

 幼いころから馴染みの作品である。教科書や教育テレビで度々取り上げられるし、中学か高校のときは、この新潮文庫版で読んだ記憶もある。
 今回は例の出張持参本として買った。もう十年以上読んでないなあと、手にしたのである。以下、簡単に所感を。
 
『蜘蛛の糸』。
 今回注目したのは“御釈迦様”の描写である。少年向けとは思えない美しくも平安な倦怠感。地獄との対比を鮮やかにするだけでなく、著者自らのスタンスを暗喩しているように感じたのは、深読みだろうか。菊池寛に〈人生を銀のピンセットで弄んでいる〉という芥川龍之介評から、ふと思ったことである。

『犬と笛』。
 子供向けの勧善懲悪物語、と割りきるには惜しい。芥川龍之介は先輩作家・鈴木三重吉の要請でこれらを書いたわけだが、古典から取材し、芥川龍之介という才能をフィルターにすると、いま読んでも面白い作品に仕上がる。健やかな作風は、芯にあったであろう竹を割ったような理想の具現化とも読めるのである。

『蜜柑』。
 どこか川端康成を思い出す作風。川端がこの作品からヒントを得たのかもしれない。また、漱石の『草枕』ラストにも通じる鮮やかで動画的な場面描写だ。

『杜子春』。
 本短編集中、『蜘蛛の糸』に次いで知名度の高い作品。中国古典ではラストに親を見殺しにするそうだが、そこを芥川龍之介は感動的に改変し、杜子春にこう言わせる。
「何になっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」
 若い読者への希望を感じると同時に、ここにはやはり作者自らの理想あるいは反省がこめられているのかもしれない。読者たる少年らを思い浮かべて筆を取る過程には、いろいろな気づきがあったのではないか。という憶測もしてしまう。後期作品とのギャップから、私は芥川龍之介自身の心情のほうに興味が傾くのだ。

 『魔術』・『アグニの神』。
 いまでいえばファンタジー小説か。あからさまな教訓を垂れるのでなく、面白さと緊張感のうちに、行間は読者の思考を促す。そして読後感は、読む者へ極めて自由裁量的な示唆を残す。芥川龍之介という才能ゆえに為せる業だろう。

『トロッコ』。
 志賀直哉初期の短編みたいに、無駄のない語りと描写は、もはや少年向けの小説とは思えない。一人で不安を背に駆け戻り、帰宅して号泣するわけだが、その記憶を理由もなく思い出す二十六歳が最後に描かれる。この場面を以前は見落としていた。
〈全然何の理由もないのに?〉と芥川龍之介は再び自問させる。記憶の回路がつながるのに、理由がないわけではなかろう。ただ理由は見逃されたり誤魔化されがちなだけだ。
 他者の記憶同士も、ときに出会うことがある。そんな不思議を演出してくれるのも、文学の醍醐味だろうなと、この短編は思わせてくれた。

『仙人』・『白』。
 正直者は馬鹿を見ない、そういう健やかなお話。短いながらも波乱万丈を描いて、安心して読めるようなラストを際立たせる。なにより文体が簡潔・清潔で、デスマス調もだるくならないのは、さすがという他ない。

『猿蟹合戦』。
 昔話で猿が退治された後の後日談を当世風に描く。皮肉たっぷりで面白い。後日談という方法も良いなと思ったが、なんだか息抜きに書いたような軽さの中に、芥川龍之介独特のペシミズムが見え隠れしている気がした。