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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文860

2023-09-03 15:58:41 | 大衆文学
『息子と狩猟に』(服部文祥 新潮文庫)

 古書店をの棚を見ていて、“狩猟”という二字が目についた。2年前に免許を取って、そのままペーパーハンターになりかけている私だが、関心は持ち続けているのである。
 ガイドブックは幾つか読んだから、狩猟に関する小説があるなら読んでみようと思って手に取った。
 著者はサバイバル登山家だという。そういう人が小説を、しかも犯罪小説を書くとか意外なことでもあり、興味を抱いた。
 二人の主人公がいて、話は同時並行的に、交互に語られていく。それがある場所・ある時間に交わって話が1つになる、というオーソドックスな筋ながら、緊張感を持って読めた。
 書き手が、実際に猟銃を操り、山でサバイバルしているからこそ醸せる緊張感だろう。
 併録の「K2」も同様だ。重すぎるテーマを、さほど重くないふうに書くところに、やや違和感を抱いたが、そういった切迫感、命のやり取りを経てきた人が書くからか、説得力もある。
 ペーパーハンターになりかけてる自分を顧みて、考えを改めるきっかけをもらえた気がしている。

読書感想文846

2023-03-06 13:29:41 | 大衆文学

『その日のまえに』(重松清 文春文庫)

 心を動かされる瞬間は幾度か訪れた。
 “その日”を予期せぬままに別れてしまった友人や、祖父母との(後悔を含む)思い出が連想されるからだろう。
 必ずやってくる日のことを、知らぬふりで済ませるわけにはいかない。自分の親も、相当な年齢になったのだ。
 という当然なことを思い出させてくれる読書にはなったが、文学として鑑賞した場合は、絶賛するわけにはいかないなと感じた。
 ドラマやアニメでよく感じる作り物めいた雰囲気、文体。動画作品の原作となることを意識したのか、逆に動画作品の纏う作風が、この手の作品にとってのベースレイヤーとなってしまっているのか。鶏と卵の関係に陥るのだが、違和感に度々見舞われたのは否定できない。
 (一例として)アニメオタクの話し方が、アニメのキャラの模倣によって形成されていることに、妙な気持ち悪さを感じるような瞬間と似ている。
 純文学的なものを求めているわけではない、一般の読者にすんなり受け入れてもらうためには、こうしたテレビナイズされた文体が必要で、著者は意図的にやっているのかもしれない。


読書感想文833

2022-10-08 18:10:54 | 大衆文学
『ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界Ⅱ』(村上龍 幻冬舎文庫)

 『五分後の世界』は、いまから20年前、一緒に研修を受けていた同期生から勧められて読んだ。最後の場面が強く印象に残っている。読んだときの、環境も影響していたのかもしれない(ある意味で、世間から隔絶した、五分後の世界みたいな3ヶ月間の研修だったのだ)。
 という経緯があった上、パンデミックを扱った作品ということで、期待を膨らませ過ぎたかもしれない。
 悪くはなかった。小難しいウイルスのウンチクが多くて辟易しそうになりながらも、退屈せず読ませる筆力に引っ張られた。
 ただ、劇画風の読み物っぽさに終始惑わされた。CNNの女性記者の視点で描かれるのだが、ハリウッド映画を活字で読んでいる風なのだ。こんな劇画を活字だけで描けてしまうことには感心せざるを得ないわけだが。
 読む側の環境もまた、受けとる印象に影響を与える。20年前は、『五分後の世界』に同調してしまう中にあった。『五分後の世界Ⅱ』は、九州でのパンデミックが世界に拡大していくところでエピローグを迎える。その点、現実世界はポスト・パンデミックとなりつつあり、作品の凄みや象徴するものが霞んでしまったようにも感じる。
 悪い意味で、私は麻痺してしまっているのかもしれない。

読書感想文789

2021-07-02 18:14:00 | 大衆文学
『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編(下)』(村上春樹 新潮文庫)

