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よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文9

2005-05-23 11:25:00 | ガイドブック・ハウツー
『青木世界史B講義の実況中継・近現代史篇』(青木祐司・語学春秋社)

 ここに挙げるに、ふさわしい本ではないかもしれない。ご覧の通り、大学受験用の参考書である。
 ある試験を受けるにあたって、世界史の概観を復習する必要が生じ、私はこれを手にした。
 だいたいにおいて、受験用のテキストというのは、いかに答案を埋めるかに目的が制限されており(当然のことだが)、生きた学問として扱われていない。まるで機械的な分業のように、暗記しやすいよう解体され、羅列され、定義付けられてしまうのである。
 しかし、これは面白かった。『実況中継』というだけに、講義をそのまま書き起こした体裁になっていて、講師の世界史に対する情熱が伝わってくる。
 たとえば、1930年代のドイツで、ナチスが急速に国民の支持を得ていく歴史的過程に対して、彼はこう述べる。

『こう話してしまうと、何かヒトラーの政権掌握が歴史の必然であるかのような印象を与えてしまいそうですね。でも、ぼくはヒトラーの政権掌握を決して歴史の必然とは思っていません。
 権力を握ったヒトラーは、39年に第二次世界大戦を起こし、ヨーロッパで4000万人もの人命を奪うわけですよね。4000万人もの人が命を奪われるような事態が「必然」であってたまるか、とぼくは思うのです。』

 歴史の解釈に私情を持ち込んではいけない。しかし私情(この場合、情熱か)は、それゆえにこそ、歴史の正しい認識を求めて、冷徹に原因を突き詰めていく。著者のこういったスタンスは一貫している。
 原因と結果の連鎖は数千年、続いているし、出来事は相互に作用する。ともすると見落としてしまいそうな、歴史のリンクは、「いま」という世界史を解明する鍵になるはずだ。
 最後、講義の終わりに彼は言う。

『…でもこれは断言できますね、すなわち今われわれは世界史の激流の中に居るのだ、ということです。このことはあらためて認識しておいてください。
 あまりにも流れが速く、あまりにも波高が高いと、人間は自分のいる位置を見失ってしまうものです。
 そして、その激しい流れがどっちの方向に向かっているのか、ということについて、この世界史の学習がたぶんヒントくらいは提供できたんじゃないかなと思います。』

 学習参考書と呼ぶにはもったいない本である。著者は河合塾の講師。CDも出ている。

読書感想文8

2005-05-09 20:47:00 | 純文学
『幻化』(梅崎春生 新潮文庫)

 私の乱読は15歳から始まった。いったい、どれだけ読んだのだろう。
 だが、ある時期にさしかかると、ふるいにかけられたように、残るものがある。私にとって、それが梅崎春生であり、原民喜だった。
 
『幻化』は、著者最晩年の作である。
「死」に絡めとられようとしている精神病の男が、病院を抜け出し、原風景を探しに、かつて兵士として過ごした南九州を放浪する。

『これがおれの正体じゃないか。今まで不安を忘れたり、避けたりして、ごまかして来たんじゃないか。おれだけじゃなく、みんな。』

 残酷なまでに冷徹な自己省察。それは自傷行為のように自らを引き裂き、ばらばらにしていく。
 なぜか。
 そうせざるを得ないからだ。痛みには痛みをもってしか、生きていけない。硬質な、愚直な、生き方ではあろう。しかし、医師に「抑圧」について説明を受けた彼はこう思うのである。

『美容院の前を通ると、女たちが白い兜のようなドライヤーをかぶっている。五郎はすぐにそれを連想した。
「ああ。つまり脱げばいいんですね」
「まあそういうことです」
「なるほど。しかし──」
 兜をかぶっているのが常人で、今のおれの場合は兜を脱ぎ捨てた状態じゃないのか。頭がむき出しになっているから、普通人が持たない感覚を持ち、感じないものを感じているのではないか。生きているつらさが、直接肌身に迫って来るのではないか。その点おれが正常人の筈だ。瞬間そう考えたけれども、五郎は口に出さなかった。』

 極限における、微かな自己肯定。
 最後、旅の道ずれとなった自殺願望にとらわれている丹尾という男が、自分が死ぬかどうか見ていてくださいと言って、阿蘇山の火口を歩く。

『 丹尾を見ているのか、自分を見ているのか、自分でも判らないような状態になって、五郎は胸の中で叫んでいる。
「しっかり歩け。元気出して歩け!」』

 まるで自らを励ますような。
 梅崎春生は、『幻化』を書き上げた翌月、力尽きるように、この世を去った。