『中国人強制連行の記録』(石飛仁 太平出版社)
『「戦後史」は、いうまでもなく1945年8月15日をもって始まった。だがその「戦後史」は、あの15年におよぶ戦争のリアクションであったにすぎない。したがって、その「戦後史」の内容が日本の「変革」にあるよりは「復興」であり「再建」であったことは歴史的事実が示すところとなっている。』
はしがきでこう書いた本書は、戦後30年に刊行された。
著者は危惧する。戦後史は総括なき“復興”に過ぎなかった、歴史を隠蔽する民族に明日はない、と。
それから30年。歴史は総括されるどころか居直りに似た形で美化され、戦後生まれの首相は“美しい国”というアナクロニズムをうたう。
われわれは忘却する。よくいわれる日本人の特性である。自らの痛みとしての戦争を想起できる人間が政界・財界からいなくなりつつあるだけで、こうも国の舵取りが変貌するとは、恐ろしい国民性であろう。
本書では特に秋田県大館市で戦争末期に起きた花岡暴動事件を取材し、隠された歴史を暴きながら、生きながらえた“日帝”を鋭く糾弾する。
私は恥ずかしいことに、秋田で生まれながら、花岡事件については詳しく知らなかった。また、強制連行が、まさしく“拉致”という形で、家畜以下の扱いで行われたことも、今では知る人は多くあるまい。いまでも4000人以上の遺骨が不明のまま、日本のどこかで朽ち果てているのだ。北朝鮮が拉致を居直るのも故なきことではない。
花岡事件では、国策として採用されたアジア民衆に対する三光作戦(殺し尽くし奪い尽くし焼き尽くす)が、戦場でもない内地で行われ、500人以上が虐殺された。しかし、こういった政策を採用し運用した権力の中枢は戦後の復興の過程で復権し、罪は一部の戦犯になすりつけられた。
現在、日本は九条を破棄しようとし、“美しい日本”と称する復古主義のもと、封建的な教育基本法へと改定を目論んでいる。
花岡では脱走した中国人をまっさきに包囲し、捕らえ、刺し殺したのは、軍隊でも警察でもなく、在郷軍人に指揮された民間人であった。彼らは自らをアジアで唯一の優秀な民族であると信じ、中国人や朝鮮人を家畜のように扱ったのである。一般の国民がである。これを忘れてはならない。
“美しい日本”
これを自称したとき、われわれはかつての醜い“東洋鬼”(戦時中に中国人が日本人をこう呼んだ)と化すのかもしれない。
自らの胸の内に、問い続けていきたいと思う。日本の、アジアにおける妙な選民意識と差別意識は、頭では否定できても、心のどこかに擦りこまれている。忘却は許されない。

『「戦後史」は、いうまでもなく1945年8月15日をもって始まった。だがその「戦後史」は、あの15年におよぶ戦争のリアクションであったにすぎない。したがって、その「戦後史」の内容が日本の「変革」にあるよりは「復興」であり「再建」であったことは歴史的事実が示すところとなっている。』
はしがきでこう書いた本書は、戦後30年に刊行された。
著者は危惧する。戦後史は総括なき“復興”に過ぎなかった、歴史を隠蔽する民族に明日はない、と。
それから30年。歴史は総括されるどころか居直りに似た形で美化され、戦後生まれの首相は“美しい国”というアナクロニズムをうたう。
われわれは忘却する。よくいわれる日本人の特性である。自らの痛みとしての戦争を想起できる人間が政界・財界からいなくなりつつあるだけで、こうも国の舵取りが変貌するとは、恐ろしい国民性であろう。
本書では特に秋田県大館市で戦争末期に起きた花岡暴動事件を取材し、隠された歴史を暴きながら、生きながらえた“日帝”を鋭く糾弾する。
私は恥ずかしいことに、秋田で生まれながら、花岡事件については詳しく知らなかった。また、強制連行が、まさしく“拉致”という形で、家畜以下の扱いで行われたことも、今では知る人は多くあるまい。いまでも4000人以上の遺骨が不明のまま、日本のどこかで朽ち果てているのだ。北朝鮮が拉致を居直るのも故なきことではない。
花岡事件では、国策として採用されたアジア民衆に対する三光作戦(殺し尽くし奪い尽くし焼き尽くす)が、戦場でもない内地で行われ、500人以上が虐殺された。しかし、こういった政策を採用し運用した権力の中枢は戦後の復興の過程で復権し、罪は一部の戦犯になすりつけられた。
現在、日本は九条を破棄しようとし、“美しい日本”と称する復古主義のもと、封建的な教育基本法へと改定を目論んでいる。
花岡では脱走した中国人をまっさきに包囲し、捕らえ、刺し殺したのは、軍隊でも警察でもなく、在郷軍人に指揮された民間人であった。彼らは自らをアジアで唯一の優秀な民族であると信じ、中国人や朝鮮人を家畜のように扱ったのである。一般の国民がである。これを忘れてはならない。
“美しい日本”
これを自称したとき、われわれはかつての醜い“東洋鬼”(戦時中に中国人が日本人をこう呼んだ)と化すのかもしれない。
自らの胸の内に、問い続けていきたいと思う。日本の、アジアにおける妙な選民意識と差別意識は、頭では否定できても、心のどこかに擦りこまれている。忘却は許されない。
