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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文357

2012-01-29 15:03:00 | 純文学
『夏の闇』(開高健 新潮文庫)

《なじみのものがきている。そこにきている。何度襲われても慣れることのできないものが顔をもたげかかっている。》
 本作では始終ここにいう“なじみのもの”が語り手に粘り着いてくる。
 それは飽食と惰眠がもたらすのか、あるいは飽食と惰眠は伴われた副産物なのか。
 登場する人物は極端に少なく、直接語り手と接するのは再会した女ひとりだ。それ以外は過去を咀嚼し、省み、ベッドに張り付く自分をまるで個体カメラのようにして濃密な文体が綿々と続く。他人が出てこない。しかし視座を純化していけば、陥らざるを得ない状況のようにも感じる。
 たとえば孤児だった女の生い立ちを“邪推”する語り手は、こういう思考回路に自らをはめていく。
《そう思うことが汚穢よりは切実、屈辱よりは悲壮と感じられたが、これは私が冬の運河わきの町工場のすみで寒さと憎しみにみちてふるえていた少年をいたわりたいがためからでているようであった。何万回めともしれないのだが、またしても私はあくまでも自身を介して他者に接近しようとしたのである。》
 こういった根源的に突き詰める視座を保とうとするならば、崩壊は免れないのかもしれない。しかし、その窮迫感があってこそ生まれた文学なのだと思う。
 最後に、女との生活を捨ててベトナムに再び発つのを決める場面は、その必然性が捉えがたいだけに、落差が激しいだけに、不可解さと裏腹な説得力に満ちている。
《明日の朝、十時だ。》
 いよいよ次の『花終わる闇』に再び手を伸ばす。





読書感想文356

2012-01-24 12:44:00 | 純文学
『自動起床装置』(辺見庸 文春文庫)

 流行りの歌のようには廃れないはずの文学だが、芥川賞作といえども最近のもの以外はブックオフの¥100棚で見つけることができる。CDなら「こんなの流行ったねえ、懐かしい」と思いながらも、陳腐に見えて¥100でも欲しくないが、文学となると気持ちは複雑だ。
 そもそも“消費”されるものではないはず。けれど出版社にとっては“商品”に違いなく、まして古本屋なんかでは回転速度を重視して旬の商品なのかマニア受けする値下がりしない商品なのかを見定める。結果、旬でもなくマニア受けでもなく、こうして¥100になったおかげで私もこれを手にするわけだから皮肉だ。
『自動起床装置』は睡眠という不思議な領域を題材に描かれる。といってファンタジックな話ではない。実はシビアな話である。
 いろいろな機械が人間の生活に導入されることの可否、疑問、不可思議、不条理を、いっけん軽いタッチで描く。そして“自動起床装置”の採用により消沈していく中、ある事件の顛末とともに話は終わる。
 退屈だけど面白い。悪くない。数年前のものかと思ったら驚いたことにバブルの後半に書かれた作品。あの頃の流行りの曲が時代がかってダサくて仕方ないように見えるのに対して、さすがである。純文学である。
 併録の『迷い旅』はクメール・ルージュが暗躍するカンボジアでの取材旅行から材を得た作品。『輝ける闇』の直後にこれを手にした偶然に驚いている。開高健が作家として世に出てからベトナムに赴いたのに対して、辺見庸は逆に長らく共同通信社に勤めた人。どおりで文体は安定していて新人らしくない。
 とはいえ『迷い旅』はどこか高みの見物を抜け出ない軽さがあって、また例の三部作も念頭になくもない作風で(私の先入観かもしれないが)、視座に重さがなかった。浮き草のような身軽さで。
 それはたぶん視る側が原風景たる“戦争”を経験していないからでもあろう。
 他にも海外での記者生活から材を得た作品があるらしい。ぜひ読みたいと思う。
 それにしても、その傍らで『自動起床装置』のような作品が紡がれたということに不思議な驚きを禁じ得ない。



読書感想文355

2012-01-21 19:30:00 | 純文学
『輝ける闇』(開高健 新潮文庫)

 久しぶりに“闇”の三部作を読もうと思い、家の本棚から引っ張り出してきた。
 以前私はイギリスにおける漱石のような……という読後感を持ったけれど、それは読みかじっての知ったかぶりだったかもしれない。
 記者としてベトナムに赴き、その体験に基づく作品なわけだが、前に読んだときはその設定に惑わされていた。ルポ的に読んでしまっていた。“視るだけ”という局外者の立場でいながら、作品として、その拠って立つところは戦争文学といってよいだろう。
 幾度か、ベトナムの情景に喚起され、敗戦前後の記憶が咀嚼される。
 即物的に、視る、食う、飲む、姦淫する。
 何かを必死に塗り替える。でなければ“つくられた”自己を、今度は“つくる”のだと。 
 語り手を捉える放縦と、反動みたいに訪れる決心。当時の時代の“におい”を知らない私がその躁鬱的な脈動から何を汲むべきか、いまいちわからないというのが正直な感想でもある。
“つくられた”ものの延長線上に、自分も、自分の文学も載っていることに耐え得ず、戦争の“におい”から苛烈な追体験をする。という読み方も、いまいちあたっていない気がする……。次作を手にしよう。 






読書感想文354

2012-01-11 19:46:00 | 純文学
『松本清張傑作短篇コレクション 上』(宮部みゆき責任編集 文春文庫)

