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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文922

2025-03-08 08:43:25 | 自己啓発

『幸福論』(ラッセル 安藤卓雄訳 岩波文庫)

 岩波文庫別冊『一日一文』に取り上げられており、読書欲をそそられた。
 哲学的なものと思いきや、案外現代的な自己啓発本であり、良くも悪くもスラスラ読めた。
 伝統的な道徳(宗教)が強いる内向性こそが幸福を妨げるという。外交的に、多くのことへ興味関心を向けることで、人生は楽しいものになると。他方で、ただ享楽的に生きよというのでなく、若き日々には成長のための努力・学習が必要であることも説く。

“何か真剣な建設的な目的を持っている青少年は、その途上で必要だとわかれば、進んで多量の退屈に耐えるだろう。しかし、ある少年が娯楽と浪費の生活を送っている場合は、建設的な目的が彼の精神の中で芽生えるのは容易ではない。なぜなら、そういう場合は、考えがつねに次の快楽に向いていて、遠いかなたにある達成に向かわないからだ。”

 若い頃の自分に読ませたい。二十歳ころの私は、大いなる目的を持ちながら、しかし快楽に溺れ、多量の退屈を忌避し、様々な可能性の芽をつぶしていた。
 それにしても、自己啓発本というのは、マルクスが『ドイツイデオロギー』で批判した種々のイデオロギーに共通している。それは、“解釈を変えよ”というもので、世の中を変革しようという方向性は一切持たない。その意味で、あくまでも保守的なのだ。
 本書は古い道徳観を批判的に見る風だが、『愛情』という一節では、親に愛されなかった人間の末路を悲観的に書いている。本人にはどうしようもない部分においてこのように話を展開されてはたまらない。
 また、著者は人間誰しも賢くなれるものと前提しているらしい。
“賢明な人は、メイドが拭き取らなかったほこり、料理人が料理しなかったポテト、煙突掃除人がはらわなかった煤などは、見て見ぬふりをする。”
 くだらぬことで感情的になるのは無益だというのだ。そんなことは理屈としてはわかる。しかし賢明な人間じゃないから、なんとかしたくてこういう本を読んでいるのである。

 大半、同感できる内容だったが、やはり保守的で頷けないところもあった。
 ニーチェの哲学を噛み砕いて穏便にしたような幸福論に思えた。






読書感想文920

2025-02-19 20:09:11 | 自己啓発
『転職は「元力士」に学びなさい』(斎藤ますみ ATパブリケーション)

 “~しなさい”系の自己啓発本は、ほとんど読む価値なしと思っている。大抵が、時流に乗った軽薄な内容で、新聞も読まないような読者を対象に、コンビニで並ぶような本である。
 敢えて、本書を手にしたのは、著者を知っているからだ。知っているといっても、顔見知り程度。講師をしているというので、その人となりや講師としてのレベルを知りたくて著書を手にしてみたという次第だ(Amazonで¥100になっていたので気楽に買えた)。
 本人も、若くして転職を経験し、大胆にも、いきなりフリーランスの講師となって、様々な人脈や人との縁によって仕事を開拓していっている。
 そういう経験を経た上で、「元力士」のキャリアチェンジを取材し、有用な転職例として網羅、書籍化したのが本書だ。
 私自身、相撲が好きだし、転職を幾つか繰り返しているためか、まあまあ面白く読めた。
 とはいえ、力士の成功譚は、なんとなく聞いたふうな話で、粗筋に終始し、その苦労や人となりが見えない。もしかすると、密着取材でなく、メールや噂話で得たものが大半なのではないかと感じた。
 感情移入できないし、当事者の栄枯盛衰も見えないから、なんとなくスラスラ読んでしまう。
 もっと一人一人に真摯に向き合い、詳しいエピソードを束ねた本にしてほしかったなと感じた。

読書感想文851

2023-05-12 17:12:52 | 自己啓発
『50歳で100km走る!』(鏑木毅 扶桑社)

 師匠の新著なら、すぐに読もうと思うのだが、ちょっと曰く付きの出版社から出ているため、手が伸びず、図書館で見つけてようやく手にした。
 何を目的とした本なのか、いまいちコンセプトが掴めなかった。題名の由来は、次のような導入による。(以下は私の要約)『フルは誰でも走れるし、フルの完走にさほどの価値はない。しかし100kmなら完走するだけでも凄いこと。だから100km走ろう、50歳からでもできる!』
 きっと、フルマラソンだけでなくウルトラもやってみようかなと思っている、初級・中級ランナーを対象にしているのだろう。
 面白くは読めたが、練習内容が師匠の提唱するメソッドにも及び、初級者がやれる内容からは解離しているのは否めないと感じた。
 また、文章の“てにをは”において不備が散見され、ろくに校正していないことが見て取れた。雑誌ではよくあることだが、締め切りのない単行本でこれはいったいどういうことだろう。最近はこうした校正不足(そもそもプロの校正員を通してないのだろう)の本が増えてきている気がする。
 手っ取り早く、その道の第一人者に書かせて儲けようということだろうか。書き手の評価まで下げかねない低品質な編集力は、弟子の端くれとして大変残念である。

