ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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聖闘士星矢35周年

2021-12-05 22:25:15 | アニメ



先日、立憲民主党代表選が行われましたが……そこで“サンクチュアリ”というワードが注目されていました。

立民内の最大グループがそう呼ばれているんだそうです。
バードウォッチングを趣味にしている人が多く、鳥類を保護するバードサンクチュアリという言葉からきているということでしたが……

しかし、サンクチュアリといえば、私はどうしても『聖闘士星矢』を思い出さずにいられません。

というわけで、今回は車田正美先生の漫画『聖闘士星矢』について書こうと思います。

また、聖闘士星矢というのは別の意味でもタイムリーです。
というのも、今年はアニメ『聖闘士星矢』35周年にあたるのです。

思えば今年は、○○が30周年みたいな話をいくつかしてきました。
アニメ関係でいうと、たとえば『絶対無敵ライジンオー』が30周年だというような話も。
まあ、これまで無数のアニメが放映されてきているので、毎年何かしらそういうアニバーサリーを迎える作品はあるんでしょうが……しかし聖闘士星矢となれば、これは放っておくわけにもいきません。

アニバーサリーの特設サイトもつくられ、そこで記念動画が公開されています。
アニメのダイジェストで、12月5日現在では三つの動画が。今後もおそらく追加されていくのでしょう。
ひとまず、その「ジェミニ編」の動画をリンクしておきます。

TVアニメ『聖闘士星矢』35周年ダイジェスト映像「ジェミニ編」

知らない方のために一応書いておくと、『聖闘士星矢』は、かつてジャンプに連載されていた漫画。
聖闘士(セイント)と呼ばれる戦士たちが、聖衣(クロス)をまとい、必殺技を繰り出しながら戦うという王道バトル漫画です。
下は、最近新たに加筆して刊行したという Final Edition 版の書影。この表紙の人物が、主人公であるペガサスの青銅聖闘士、星矢です。



この作品に登場するサンクチュアリは、“十二宮編”の舞台。
「聖域」と書いて「サンクチュアリ」と読む……聖闘士たちの総本山というべき場所です。

この世に邪悪がはびこるときに女神アテナが現れ、サンクチュアリを統べる教皇とその配下の聖闘士たちが悪と戦うことになってるんですが……この物語においては、その教皇自身が邪悪な存在となってしまっています。

これはいささかネタバレになりますが……しかし、そのへんのところは先に紹介した特設サイトの動画でもほぼ明かされているので、まあ許容範囲内でしょう。

諸悪の根源は、ジェミニの黄金聖闘士サガ。
この男は、女神アテナに対する反逆を企て、殺害しようとします。35周年ダイジェスト映像から、そのサガをピックアップした動画を載せておきましょう。

TVアニメ『聖闘士星矢』35周年ダイジェスト映像「サガ編」

それを救い出したのが、サジタリアスの聖闘士アイオロス。
そのあたりのことが描かれている記念動画「アイオロス編」。

TVアニメ「聖闘士星矢」35周年記念ダイジェスト映像「アイオロス編」

しかし、あろうことかサガはアイオロスに逆賊の汚名を着せ、みずからが教皇になりすましてサンクチュアリを支配しているのです。


サガは、サガなりに自分の行為を正当化しています。

  力のある者が天下をおさめてなにが悪い!?

と、サガはいいます。

  天界にはゼウスが
  海界にはポセイドンが
  冥界にはハーデスが
  つねに虎視眈々とこの大地を狙ってきたのだ!
  彼らに匹敵する力を持つものが地上を治めねば
  あとかたもなく世界は彼らに侵略されてしまうのだ!!