 私は本書を読み始めたとき、あとでがっかりするのを警戒して、期待せずに読もうと思った。数々の伏線らしき事象は、おそらく物語の背景(景色)の一つに過ぎず、後で回収されることもないし、深い意味もないのだろう、と。
 それはこの著者の幾つかの作品から得た私なりの教訓だった。
 しかし、読み進めるうち、第2部に入るくらいから、面白くなってきた。いま振り返るとその理由を指摘できないほどなのだが、幾つかの人間関係が、事象と事象が、線でつながりつつある展開に、不覚にも自ら得たつもりの教訓を忘れてしまったのだ。
 そうして、満を持して最終巻である本書を手にした。
 すぐに雲行きは怪しくなっていった。語り手の「私」が騎士団長を殺して異空間に入っていくあたりから、荒唐無稽さが際立ち、これはいったいどうやって話を帰結させるのだろうかと、読んでいて不安になった。残り頁の少なさから、ろくな終わり方はしないんだろうと予測し、いったいどうやってこじつけるのか、なんて意地悪な見方で読み進めてしまった。
 案の定、関連するかに見えた筋は不自然なまま、平行線を辿り、イデアだメタファーだという、それらしき言いぐさに胡麻化されてしまったように感じた。私が最初に想像していた通りだったのだ。
 あるいは著者は、入れ物を設え、乗り物を用意し、あとは読む者が完成させよ、というスタンスなのかもしれない。しかし、それにしても、意味ありげな伏線の数々に残念感は否めない。『1Q84』とまったく同様に、邪教はここで小道具扱いされている。土地に根付くタブーのような宗教的背景も匂わせるだけで、なんらの帰結もない。『アンダーグラウンド』であれだけ熱心に取材した村上春樹なのに・・・と期待外れに脱力している。
 匂わすだけなら取り上げないでほしいものごともあるのだ。
 まあ、村上春樹ファンの多くは、重いテーマを、生々しい文学を望んではいないのだろう。
「私」にせよ「ぼく」にせよ、彼らはいつもスマートで、上品な料理を作り、クラッカーを齧り、ビールやスコッチを飲む。決して袋入りラーメンは食わないし、安い焼酎や合成酒は飲まない。そんなものが世界に存在することも知らないような顔をして、無害で読みやすい文面を私たちに与えてくれるのだ。
 最近、心身共に疲れていた私には、ちょうどよい読書だったかもしれない。そう、こういうときに本気な純文学に傾倒するのは危険だ。危険っぽさを仮想空間で味わえる『騎士団長殺し』は最適なチョイスだったのかもしれない。


読書感想文788

2021-06-29 18:11:00 | 大衆文学
『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編(上)』(村上春樹 新潮文庫)

 また少し間が空いてしまい、読んでいて伏線の幾つかを失念していることに気づいた。
 記憶力の低下もあるが、それだけいい加減に読んでいた証左である。あまり真剣に読んで伏線のすべてをインプットしていても無駄だ、というのを『1Q84』で感じたために、斜に構えた読み方をしてしまったのだろう。その分リラックスして気楽な読書ができ、気休めにはなったわけだが・・・
 ただ、第2部に至り、にわかに面白く感じ始めた。あんまり間を空けてしまわないようにしようと少し反省した。
 何が面白いかと、いまさら指摘できないほどに、内容上は印象が薄いのだが、ひとつ言えるのは、この著者の文章は、ひとつの精神的鎮静効果があるということだ。読むのにストレスを感じない。すらすらと疲れずに読み進められる。意図的なことだろうが、登場人物たちは極めて無害だ。何か不吉な雰囲気やおどろおどろしい様子を醸し出す人物が描かれることはあるが、そこにリアルさ、生々しさが伴わない。実在するような人間くささがないのだ。
 だからいかに醜いものが描かれていようと、それはスマートな文体の中で、無害に読み流せてしまう。しかも、大衆文学風にでなく、まさにメタファー感を纏って、高度な純文学を耽読している錯覚を与えてくれながら。
 こうして、読む者は、純文学を読むときに要するエネルギーのようなものを全く必要とせずに、オートマチックに読書体験できてしまう。しかも何かしら高尚な読書体験のような錯覚を伴なって。これが精神的鎮静効果の一因だろうと思う。
 読者が楽をするということは、著者が相当の努力をし、才能を惜しみなく費やしていることを意味している。村上春樹だからできることなのだろう。
 そういう分析をしたのは全て読了してからであって、この巻を読んだときは、早く次が読みたくて本屋に走ったわけだが。