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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文926

2025-03-27 13:02:44 | 社会科学
『キャリア論と労働関連法24講』(中川直毅編著 三恵社)

 題名で損をしてる本だなと思った。読みやすくて、実利的で、面白い。なのに、この堅苦しい題名。自ら手にすることはなかっただろう。
 共著者の一人と仕事上の知り合いで、本書は先方からいただいた。
 キャリアとはなんなのか。何も考えていなかった。労働者として身を守る労働関連法についても、まったく当事者意識を持てずにいた。そのことを見直す契機となった。
 また、失業中の友人がいて、彼が取り得るベターな選択は何なのかと、本書が具体的な選択肢を教えてくれた。
 ハラスメントといった今時のコンプライアンスの課題だけでなく、労働組合法までカバーしていて、純粋に面白かった。様々な判例が紹介され、法律がいかに解釈・運用されるのかもイメージしやすかった。



読書感想文905

2024-10-19 09:07:45 | 社会科学

『現代における人間の運命』(ベルヂャーエフ 野口啓祐訳 現代教養文庫)

 ウクライナ侵略の衝撃から、ロシアについて考えることが多くなった。あまりに無知であったことを反省しつつ、ロシアメシアニズムについて興味を持った。
 現代においては信じがたいほど犠牲を厭わない戦い方。西側への激しい不信。居直りかと思いきや、案外、本気で自分たちが正義だと信じているふうな言論。
 首をかしげているときに、ロシアのメシアニズムという精神風土を知るにつけ、符合していくことどもの多さに驚かされた。
 中でも帝政ロシア末期から活躍した思想家ベルヂャーエフは、ロシアの選民思想をキリスト教に基づいて語り、その帝国主義すら“良い帝国主義”として肯定したという。プーチンなどは、ベルヂャーエフ思想を少なくとも参考にしているだろう。
 ということで古書で探して手にした最初の1冊が本書だった。(ことごとく絶版になっていて、一部は高値で手が出なかった)
 しかし、本書は1930年代の作。ロシアを逐われたベルヂャーエフは、反ソ連・反ナチスの舌鋒鋭く、もはやロシアメシアニズムの片鱗も窺えない。共産党独裁下のロシアに正当性は与えられぬということだろうか。もっぱら、本書はキリスト教に基づいて全体主義を批判するのみである。
 期待外れだった。訳者の上智大学教授先生はベルヂャーエフを“すぐれた預言者”として大絶賛しているが、キリスト者はその信仰篤きゆえに、自らの色眼鏡に気づかぬのだろうか。
 ベルヂャーエフは冒頭『歴史に下された審判』でこう書いている。

【人間に対する歴史の態度は残酷であり、強圧的である。それはなぜだろうか。なぜならば、歴史にはそれ自身の意味があるからである。そして、その意味は、キリスト教によらなければ、理解し得ないのである】

 狭小な独善性に思える。
 万事がこの調子なので、退屈な読書にならざるを得なかった。
 ただ、内容上、この本が30年代に書かれたことには、驚く場合も少なくなかった。

【われわれが世界連合のような理想に近づくには、さらに一層悲惨な犠牲者を必要とするであろう】
【経済、技術、共産主義、民族主義、人種理論、国家主義、これらのものは、すべて飢えた狼のように血を求め、憎悪をたぎらせながら、現代の世界に暴威をふるっているのである。】
 その上で、現代の東アジア情勢を予見したかのようにこう書いている。
【こうして、ヨーロッパの全人口をはるかにしのぐ巨大な民族のかたまりが、世界史上におどり出た。しかも、ヨーロッパ文明のもっとも下劣な部分だけを身につけておどり出たのである。】

 当時、ベルヂャーエフが指して言ったのは、大日本帝国と、植民地から脱しようともがく中国やインドのことであった。
 いままた中国が、西欧の人口をはるかに凌駕する規模で現状を変更しようとし、またインドも力を蓄えている。
 と、見るべきところは無くはなかった。けれど、ロシアメシアニズムの文脈は失われている。革命前のものを入手するしかあるまい。


読書感想文873

2024-02-03 18:19:35 | 社会科学
『戦略・戦術で解き明かす 真実の「日本戦史」』(家村和幸 宝島社)

 “真実の”という枕詞。そして、目を引く週刊誌的な読み物を得意とする出版社。これは期待はできないなと一歩引いて読み始めた。現役自衛官(執筆当時)によるものでなければ、手にしなかったろうと思う。
 とはいえ、「はじめに」で述べられる以下の一節には大きく頷かされ、無駄な読書にはなるまいと思えた。

