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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文108

2006-11-29 19:52:00 | 詩歌・戯曲
『茨木のり子詩集』(現代詩文庫 思潮社)

 紀伊国屋の詩集コーナーで、なんとなく手にとったら、帯に『追悼・茨木のり子』の字が。
 知らなかった。私はてっきり、フランスのルオー爺さんのように、元気に長生きしているものとばかり思っていた…

 私は茨木のり子の、ざくざくと畳み掛けるような勢いが好きだ。姉のような優しさと、女革命家みたいな激しさが共存していて。
 たとえるなら叱咤激励されながら抱擁を受けるような。
 有名ないくつかの詩については置いておくとして、私がこの詩集で見つけた女革命家っぷりは以下の詩に集約されている。

 最上川岸

 子孫のために美田を買わず

 こんないい一行を持っていながら
 男たちは美田を買うことに夢中だ
 血統書つきの息子に
 そっくり残してやるために
 他人の息子なんか犬に喰われろ!
 黒い血糊のこびりつく重たい鎖
 父権制も 思えば長い

 風吹けば
 さわさわと鳴り
 どこまでも続く稲の穂の波
 かんばしい匂いをたてて熟れている
 金いろの小さな実の群れ
 <あれはなんという川ですか>
 ことこと走る煤けた汽車の
 まむかいに座った青年は
 やさしい訛をかげらせて 短く答える
 <最上川>
 彼のひざの上に開かれているのは
 古びた建築学の本だ

 農夫の息子よ
 あなたがそれを望まないなら
 先祖伝来の藁仕事なんか けとばすがいい

 和菓子屋の長男よ
 あなたがそれを望まないのなら
 飴練るへらを空に投げろ

 学者のあとつぎよ
 あなたがそれを望まないのなら
 ろくでもない蔵書の山なんぞ 叩き売れ

 人間の仕事は一代かぎりのもの
 伝統を受けつぎ 拡げる者は
    その息子とは限らない
    その娘とは限らない

 世襲を怒れ
 あまたの村々
 世襲を断ち切れ
 あらたに発って行く者たち
 無数の村々の頂点には
 一人の象徴の男さえ立っている

 ここまで書くのもすごいが、やはり詩人はこうでなくちゃ、と思う。
 茨木のり子。私にとって座右の書となりそうである。


読書感想文107

2006-11-28 22:17:00 | ノンフィクション
『きけわだつみのこえ』(日本戦没学生記念会編 岩波文庫)

 彼らの孤独が、ひどく懐かしくなることがある。
 私の職業からすれば、これは自然の成り行きのようでいて、しかし同時に危険信号でもある。
 今回はそんなことを冷静に考えつつ読んだ。

『おれは現実逃避してこれを読んでるな』

『軍隊は愚劣だ。しかし俺はその愚劣を理由に自己を肯定するきらいがないか?』

 彼らの声は、強く自己省察を促すのである。



読書感想文106

2006-11-16 19:41:00 | ノンフィクション
『約束された場所で』(村上春樹 文春文庫)

 オウムに関するルポやインタビューやノンフィクションは無数に出ているが、まさか村上春樹がインタビューしたものがあるとは知らなかった。しかも文春。なんだか胡散臭いと思ってしまった。
 村上春樹らしくないなと感じた。いかにも文春の商業主義に要請されたようなコンセプト。春樹ファンならとりあえず手にとってみるだろうし、オウムと春樹なんていう組み合わせなら、誰しも興味を抱いてしまうだろう。
 まあ、小説家なんかはこうして売文・売名行為をしなければ食えないわけで、春樹も例外じゃなかったのかなと思った。
 読んで、のめりこむ内容ではあった。他人事ではないなという実感があった。
 ただし問題の追究の仕方は、週刊誌のトピックスに毛の生えたレベルであり、やはり文春の読者層に合わせたものなのだろう。もっと突き詰めた、総合的な研究を読みたいと思う。


読書感想文105

2006-11-05 22:54:00 | 自己啓発
『禁煙セラピー』(アレン・カー 阪本章子訳 KKロングセラーズ)

 職場の、かなりなタバコ好き人間が、この本を読んで禁煙に成功した。
 読んでみたいなと思って借りた。ちょうど、医師にもタバコをやめるようにと言われたばかりだった。
 読んで、楽にやめられそうな気がした。読み終わってから最後の一本を吸ってくださいと書いてある。私は早く最後の一本を吸ってしまいたくて、わくわくしながら本書を読み終えた。
 ホントの苦しみは、最後の一本を吸った日の夜から訪れた。自分との闘いである。現在、3日目。かろうじて、禁煙は続いている。
 本書はタバコに関する洗脳や自己暗示を暴き、禁煙の挫折する理由を説明してみせる。 これらを認識させてくれるのは役立つはずだ。自分があらゆる理由をつけてタバコに手を出そうとしていた状況を冷静に分析できる。



読書感想文104

2006-11-02 00:31:00 | 詩歌・戯曲
『茨木のり子詩集 落ちこぼれ』(水内喜久雄選 はたこうしろう絵 理論社)

 数年前、どういう経緯でかは忘れたが、図書館でぱらぱらと詩集をめくっていた。
 ある詩が、私の心臓を揺るがした。

〈自分の感受性くらい〉

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

 したたかに平手打ちを受けた感じがした。しかし自分が悪いのを認識せざるを得ないから、言い訳もできない。最後に、とどめを刺すような、「ばかものよ」が効いた。
 私は、こみあげてくるものを抑えられず、図書館の隅で泣いたのを覚えている。強烈な往復ビンタのあとに、ぎゅっと抱きしめられた気持ちだった。
 以来、脳裏からこの詩は消えなかった。久々に図書館で見つけて、借りてくることができた。
 水ってこんなに美味しいものだったんだなと、驚くことがある。茨木のり子の詩を読んで感じるのは、そんな驚きに似ている。あくまでも平易な表現で、それなのにどんな美文よりも爽やかに心の中へ染みこんでくる。
 他の詩集も読みたい。この人のものなら、借りるのでなく、買っていつでも手にできる場所に置いておきたい。