読書感想文838

2022-11-23 13:46:26 | 自己啓発
『職場のトリセツ』(黒川伊保子 時事通信社)

 『~のトリセツ』といった本が、書店で平積みされていたような記憶はある。興味が持てず、手に取ったこともなかったのだが。
 今回、この本を手にしたのは偶然だった。「内外情勢調査会」に代理で出席したとき、著者が講師で来ており、本書が配布された。講話は面白く、得るもののある内容だった(AI研究の過程で気づいた男女の違い、人間のタイプの違い、それらが補い合うことで得られる相乗効果など)。そのため、予定外の読書も、ちょっと期待して開始できた。
 面白かった。男女、夫婦、上司と部下、世代間、様々なところで生起するスレ違いやモヤモヤ感について、脳の種類、とっさに使う神経回路の違い等を例証しながら平易に解説する。
 女性特有の、論点の見えない、結論の見通せない長話についても、“ことの経緯派”という分類をもって、その隠された効用や、スレ違いを避ける方法が語られており、参考になった。
 著者が指摘するように、上司・部下の関係においても、夫婦で生起するのと同じスレ違いが起きている。これは私も実感していたことなのて、成る程と膝を打った。こちらが経緯を見た上で、その結果たる結論を見てほしいのに対し、上司の多くは結論ばかりを重視し、導くための経緯をよく見てくれないため、「わからない」となりがちだったのだ。
 こちらは丁寧に資料を作っていても、女性の長話みたいに思われ、時間のない上司をイラつかせていたわけだ。
 と、頷きながら平易に読めて、悪くなかったが、腑に落ちないのは、ほとんどの言及にエビデンスが添えられていないことだ。AI研究の副産物のように語られるが、その発見の経緯や資料源は示されず、著者の主観ではないかと見えてしまう。
 また、著者自ら、世代としての、管理職としての偏見を致命的に纏っていて、“トリセツ”を語っておきながらと反感を覚えた部分もあった。
 たとえば『うまくうなづけない人』という一節で発達障がい者を取り上げた部分で著者はこう書く。
“愛想が悪く、気が利かないくせに、いっちょまえに会社や上司の配慮が足りないと言いだす。”
 名の知れた論者にしては軽率な物言いであろう。発達障がいの部下がいて、相当な実害を被ったりした経験があるのだろうか。
 とはいえ“くせに”とは。時事通信社ともあろう版元が、これをそのまま印刷させたことにも失望させられる。
 残念ながら、他の“トリセツ”も手に取ってみようとは思えなかった。
 

読書感想分805

2022-01-05 15:03:00 | 自己啓発
『発達障害という才能』(岩波明 SB新書)

 自己啓発本というのは、読む者を勇気づけ、その気にさせ、モチベーションを上げるべく書かれていることが多く、その意味で洗脳的なセミナーに似た文脈を伴なってくる傾向がある。本書も、社会生活を上手く送れない発達障害当事者に勇気を与えるため、偉人らを紹介して、障害にあらず才能なりと慰めるような体であろうかと疑いつつ読んだ。
 その雰囲気を否定はできなかったが、狙いは他にもあったようだということを、読み終えて気づいた。
 巻末、著者との対談で漫画家のヤマザキマリ氏はいう。

日本というのは、倫理観が宗教に紐づいていないわけですね。何に紐づいているかというと世間体です。世間の、流動的な、アメーバのようにどんどんどんどん変化するモノの流れや考え方、空気を読む。空気を読むということには、世間体という戒律の最たる象徴的なものがある。慈愛と慈悲を基軸とした個人尊重のキリスト教的倫理で象られた人たちには、この社会的調和を重視する世間体に縛られたメンタリティが理解できなかったりします。
 
 日本の停滞は、異才を生みにくい風土が影響している。そういう著者の問題提起も込められていると感じた。
 とするなら、著者のいう“才能”は、なんとかして活かされていくべきだろう。イスラエルや米国が、貪欲なまでに異才の発掘を行ってきたのであるから。
 とはいえ、本書が当事者の役に立つかといえば、首を傾げざるを得ない。自己啓発本として発行部数は伸びそうであるし、売れることを主眼に書いたようにさえ思える。また、保護者などを勇気づけ、その気にさせるのには良いのかもしれない。ただ、繰り返すように、当事者には、「で、どうすればよいのだ」という疑問がぽっかりと残る。それは、伝統的な自己啓発本同様、極限すれば「世界は変えられないが、解釈は変えられる」という空しい雄叫びに基づいているからだ。
 いくら解釈を変えたって、社会は変革できない。