goo blog サービス終了のお知らせ 

よい子の読書感想文 

2005年から、エッセイ風に綴っています。

読書感想文713

2020-02-29 21:30:00 | ノンフィクション
『沖縄決戦 高級参謀の手記』(八原博通 中公文庫)

 沖縄の戦いについては『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』を読んで以来、問題意識を持ち続けていた。
 その後、戦績を巡る機会を持ち、稲垣武著『沖縄 非偶の作戦 異端の参謀八原博通』をガイド本として読んだ。
 こうした経緯があって、八原大佐については一定以上のリスペクトを抱いていた。本書の存在は知っていたが、絶版となって久しく、沖縄を訪れた頃は入手できなかった。その後数年して復刊していたのを知らなかったのは不覚であるが、この度、戦史を復習する必要に駆られて手にした。
 本人の感想を交えつつ、『失敗の本質』で論及された日本陸軍の組織的弊害を追体験できた。合理性の欠如。感情と人情の優先。仲間意識からくる付和雷同。それらのアウトプットは全体最適を考慮しない浪花節の部分最適だ。著者はいう。
 わが陸軍将校、なかんずく高級将校や参謀らは、陸軍大学で気分本位の上滑りの作戦や、本質を離れた形式戦術を勉強し、しかも卒業後はほとんど用兵作戦の勉強をしない。(第二章 決勝作戦)
 また、精鋭9師団を台湾に抜き取られるにあたって、32軍は司令官意見書を提出して反対した。しかし、方面軍や大本営から、これに対する明確な回答はなく、代わりに本土から一個師団を補填するとした約束は反故にされた。信じられない無計画、思いつきの連続だ。
 方針が上下において一致していないのみならず、上層部の左右においても目的の一致をみなかったものと思われる。大本営は「決戦は本土でやる。沖縄は本土の前進部隊である」と言い、一方で鈴木首相は「沖縄の日本軍が、敵を一度海中に突き落としてくれたら、これを契機として、具体的平和政策を開始しようと考えていたが、期待に反して・・・」と戦後の回顧談で述べた。そういう取り巻きの希望的観測を信じたのだろう、昭和天皇もまた「一撃を加えてから講和を」と考えていたらしい。その狭間で戦力を抜かれ、自助努力で持久作戦を立案せざるを得なかった32軍を、防勢に引きこもった腰抜けのように批判したという大本営とは、いったいなんだったのか。現地での視察や指導もしないばかりか、彼らが32軍に方針(航空決戦)を示したのは、なんと3月に至ってからだというから呆れるばかりだ。
 その怒りが、著者の手記となり、本書へと結実した。動機は、真相を明らかにしようという一参謀の義侠心に由来するが、結果としてそれは「彼の憤りを通して日本軍が抱えていた宿痾の一面をもはっきりと描き出したのである」(戸部良一氏の解説より)。
 恥も知らず、公職に復帰して高級幹部に返り咲く者の少なくない中、八原氏は地元で行商をしたり狭い畑で農業を行って貧窮に耐えながらの戦後を送った。その潔さが、また後世のわれわれに感銘を与える。



読書感想文712

2020-02-19 22:21:00 | ノンフィクション
『現代日本紀行文学全集・山岳編(上)』(ほるぷ出版)

 旅先の広島本通『アカデミー書店』において、上下巻揃いで入手した。広島在住時はよく通った店である。千田町の古書店街が消滅してからは、ここが広島市内で益々重宝されているだろう。
 ちょうど、山岳に関する文学を満遍なく読んでおこうと思っていた矢先だったので、全集を買う予定はなかったが、渡りに船である。バックパッカーな旅で荷物が重くなるのも気にしなかった。とても安かったのである。全集の端本における悲しい運命だろうけど。

