『中国抗日戦争史』(石島紀之 青木書店)
東アジアの力関係が急激に変わっていく昨今、かつて日中はどう戦ったのかと、関心を持つようになった。
戦争を回避するため、あるいは勝つため(それは無論、戦わずして勝つことが最善の目標だろう)、史実に学ぶ必要があるはずなのに、とかく現代中国はさまざまな偏見と憶測で語られてばかりに思えてならない。死の商人の喜びそうなストーリーとして。
本書は1984年の発行。文革に対する否定的評価は左右両陣営において共有済みの時代であろうが、発行を取り巻く時代背景(本多勝一の著書や国際的問題に発展した「教科書問題」)にも影響を受けていると判断されたか、薄暗いガード下、古書店の軒先に並んでいた。(だからこそ、気楽に手に取ることができたわけだが)。しかし私にはちょうど読みたい切り口のものだった。“日中戦争史”でなく“抗日戦争史”とする視座こそ、いま窺い知りたいところなのである。
その視座から見た歴史は、教科書ではほとんど触れられず、“満州事変”“国共内戦”“日中戦争”といった包括的な名称を年表上で知るのみで社会に出ていく人が大半かもしれない。かくいう私も、太平洋戦争には興味を持って文献にあたってきたが、日中の戦いにはほとんどスポットを当てなかった。何故だろうか。
と、この問いに腑に落ちる回答をくれそうなのは、先年読んだ『永続敗戦論』くらいだ。もはやこれは為政者のみならず、国民全般が罹患している精神疾患のひとつなのかと冗談でなく勘繰ってしまう。
本書を読んで深く再認識させられたのは、抗日戦争中における国民党の反動性だ。蒋介石をはじめ、国民党には長期的戦略に長けたスケールの大きな政治家が少なからず存在し、国際世論をも味方につけていったことは否定しない。しかし、日本軍よりも共産党を敵視し、内弁慶を決め込んで場合によっては日本軍とも手を組み、権謀術数の限りを尽くす。
本書が“中華人民共和国”の側に依って立つ書きっぷりをしており、中国共産党の主張や歴史観をベースに語られていることは括弧にくくって読まねばならない。だが少なくとも、同じ中国人だった彼らが、われわれの想像する以上に深く分断されているのだなということを実感した。先年読んだ『現代中国の歴史』でもつくづく感じたことであり、それを軍事面から復習する良い機会となった。
また、これも昨年手にして目から鱗だった 小林英夫『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ 』で論点とされていた消耗戦のなんたるかも、本書で違った視点から知ることができた。
さらに毛沢東は、持久戦が次の三段階を経過すると述べた。第一段階は日本の戦略的進攻、中国側の戦略的防御の時期。第二段階は日本側の戦略的守勢、中国側の反攻準備の時期。第三段階は中国側の戦略的反攻、日本側の戦略的退却の時期。(?抗日戦争の勃発と拡大)
しかし本書を読んで最も印象的だったのは、“毛沢東思想”に関する論及である。
文革への批判を経た上でまとめられた“戦争史”であり、その視座は共産党に好意的ではあっても毛沢東への個人崇拝には手厳しい。そのため“毛沢東思想”についての記述はドライで雑音なく、役立つものだった。
印象的なのは、確立された時期と手順である。
まず規律の強化、批判・自己批判を通じた思想統制による粛清が“整風運動”として行われ、その中で『マルクス・レーニン主義』の中国的発展たる“毛沢東思想”が語られ始めた。
中国共産党は1945年4月~6月、第七回全国代表大会を開催、正式に“毛沢東思想”が党の指導思想として確認された。
さて・・・なんだか最近聞いたような話であり、驚きを禁じ得ないのだ。
歴史は繰り返すのか。二度目が茶番であれば良いのだが、もし茶番でないなら、中国は分断(台湾との)の解決を、いよいよスケジュールに載せたのかもしれない。
“毛沢東思想”を明文化した中国はおそらく、抗日戦争後の内戦勝利を見据えて、強い結束を企図していたのだろうから。