 これも過去の芥川賞を読んでみようという意図の下、アマゾンで見つけて入手した本。
 どこへ行ってもずらっと並んでいて、キヨスクでも売っている松本清張。いまだにドラマがテレビでやってる流行作家。それだけで長らく私の手が伸びない作家だったが、実は芥川賞作家なのである。意外な盲点だった。
 本書は宮部みゆきがチョイスした短篇集であり、純文学、時代小説風のもの、社会派推理小説がバランスよく編まれていて、初めて読む私にはちょうど良さそうだった。
 芥川賞作は『或る「小倉日記伝」』といい、鴎外の「小倉日記」を研究する市井の人を描き、その地味で堅実な執筆のされ方には驚いた。
 淡々と、丁寧に描かれるが展開に面白みはなく、それこそ鴎外の作品のような読後感。なぜこういう作品で世に出た人が、週刊誌に連載する作家になっていったのか不思議だが、どうやら受賞後に発表した短編の評判が芳しくなかったらしい。元来純文学をやろうとした人のようだが、しかし評判が良くなかったからといって推理小説に転じて稀代の売れっ子作家になるのだから器用な人である。
 何らかの事件に取材し、丹念に下調べして描かれる、いわゆる社会派推理小説。その丹念さに敬服しつつ、ふむふむと読ませる巧みな文体なのだが、なぜだか熱中して読み込めなかった。つまみ食いしても途中で積ん読しても気にならないのだ。
 それだけ印象に残らない作品なのかもしれないが、通勤電車で頭を使わずに、それなりに面白くて知的欲求を軽く満たしてくれそうな小説、であろう。日本のサラリーマンには必要とされ歓迎され続けたのもわからなくはない。



読書感想文353

2012-01-03 20:11:00 | ノンフィクション
『あの人にあの歌を 三陸大津波物語』(森哲志 朝日新聞出版)

 陸前高田市で店もレコードも流された『ジャズタイム ジョニー』がプレハブ店舗で営業を再開した。私は休暇を利用して二年ぶりに『ジョニー』を訪れた。
 初めてこの店を知ったのは三年前の秋。仕事で大きな挫折を経て、立ち直れそうもないときに、出張で陸前高田行きを命じられた。そんなに忙しい仕事でもなかったので、余暇時間に高田松原を散策し、夜は静かな街を歩きまわった。知らない街を歩きたくなるのは私の習性みたいなもの。また、ジャズに関してそんなに詳しいわけでもないのに、ジャズ喫茶やジャズカフェバーで飲むのが好きだった。青森、秋田、盛岡、一関、仙台、いろいろな店で飲んだ。
 夜になると人通りも途絶えるような街に、そういう店があるわけないかなと思いながらも、ぶらぶら彷徨しているうち偶然見つけた『ジョニー』。常連さんばかりが陣取るカウンター席に、何も知らずに座った私を、隣にいたご老人が温かく迎えてくれた。
「あれ? どっかで会ったよねえ?」と。もちろん初対面なのだが。
 私の母と同年輩のママがひとりで切り盛りしているのだが、カウンターにいる面々が客なんだか店員なんだかわからないくらい店に溶け込んでいた。どう表現して良いかわからないが、居心地が良かった。こういう店を探していたんだと思った。出張が終わるまで通った。凝りがほぐれるように、鬱屈したものがジャズとアルコールと歓談のうちに解けていった気がする。

 翌年も行った。プライベートで、自ら運転して。出張最後の日にレコードをプレゼントされ、「次回、買いにきます」と約束していたのだ。『ジョニー』はかつてレコードをプロデュースしていて、その在庫がまだ少しあるということだった。
 一枚売っていただいた私に、ママはこれもあげるこれもあげる、みんな持っていったら? と言った。店の賃貸契約の更新が近く、立ち退きの可能性もあって、いつまで『ジョニー』があるかわからないからと。
 一枚ずつ大切に聴きたいからと辞退した。来る度に一枚ずつ買わせていただきますと答えると、常連客のひとりが、
「それなら何回も来れるから良いね!」と言ってくれた。
 しかし立ち退きではなく、津波で『ジョニー』は失われてしまった。

 プレハブのお店でママは「やっぱりあの時、みんな持っていってくれたら良かったわね」と言った。とはいえ、あんなに素敵なお店が無くなるなんて、想像の埒外だった。
 営業再開のお祝いにお客さんから贈られたというピアノの上に、『あの人にあの歌を』が何冊か積まれていた。ページを繰ると『ジョニー』のママを取材した章もあった。釘付けになって、活字を追った。
 初めてカウンターに座った私の緊張を解きほぐしてくれた、あのおじいちゃんのことも書かれていた。亡くなっていたのだ。立ち退きを迫られていた『ジョニー』を救った“恩人”というのは、三年前にも聞いた覚えがある。3月10日の夜遅く来店し、「心配するな、オレがお前を守り抜くから」というのがママに対する最後の言葉だったという。
 元来、人間は泣くことで忘れる。しかし泣いて思い出す在り方があってもいいのかなと思った。奇しくも復旧作業等で私が派遣されたのも陸前高田だったが、己の力不足を痛感するだけだった。海から少し離れてるから、もしかしたらと思って近くを通りかかったときに見た『ジョニー』界隈の瓦礫の山……。組織で動いているから避難所にいるママや常連の方に会いに行くことさえ出来なかった。

 個人的な体験ばかりが先走って感想文どころではなくなった。取材した著者はエッセイストで小説も書く人らしい。確かに聞き取りしてそれを組み立てる技術がすごい。でも中にはその技術が「上手すぎるな」と感じるような部分もなくはなかった。
 読み流してはいけない。受け止めねばならない。どっしりした読後感は、新年を迎えての身を引き締める気持ちに喝を加えてくれた気がする。
 ママはプレハブ店舗を訪れた私に、あの日のような何気なさでレコードをくれた。各地から送られてきたレコードには『ジョニー』レーベルのものもあって、たまたま「これはもう一枚あるから」と。
 幻のレコードをいただいてしまった。与えられてばかりの私は、果たしてどんな歌を捧げればいいのだろう。