『「対テロ戦争」とイスラム世界』(板垣雄三編 岩波新書)
2002年の発行であるが、読み終えて、まったく古びていないことに気づいた。
序文にはこう記されている。
アメリカが、みずからに対置する凶悪な敵として、攻撃的他者・異物として、「非自己」性を託したウサーマ・ビン・ラーディンの存在、関係性、思考法、ライフスタイルは、皮肉なことに、いかに「アメリカ的」であることか。(中略)タリバーン兵士の中にアメリカ市民ジョン・ウォーカーらがいたように、反時代的とみなされたタリバーンはk、実はトランスナショナルな、あるいはコスモポリタンな組織だった。
本書はこうした前提で「対テロ戦争」を括弧に入れて論じていく。そもそも我々はイスラム世界のことを知らな過ぎた。無知につけこまれ、スローガンは政治的な意図を含んだまま強化されていった。誤解の上に虚偽が乗っかっていったのである。
本書は丁寧に、イスラム世界を解説し、欧米国家が彼らに与えてしまった矛盾やトラウマを垣間見せてくれる。本書が書かれたころにはまだ出現していなかったが、「イスラミックステート」の必然性をも感じざるを得なかった。
80年代以前なら、解放戦争や独立戦争と呼ばれていたであろう紛争も、21世紀には「テロ」でひとくくりにされる。本書は早期に警鐘を鳴らした比較的若手の有識者によって共著されているが、最初に書いたように、その論旨がまだ古びていないことに暗然たる気持ちになった。
結言はこう記されている。
まず「テロリズム」という言葉を使うことを止め、あらゆる政治的暴力を批判し、共通の法規範を確認し合う努力をすること。迂遠ながら、われわれに残された道はこれしかない。
「対テロ戦争」はブーメランのように、私たちのデモクラシーを破壊する。真綿で首を絞めるごとく。
軍需産業の要請なのだろうか。まるで、米が売れなくなったからといって米粉でパンを作ったり甘酒の効用を宣伝して販売網を拡げようとするように、新しい敵を作る。人命や人の尊厳、生きる権利を犠牲にした商売は、人類共通の敵として、やめにできないものなのだろうか。

2002年の発行であるが、読み終えて、まったく古びていないことに気づいた。
序文にはこう記されている。
アメリカが、みずからに対置する凶悪な敵として、攻撃的他者・異物として、「非自己」性を託したウサーマ・ビン・ラーディンの存在、関係性、思考法、ライフスタイルは、皮肉なことに、いかに「アメリカ的」であることか。(中略)タリバーン兵士の中にアメリカ市民ジョン・ウォーカーらがいたように、反時代的とみなされたタリバーンはk、実はトランスナショナルな、あるいはコスモポリタンな組織だった。
本書はこうした前提で「対テロ戦争」を括弧に入れて論じていく。そもそも我々はイスラム世界のことを知らな過ぎた。無知につけこまれ、スローガンは政治的な意図を含んだまま強化されていった。誤解の上に虚偽が乗っかっていったのである。
本書は丁寧に、イスラム世界を解説し、欧米国家が彼らに与えてしまった矛盾やトラウマを垣間見せてくれる。本書が書かれたころにはまだ出現していなかったが、「イスラミックステート」の必然性をも感じざるを得なかった。
80年代以前なら、解放戦争や独立戦争と呼ばれていたであろう紛争も、21世紀には「テロ」でひとくくりにされる。本書は早期に警鐘を鳴らした比較的若手の有識者によって共著されているが、最初に書いたように、その論旨がまだ古びていないことに暗然たる気持ちになった。
結言はこう記されている。
まず「テロリズム」という言葉を使うことを止め、あらゆる政治的暴力を批判し、共通の法規範を確認し合う努力をすること。迂遠ながら、われわれに残された道はこれしかない。
「対テロ戦争」はブーメランのように、私たちのデモクラシーを破壊する。真綿で首を絞めるごとく。
軍需産業の要請なのだろうか。まるで、米が売れなくなったからといって米粉でパンを作ったり甘酒の効用を宣伝して販売網を拡げようとするように、新しい敵を作る。人命や人の尊厳、生きる権利を犠牲にした商売は、人類共通の敵として、やめにできないものなのだろうか。