東アジアの力関係が急激に変わっていく昨今、かつて日中はどう戦ったのかと、関心を持つようになった。
戦争を回避するため、あるいは勝つため(それは無論、戦わずして勝つことが最善の目標だろう)、史実に学ぶ必要があるはずなのに、とかく現代中国はさまざまな偏見と憶測で語られてばかりに思えてならない。死の商人の喜びそうなストーリーとして。
本書は1984年の発行。文革に対する否定的評価は左右両陣営において共有済みの時代であろうが、発行を取り巻く時代背景(本多勝一の著書や国際的問題に発展した「教科書問題」)にも影響を受けていると判断されたか、薄暗いガード下、古書店の軒先に並んでいた。(だからこそ、気楽に手に取ることができたわけだが)。しかし私にはちょうど読みたい切り口のものだった。“日中戦争史”でなく“抗日戦争史”とする視座こそ、いま窺い知りたいところなのである。
その視座から見た歴史は、教科書ではほとんど触れられず、“満州事変”“国共内戦”“日中戦争”といった包括的な名称を年表上で知るのみで社会に出ていく人が大半かもしれない。かくいう私も、太平洋戦争には興味を持って文献にあたってきたが、日中の戦いにはほとんどスポットを当てなかった。何故だろうか。
と、この問いに腑に落ちる回答をくれそうなのは、先年読んだ『永続敗戦論』くらいだ。もはやこれは為政者のみならず、国民全般が罹患している精神疾患のひとつなのかと冗談でなく勘繰ってしまう。
本書を読んで深く再認識させられたのは、抗日戦争中における国民党の反動性だ。蒋介石をはじめ、国民党には長期的戦略に長けたスケールの大きな政治家が少なからず存在し、国際世論をも味方につけていったことは否定しない。しかし、日本軍よりも共産党を敵視し、内弁慶を決め込んで場合によっては日本軍とも手を組み、権謀術数の限りを尽くす。
本書が“中華人民共和国”の側に依って立つ書きっぷりをしており、中国共産党の主張や歴史観をベースに語られていることは括弧にくくって読まねばならない。だが少なくとも、同じ中国人だった彼らが、われわれの想像する以上に深く分断されているのだなということを実感した。先年読んだ『現代中国の歴史』でもつくづく感じたことであり、それを軍事面から復習する良い機会となった。
また、これも昨年手にして目から鱗だった 小林英夫『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ 』で論点とされていた消耗戦のなんたるかも、本書で違った視点から知ることができた。
さらに毛沢東は、持久戦が次の三段階を経過すると述べた。第一段階は日本の戦略的進攻、中国側の戦略的防御の時期。第二段階は日本側の戦略的守勢、中国側の反攻準備の時期。第三段階は中国側の戦略的反攻、日本側の戦略的退却の時期。(?抗日戦争の勃発と拡大)
しかし本書を読んで最も印象的だったのは、“毛沢東思想”に関する論及である。
文革への批判を経た上でまとめられた“戦争史”であり、その視座は共産党に好意的ではあっても毛沢東への個人崇拝には手厳しい。そのため“毛沢東思想”についての記述はドライで雑音なく、役立つものだった。
印象的なのは、確立された時期と手順である。
まず規律の強化、批判・自己批判を通じた思想統制による粛清が“整風運動”として行われ、その中で『マルクス・レーニン主義』の中国的発展たる“毛沢東思想”が語られ始めた。
中国共産党は1945年4月~6月、第七回全国代表大会を開催、正式に“毛沢東思想”が党の指導思想として確認された。
さて・・・なんだか最近聞いたような話であり、驚きを禁じ得ないのだ。
歴史は繰り返すのか。二度目が茶番であれば良いのだが、もし茶番でないなら、中国は分断(台湾との)の解決を、いよいよスケジュールに載せたのかもしれない。
“毛沢東思想”を明文化した中国はおそらく、抗日戦争後の内戦勝利を見据えて、強い結束を企図していたのだろうから。
