goo blog サービス終了のお知らせ 

よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文423

2013-06-30 18:00:00 | 社会科学
『君主論』(マキアヴェッリ 河島英昭訳 岩波文庫)

 十年以上前から読もう読もうと宿題のように思い続けていたものである。いまさらになったのは、私の中で、いわゆるマキアヴェリズムという言葉が一人歩きし、頑なにそれを拒もうとしていたからであろうと思う。まったくの独り相撲、阿呆なことをしたと反省している。
 読んで、そのしたたかな考察に唸らされた。正義や理想だけでは生きてはいけぬということを、戦乱のイタリアでマキアヴェリはその身を持って感じていたのだろう。
 この読書で私は以下二点の開眼を得た。
 理想をいうまえに、ちょっと待てよと立ち止まるべきであること。
 全体最適を追求するのならば、必要悪は必要であり、それをいかに運用し正当化するかが政治力なのか、という気づき。
 しかし、そんな実務上の、したたかな指南書でしかなかったなら、『君主論』は500年を経て生き続けはしなかったろう。マキアヴッェリの文才。それを堪能するためにも、また時間のあるときにじっくり読んでみたい。
 感想文とは関係ないが、備忘録として今回気になった部分を以下に抜粋する。

【君主は歴史書を読まねばならない。そしてその内に卓越した人物たちの行動を熟慮し、戦争のなかでどのような方策を採ったかを見抜き、彼らの勝因と敗因とを精査して、後者を回避し前者を模倣できるように努めねばならない。】
【平時にあっても決して安逸にふけることなく、刻苦勉励してこれらの故事を宝物とし、逆境にあってこそこれらを役立て、運命が、たとえ変わったときにも、それに耐えられるよう備えを固めておかねばならない。】
【君主たる者は、おのれの臣民の結束と忠誠心とを保たせるためならば、冷酷という悪評など意に介してはならない。】
【過度の信頼によって無用心を招くことなく、また過度の不信によって耐え難い者とならぬように行動すべきである。】
【二つのうちの一つを手放さねばならないときには、慕われるよりも恐れられていたほうがはるかに安全である。なぜならば、人間というものは、一般に恩知らずで、移り気で、空惚けたり隠し立てをしたり、危険があればさっさと逃げ出し、儲かることにかけては貪欲であるから】
【だがしかし、君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならねばならない。】
【慈悲深く、信義を守り、人間的で、誠実で、信心深く、しかも実際にそうであることは、有益である。だが、そうでないことが必要になったときには、あなたはその逆になる方法を心得ていて、なおかつそれが実行できるような心構えを、あらかじめ整えておかねばならない。】
【運命がその威力を発揮するのは、人間の力量がそれに逆らってあらかじめ策を講じておかなかった場所においてであり、そこをめがけて、すなわち土手や堤防の築かれていない箇所であることを承知の上で、その場所へ、激しく襲いかかってくる。】



読書感想文422

2013-06-12 00:22:00 | 戦争文学
『呉淞クリーク/夜戦病院』(日比野士郎 中公文庫)

 徒然に入った御茶ノ水の古書店で買い求めた。
 いまだに、戦争に関する作品には食指が伸びる。それはある意味、安全な場所から審判の秋を眺められる卑怯な特権に与れるからだろうか。また、私は若いとき、苛烈なものを摂取し続けないと、たちまち足下を見失うような、不安定な人間だったように思う。その傾向も尾を引いているのかもしれない。
 脇道にそれた。目につく題名だから、記憶の彼方にはあって、著者の名前や“クリーク”という文字、それらの字面だけは、見覚えがあった。
 素直な文体である。誇張もせぬし、かといって、学徒兵のような葛藤も描かれぬ。字を知らぬ兵が決まり文句のように書いた紋切り型も出ないが、視点は極めて兵隊なのである。
 続編である『夜戦病院』では、趣はやや異なって、人間らしい感情を静かに描いていく。人心地つくにつれ、淡く感傷に彩られ、それが上海の異国情緒に馴染んでいくかのようだ。
 死線を超える場面から一転、酒保に通ったりする生活が描かれる。そこでの作中人物の心境の変化が、見事なほど自然に描かれている。
 この著者がその後忘れられていった理由はわからない。しかし一顧だにされなかったにせよ、大戦中あるいは戦後のものがあれば読んでみたい。
 



読書感想文421

2013-06-09 10:46:00 | 純文学
『介護入門』(モブ・ノリオ 文春文庫)

 同僚の“おすすめの本”ということで貸してもらった。芥川賞受賞作である。
 時代性とその特性を読みながら、一定以上の水準にある純文学を読み進め、もって日本の現代文学の概略を知る。という方針で意識的に未読芥川賞作を読んできたが、最近それが計画倒れ気味だったから、本作を手にしたのは渡に船だった。
 導入部の描写は、ちょっと力んで作っている観は拭えないが、神経性的な描き方は、近代文学のパロディというより、あえて自分はその手法で、そのカテゴリーで描いていくのだ、という宣言にも思えた。正統を宣することで異端にならざるを得ない状況を、揶揄し、あるいは悲しみながらの。
 読んでいて、高橋和己を連想した。時代が時代なら、と。たまたまツールがコミュニズムでなくパンクであり、ゲバルトでなく介護だった、というだけで、本作『介護入門』は、きわめて社会的で戦闘的な作品である。
 その後、特に作家らしい活動もないのが残念だが、潔いともいえる。読者のわがままは言うまい。時代は高橋和己を今まさに必要としているはずだが、出版業界が欲しいのは売れる本であり、消費される本である。
併録の『既知との遭遇』は随筆的なショートショート集。こちらは見沢知廉の習作を読むような既視感があった。