 どんな基準で選んだかはわからないが、山域ごとに作品を幾つか連ねていくような編集方針である。時代は飛び飛びでポリシーはない。著者も小説家は少数で、登山家や随筆家、学者みたいな人が多い。
 したがって作品の趣旨も著者のバックグラウンド毎に様々で、“文学”を期待した向きには肩透かしな場合が少なくない。玉石混淆というか、オジヤというか。それはそれで面白かったけれど。
 しかし、知らぬ山については、さほど興味深く読めず、裏腹に歩いたことのある山に関する作品は、食い入るように読んでいた。感情移入の有無、情景を再現するか想像するかの相違だろうか。まだまだ未知の山ばかりと思えば、いてもたっても居られぬ気がした。
 紀行文学、なかでも山岳ものにおける描写の方法について特に関心を持って読み始めたのだが、“文学全集”という風な性格のものではなく、景色を眺め、紀行文をさらさら読むように頁を繰っていた。二段組433頁の大著に、かなりの作品が詰め込まれており、どんどん読み進むには相応しくなく、読了に時間を要した。
 私も山行の記録がてら、書いていこうかなと思う。この読書が参考になっているのかは覚束ないが。



読書感想文711

2020-02-18 20:45:00 | 自己啓発
『失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!』(大野正人 文響社)

 年明けから読んでいる同僚が貸してくれた本、4冊目である。
 コンビニの棚に並んでいそうな、自己啓発本の類であろうと警戒し、これは後回しになっていた。
 コンビニの書棚。これは出版業界と小売店そして消費者の相関関係を巡る嘆かわしき縮図であるといってよい。
 コンビニの陳列棚を巡っては、各メーカー/卸売業者が熾烈な競合を繰り広げるという。定番商品としての座は占められなくとも、企画/季節商品として一時的にでも陳列されたらしめたものだ。
 小売店側は回転の良いもの、粗利率の良いものを求めるだろう。メーカー、卸売業側は、売れそうなものを、競合他社に勝てる粗利率で提案する。
 窓側に並ぶ、書籍コーナーも例外ではあるまい(ここで私がいう書籍コーナーとは雑誌の陳列棚ではなく、近年目につくようになった雑誌以外の主として新書や文庫を並べてある小さな棚のことである)。
 したがってそこには、売れそうな、粗利率の良い本が並ぶ。
 そもそも知的欲求があって、読書習慣のある人はコンビニなんかで本を買おうとはしない。そういう消費者を対象にはしていないのがコンビニ本だ。売れそうな粗利率の良い本=低質な本としても過言ではなかろう。

 つい横道に逸れた。いかにもコンビニ本らしき題名に警戒したので、警戒する理由を長々説明してしまった。
 さほど低俗な本ではなった。案外、子供向けに書かれた教育書としてならば価値あるものかもしれない。
 様々な偉人たちの失敗談や弱点が紹介されている。既知のものもあったが、予備知識としてためにはなる。また、失敗から学んで視野を拡げようというスタンスで書かれていて、これは小学校高学年~中学生には良い読書になるだろうと感じた。
 振り返れば、親に『地元の国立大学に進み、医師か教師に』なるよう言われていた少年時代の私は、これを真に受けて苦しんだ。経済的にもそういう選択肢しかないらしいと観念して子供ながら悩んだ。
 その国立大に行くためには地元の進学校に進むのが王道である。しかし中学時代、私の成績は進学校にぎりぎり入れるかどうかというものだった。これに落ちたら人生終わり、と思い詰めていた。
 きっと、多くの子供が、私のように狭い視野の中で絶望と紙一重の日々を送っていることだろう。
 本書のような平易なものを皮切りに、読書に目覚めていき、世界の広さを、世の中には楽しいことがいっぱいあるんだということを知ってほしいと思う。
 と、なんだか読書感想文から脱線して、いろいろ思った読後感である。


読書感想文710

2020-02-15 10:38:00 | ノンフィクション
『BORN TO RUN 走るために生まれた』(クリストファー・マクドゥーガル 近藤隆文訳 NHK出版)