『戦略・戦術的思考は自然科学や軍事的知識の注入だけでは向上しない。戦史を基盤とする「鍛練」こそが、最も重要な手段である』

 なお、現代の戦術的合理性の視点から冷徹に戦史を論じる部分は勉強になった。たとえばノモンハン事件におけるソ連軍司令官(ジューコフ大将)の兵站作戦。すでに準備への注力で日本軍は必敗の態勢にあったといえる。
 それは対中国戦においても同様で、著者は『盧溝橋事件以降、日本軍は確たる戦争目的も、一貫した作戦構想もないままに戦争に突入し、中国共産党の指導者である毛沢東の画策する「長期持久戦による日本軍撃滅計画」という企図を全く見抜けなかった』と述べている。
 ソ連や中国が熟慮して対日戦略を練っているのに対して、あまりに日本軍は場当たり的であったと再認識させられた。
 そして、それは過去の話ではない。著者は繰り返し、日本が中国人を、中国軍を侮っていたと顧みているが、つい10年程前まで、人民解放軍を(昔ながらに)人海戦術の低レベルな軍隊と決めつけて見ていた者は少なくない。
 歴史的なライバル意識が19世紀以降の中国人没落と日本の近代化成功によって、日本の中国蔑視を根付かせた。“アメリカには敗けたが中国には敗けてない” という意識が長らく保守的日本人の腐ったプライドであったように思う。結果として、隣国の強大さに気づくのが遅くなってしまったのだ。
 さて、読み物的に、「へぇ~」な話題が散りばめられ、定説を無理やり覆してみせる編集は鼻についたが、案外悪くない内容もあった。
 最初に著者はリデル・ハートの言葉を引いていた。

『「戦争をよく研究することが平和を維持するゆえんである。その戦争の研究は戦史から学べ」リデル・ハート』

 平和のために、私たちはやはり学び続け、後進に伝えていかねばならないと思う。

読書感想文861

2023-09-03 17:19:01 | 社会科学
『アゼルバイジャン』(廣瀬陽子 ユーラシア文庫)

 ナゴルノ・カラバフ紛争について調べる所要量があり、取り寄せた。
 この人の書いたものなら、間違いないと思う。なにしろアゼルバイジャンに住んだことのある、数少ない日本人であり、いまや引っ張りだこのロシア関連評論家である。
 ただ、惜しむらくは、本書の発刊が2016年(アゼルバイジャンが勝利を収めた大規模な紛争は2020年)ということだ。
 焦眉の紛争については何ら触れることはできていないが、しかしそれゆえに、戦前の情勢を知るには意義ある読書となった。
 アゼルバイジャンが(激しい貧富の差こそあれ)、資源によって潤い、アルメニアとは別格のGDPを誇り、軍備を充実させていたのは2020年の紛争後に知ることになったが、本書を読んでおれば、ある程度想定はできていたことなのかもしれない。
 あそこまで、完膚なき圧倒を見せたのは意外で、だからこそ新たな戦いかたとして注目されたわけだが。
 それにしても、知らなかったことの多さに恥じ入らざるを得ない。ソ連崩壊の直前に生起した『黒い1月事件』。チェコやハンガリーでやったのと同じ非道を、ソ連は最後まで繰り返していた。しかも、穏健派のように見られていたゴルバチョフの政権が・・・
 中央アジアとヨーロッパでは、人命の重さが、異なる扱いを受けている。という、嫌な気づきもあった。

読書感想文856

2023-08-16 17:58:15 | 社会科学
『日本インテリジェンス史』(小谷賢 中公新書)

 副題『旧日本軍から公安、内調、NSCまで』。現在のインテリジェンス機関を概観し、これからの展望を得るため、旧軍からの系譜を皮切りに、インテリジェンス史を振り返る内容である。
 新書にしては、とても評価が高いようなので、現在の問題点・その要因を知るために手にした。
 まえがきで、著者はキークエスチョンとして以下二点を挙げている。
【①なぜ日本では戦後、インテリジェンス・コミュニティが拡大せず、他国並みに発展しなかったのか】
【②果たして戦前の極端な縦割りの情報運用がそのまま受け継がれたのか、もしくはそれが改善されたのか】
 特に、後者に問題意識を持って、私は頁を繰っていった。

 とはいえ、解答は概ね予期していた。
 吉田政権下、日本版CIAの構想が立てられたが、“「情報機関=戦前の監視社会、言論統制」という構図ができあがってしまい”政治的に困難化する。
 急に平和がもたらされ、自助努力なくそれが保たれていく歪な戦後日本の安保環境が、この構図を、忌避感を維持させてしまったのだろう。
 同様の理由で、秘密保護法等の整備も遅れ、日本はソ連のスパイや北朝鮮工作員の跋扈する場所になってしまう。
 それだけ平和を享受できていたのだと、喜ぶべきなのかもしれないが、著者のキークエスチョンに対しては、やはり禍根を残していると回答せざるを得まい。
 “回らない、上がらない、漏れる”という痛烈な批判は、苦言や笑い話では済まない。拉致事件は各組織の情報共有が行われていれば、ある程度防げたものと指摘されている。
 仕事を増やしたくない、利益(利権)を提供したくない、というお役所の感覚が、冷戦が終わって、情報が表立って重視される中、顕になった観がある。
 その弊害は、組織文化として染み着き、受け継がれてしまっている。さらに、業務の多忙化により、改善には向かい得てないように思える。
 著者は、終章において、②の回答には一定の評価を与えている。第二次安倍政権の成果を称えるような文脈に、そのまま頷く気にはなれないが・・・(新しい上部組織がてきることによる、下部組織の不毛な苦労や、相変わらずの現場の縦割り風土を思えば)