『ゴジラ -0.1』、観てきました。
これは、なかなかすごかったと思います。
あんまりヨイショするようなことは書きたくないんですが……しかし、シリーズ屈指の傑作といってもよい作品ではないかと思います。
私の中ではゴジラシリーズでは第一作が別格の最高傑作というのは揺るがないというのがあるんですが、『-0.1』は、その第一作の存在に正面から向き合い、それに恥じない作品となったのではないでしょうか。
「第一作に向き合う」というのがどういうことか、少し詳しく書きましょう。
以前どこかで書いたと思いますが、第一作『ゴジラ』が別格の存在という感覚は東宝の制作陣にもあったようで、以後シリーズ作品が多数作られていくなかで、第一作に触れるのはタブーのようになっていたといわれます。
そんななかにあって、果敢に第一作と向き合った作品が、たとえば『ゴジラVSデストロイア』でした。これは東宝の枠組みの中でゴジラの終わりを描いた物語でしたが、禁忌に触れるのはむしろ外部の監督のほうがやりやすいということはあるでしょう。そこで、大胆な挑戦をしたのが庵野監督の『シン・ゴジラ』。『シン・ゴジラ』では、『ゴジラの逆襲』以降のゴジラシリーズではじめて、ゴジラの存在を前提としない作品でした。すなわち、ゴジラというものが認知されていない世界に、「謎の巨大生物」としてゴジラが登場するわけです。
そして、今回の『ゴジラ
-0.1』です。
この作品も、ゴジラの存在を前提としていません。そもそも時代設定がゴジラ第一作よりも昔に設定されており、「続編」ではなく「リメイク」に位置づけられる作品となっています。
これは、相当に勇気のいることです。
なにしろ70年の歴史を持つ、日本を代表するばかりでなく、世界でもっとも有名といってもいい怪獣映画。大向こうでは、ゴジラシリーズをすみずみまで知り尽くした観客たちが鋭い目をむけています。そこに新たなゴジラを提示する……一歩間違えれば大炎上となりかねない、そのリスクは決して低くないなかでの登板なのです。たいへんな覚悟のいることでしょう。
この作品の大きなポイントとして挙げたいのは、ゴジラを完全に「恐怖」の存在として描いたこと。
本作におけるゴジラの熱戦はシンゴジラと同レベル、あるいはそれ以上の威力を持っており、キノコ雲のような爆炎をたちのぼらせ、しかもそのあとには「黒い雨」が降ってきます。ここには、あきらかに原爆のイメージがあります。核の恐怖という、ゴジラ本来の姿……庵野ゴジラでは設定変更がこの点にまで及んでいましたが、『-0.1』では、そこは踏襲しています。核、そして戦争の恐怖としてのゴジラをここまで徹底して描いたのは、実に第一作以来のことではないでしょうか。
もう一つのポイントは、人間ドラマとのかかわり。人間側のドラマが、丁寧に描かれているという部分です。
ゴジラシリーズ映画では、しばしば人間側のドラマは添え物であり、見る側もまあ、そこには多くを求めていないという部分がありました。
しかし、『ゴジラ
-0.1』では、人間のドラマのほうも、きっちりそれ自体で一つのドラマとして成立するように描かれています。そして、そのドラマがゴジラとの戦いという部分と有機的に結びついているのです。
そのドラマの出発点といえるのが、「特攻」。
このあたりのことについて詳しく書くとネタバレになってしまうので詳細には触れませんが、このテーマの取り上げ方についても好感をもてました。
じゃあ第一作のあれはどうなんだ、という意見も出てくるかもしれませんが……芹沢博士は別に「特攻」したわけではないということは、申しあげておきたいと思います。
最後に、劇場で買ってきたグッズを。
一つは、アクリルスタンドです。
キーホルダーでもありますが、チェーンをはずしてアクリルスタンドにもできます。
そして、シャープペンシル。
尾部にゴジラのフィギュアがついています。
非常に小さいものですが、結構作りこまれています。
もう70周年を迎えるゴジラシリーズですが、『シン・ゴジラ』、そして今回の『ゴジラ -0.1』と、力の入った重量級の新作が続いたことで、まだまだゴジラは終わっていないな、と感じさせられます。新時代のゴジラに、今後も期待大です。