 クッションのない足袋状のシューズがランニングショップの片隅に並んでいるのは、本格的に走り始めた9年程前から気づいていた。それが人間本来の走り方を覚醒させたり、ケガをしにくいフォームを手に入れるのに良いという話も聞いていた。しかし私は当時、膝に不安を抱えていて、そんな賭けに乗ってみる気にはなれなかったし、いわゆるベアフットシューズを履いている知り合いは、それを上手く活用しているようには見えなかった。
 トレイルランニングを本格的に始め、100マイルを目指す過程で、アジア最高峰の大会『UTMF』のオフィシャルDVDを繰り返し観るようになった。2015年にはメキシコの走る民族=ララムリの2名が招待され、彼らがアメリカのロングセラー『BORN TO RUN』に登場する伝説のウルトラランナーであることが説明されていた。ここで、ようやく私は本書の存在と、足袋状のもので走ることを志向する一定の人々がいることの意味を理解した。
 膝の故障は、フォームを矯正するインソールの使用で改善された。しかし500㎞、600㎞と月間走行距離を伸ばしていくうちに他の部位を故障してしまった私は、怪我をしにくい着地フォームを手に入れられると聞いて、俄然ワラーチに興味を抱いた。古タイヤを切って穴を三か所空け、革紐を通しただけの、質素なサンダルである。あのララムリが履いているものだ。ランナーにして柔道整復師のH氏に勧められ、とうとう重い腰を上げ、私は材料を揃えてこれを自作した。
 という遠回りの後に、私は本書に、やっとたどり着いた。きっと普通は順番が逆なのだろうが、自ら経験を積んで、満を持してというにふさわしいタイミングだった。

 と、期待を膨らませて頁を繰っていったので、当初は戸惑った。著者の文体というか作風にである。これはアメリカ人特有のやつなのか、ウィットというものなのか、表現が大げさで、冗談とも本気ともつきかね、無駄に思考が乱されることがあるのだ。たぶん、書下ろしでなく、雑誌に連載したものであり、その種の雑誌における特有の文体なのだろうと推察する(その点では日本の『ランナーズ』も『ラン+トレイル』も、常人が常識的なテンションで読んだら、とっつきにくいノリ=文体かもしれない)。
 にもかかわらず、私は前のめりに本書の世界に入り浸っていった。著者がそもそも、素人出身のウルトラランナーだから、素人の感覚でマウンテン・マゾヒストの世界観に入っていくのは親近感がある。その驚きや感銘がリアルだ。
 また随所に個性的な登場人物が取り上げられるので飽きさせない。彼らとの出会いが冒険譚のように連なっていき、最後の『コッパーキャニオン・ウルトラマラソン』へと結実していく。これは読み物としても面白かった。
 随所に書き込まれる箴言のような一節も良かった。その幾つかを引用する。

 人がいちばん走るのは、状況が最悪に思えるときだ。アメリカではこれまでに三回、長距離走の人気が急上昇した。いずれも国家的な危機のさなかである。最初のブームが起こったのは大恐慌時代で、一日四〇マイルのペースで全米を横断するグレート・アメリカン・フットレースに二〇〇人以上のランナーが参加して流行の先駆けとなった。ランニング熱はやがておさまったが、七〇年代前半にふたたび火がつく。ベトナム戦争、冷戦、人種暴動、大統領の犯罪、敬愛された三人の指導者の暗殺からアメリカが快復しようともがいていた時代だった。では、三度目の長距離ブームは? 九月一一日のテロ攻撃の一年後、突如としてトレイルランニングが米国でもっとも急成長したアウトドアスポーツとなった。(P18 第2節)
 
 ジャック・カーク(通称“ディップシーのディーモン”)は、九六歳になっても過酷なディップシー・トレイルレースに出場していた。「人は年をとるから走るのをやめるのではない。とディーモンは言っていた。「走るのをやめるから年をとるのだ」(P289 第27節)

