

『現代における人間の運命』(ベルヂャーエフ 野口啓祐訳 現代教養文庫)
ウクライナ侵略の衝撃から、ロシアについて考えることが多くなった。あまりに無知であったことを反省しつつ、ロシアメシアニズムについて興味を持った。
現代においては信じがたいほど犠牲を厭わない戦い方。西側への激しい不信。居直りかと思いきや、案外、本気で自分たちが正義だと信じているふうな言論。
首をかしげているときに、ロシアのメシアニズムという精神風土を知るにつけ、符合していくことどもの多さに驚かされた。
中でも帝政ロシア末期から活躍した思想家ベルヂャーエフは、ロシアの選民思想をキリスト教に基づいて語り、その帝国主義すら“良い帝国主義”として肯定したという。プーチンなどは、ベルヂャーエフ思想を少なくとも参考にしているだろう。
ということで古書で探して手にした最初の1冊が本書だった。(ことごとく絶版になっていて、一部は高値で手が出なかった)
しかし、本書は1930年代の作。ロシアを逐われたベルヂャーエフは、反ソ連・反ナチスの舌鋒鋭く、もはやロシアメシアニズムの片鱗も窺えない。共産党独裁下のロシアに正当性は与えられぬということだろうか。もっぱら、本書はキリスト教に基づいて全体主義を批判するのみである。
期待外れだった。訳者の上智大学教授先生はベルヂャーエフを“すぐれた預言者”として大絶賛しているが、キリスト者はその信仰篤きゆえに、自らの色眼鏡に気づかぬのだろうか。
ベルヂャーエフは冒頭『歴史に下された審判』でこう書いている。
【人間に対する歴史の態度は残酷であり、強圧的である。それはなぜだろうか。なぜならば、歴史にはそれ自身の意味があるからである。そして、その意味は、キリスト教によらなければ、理解し得ないのである】
狭小な独善性に思える。
万事がこの調子なので、退屈な読書にならざるを得なかった。
ただ、内容上、この本が30年代に書かれたことには、驚く場合も少なくなかった。
【われわれが世界連合のような理想に近づくには、さらに一層悲惨な犠牲者を必要とするであろう】
【経済、技術、共産主義、民族主義、人種理論、国家主義、これらのものは、すべて飢えた狼のように血を求め、憎悪をたぎらせながら、現代の世界に暴威をふるっているのである。】
その上で、現代の東アジア情勢を予見したかのようにこう書いている。
【こうして、ヨーロッパの全人口をはるかにしのぐ巨大な民族のかたまりが、世界史上におどり出た。しかも、ヨーロッパ文明のもっとも下劣な部分だけを身につけておどり出たのである。】
当時、ベルヂャーエフが指して言ったのは、大日本帝国と、植民地から脱しようともがく中国やインドのことであった。
いままた中国が、西欧の人口をはるかに凌駕する規模で現状を変更しようとし、またインドも力を蓄えている。
と、見るべきところは無くはなかった。けれど、ロシアメシアニズムの文脈は失われている。革命前のものを入手するしかあるまい。