 身体の熱の大部分を発汗によって発散する哺乳類は、われわれしかいない。世界じゅうの毛皮に覆われた動物は、もっぱら呼吸によって涼をとり、体温調整システム全体が肺に託されている。汗腺が数百万もある人間は、進化の市場に現れた史上最高の空冷エンジンだ。(P320 第28節)

 ルイスは二回、三回、四回と持久狩猟の経験を重ねるうちに、最初の狩りがいかに幸運だったかを知る。一回目はクーズーが倒れるまでに二時間しかかからなかったが、その後は毎回、ブッシュマンは三時間から五時間走りつづけることになった(これはちょうど、先史時代の狩猟の現代版にあたるマラソンの一般的タイムに一致する、と思われる向きもあるだろう。レクリエーションには理由がある)。(P341 第28節)

「疲労から逃れようとするのではなく、しっかり抱きしめることだ。疲労を手放してはならない。相手をよく知れば、怖くはなくなる」(P408 解説)


 読了して、私はもっとウルトラを走りたいと思った。と同時に、なぜ私がこういう競技に打ち込むようになったのかを、『然り々々』と頷きながら、納得している充実感に浸っている。



読書感想文709

2020-02-11 17:15:00 | ノンフィクション
『#あなたを幸せにしたいんだ 山本太郎とれいわ新選組』(山本太郎 集英社)

 昨年の参院選前に急きょ立ち上げられ、国政政党に躍進した『れいわ新選組』。
 SNSを通じ、支持を広げたというが、私はリアルタイムではその熱に気づかずにいた。NHKも新聞も取り上げずにいたし、東京郊外の自宅と職場を往復する日々の私が、彼らの演説に立ち会う機会もなかった。自ら出向くこともなかった。アンテナが低かった、つまり意識が低かったのだと思う。
 山本太郎には着目していた。バラエティを観ない私は、当初の生い立ちを知らなかったが、俳優として素晴らしいなとは思っていた。特に、映画『光の雨』における連合赤軍リーダー役の演技は真に迫るものがあった。成り切っていた。
 その後、反原発の活動から国政に転じたとき、私には何かピンとくるものがあった。連赤リーダーにあそこまで成り切るからには、相当に勉強したはずである。新左翼が過激化していく過程を振り返ろうとすれば、安保闘争を学ぶことになり、それは必然的に、既成左翼から若者が離れていった安保闘争の前史を学習することを要求する。無論、源流を辿ろうとする真摯な食指は、戦中の非合法共産党のことや、彼らに影響を与えたコミンテルンのことも紐解こうとするだろう。
 左翼運動が先鋭化して破局に至った、その最左翼にいた森恒夫。これを迫真の演技で再現して魅せた山本太郎。ここに、血の教訓と、それを無駄にすまいとする希望が芽生えたのなら、その後の渦巻くような成り行きにも合点がいくのだ。
 多くの批判を受けた、天皇への直訴。野党にすら罵声を浴びるという、徒労に満ちた一人牛歩。その一方で小沢一郎とくっついたりして、妙なことをすると思っていたが、本書を読み、さらに触発されて演説を(YouTubeで)観て、納得できた。
 本気なのである。そしてやはり、私の直観は外れていないだろうと確信もした。次の衆院選に期待する。選挙を、期待を込めて待つなんて初めてのことだ。

 生きててくれよ! 死にたくなるような世の中やめたいんですよ。

 政治的信条などを超えたところで、彼らは心を捉える。『れいわ新選組』の躍進は、この国の生きづらさの証左かもしれない。
「ひとりで何ができるんだ」
 聴衆からの問いに、感極まって涙を流しながら訴える山本太郎も良かったが、「私たちの目的は、子どもたちを守ること」と静かに語る安冨歩氏の演説にも、こみ上げるものがあった。