その論理のもとに、サガはサンクチュアリを力で支配し、自分に従わない聖闘士は実力行使で排除していくのです。
(※せりふは漫画版からの引用。以下、特にことわりがないかぎりは同様)

一部の黄金聖闘士は、教皇の正体が反逆者であることを知りながら、あえて従っています。


彼らは、“力こそが正義”という論理で動いています。

たとえば、キャンサーのデスマスク。
彼は、正義を信じていません。

 正義と悪の定義など
 時の流れによって
 まるでかわってしまうものなのだ!
 それは過去の幾多の歴史が証明している
 ナチスの正義しかり
 日本軍の侵攻しかり……

そこからデスマスクは、「教皇のおこないも今は悪とみえても未来においては正義とされる」と結論づけるのです。

そして、ピスケスのアフロディテ。

 力こそが正義なのだ

と、アフロディテはいいます。

 教皇こそその偉大な力を持ったお方だから
 この聖域(サンクチュアリ)を手中におさめるのにふさわしいのだ

この作品では、正義とはなにか、悪とはなにかという大きな問いが問われてもいるのです。

その問いに対して、どのような答えが与えられているのか……

たとえば、デスマスクに対しては、ライブラの黄金聖闘士である老師が「真の正義はどんなに時がながれようと不変のものじゃ!」といいます。
また、アニメ版ではこのくだりに次ようなせりふが付け足されています。

 それこそ お前のいう過去の歴史が何よりの証ではないか
 かつてどんなに最強の軍隊を誇る帝国でさえ
 いつかは滅び歴史の中に消え去っていった
 それが所詮 正義なき力の宿命というものだ
 悪は所詮 悪にすぎん

この言葉は、「不正な権力が長く留まれるためしはない」というセネカの言葉を思い出させます。
なるほど、たしかにデスマスクが挙げた二つの例もそうであり(ただし、アニメ版では「ナチス」「日本軍」という固有名詞は出していない)説得力があるでしょう。
そして、老師の言葉を裏書きするように、デスマスクはみずからの装備である黄金聖衣に見放され、老師の愛弟子である紫龍に敗北するのです。


カプリコーンのシュラはどうか。
シュラは、デスマスクと同様、紫龍とバトル。その戦いの中で、シュラは考えを改めます。

  オレは人間はすべて自分のために戦うのだと思っていた……
  自己の利益のためにだけ命をかけるのだと思っていた…
  だ…だから
  たとえ教皇が悪であれ
  力をもってつらぬけば正当化されるのではないかと思っていた……
  力のあるものが…
  勝ったものが正義を名のる資格があるのだと思っていた

しかし、アテナのために戦う紫龍の姿に、その考えはゆらいでいきます。
こうしてシュラは、紫龍をむしろ助けるのです。
『聖闘士星矢』十二宮編では、象とアリほど力の差があるという黄金聖闘士になぜ青銅聖闘士が勝てるのかというツッコミがあるわけですが……意外と、こんなふうに青銅聖闘士たちの決意に心を打たれた黄金聖闘士が敢えて通過させてやったという例が多いのです。

ただ、そのなかにあって実力で青銅聖闘士が黄金聖闘士に勝った例の一つが、アンドロメダ瞬VSピスケスのアフロディテ戦。
下の書影の人物が、瞬です。




一方のアフロディテは、こんな人。



これは、以前ガチャをひいたら出てきたフィギュアです。
デフォルメされたものではありますが、美少年であることは伝わってくるでしょう。戦闘では、薔薇の花をつかって攻撃してきたりします。つまりは、逆宝塚的な美少年対決です。

その戦いのなか、アフロディテの「力こそ正義」論に対して、瞬はこういいます。

 ならば弱い人間はどうなる
 力を持たない子供や老人は
 常に力のある者の意に従えというのか…
 力のある者は常になにをしても
 正統化できるというのか

結果としてはもちろん瞬が勝つわけなんですが、瞬自身もこの戦いで致命傷を負います。
そして、薄れゆく意識の中で、兄であるフェニックス一輝と過ごした幼い日のことを回想……このシーンが、泣かせます。
なにか理屈があるわけではありませんが、これも、アフロディテたちの展開する「力こそ正義」論に対するひとつの答えでしょう。


さて、聖闘士星矢のアニメ35周年ということでしたが……この作品は、いまにいたるまでそのスピンオフ作品がいくつも作られてきました。
やはりそれは、単にバトル漫画としての面白さというだけでなく、普遍的な問いを発しているからではないでしょうか。その意味で、『聖闘士星矢』は今の時代にこそまさに輝きを放っているのです。目を閉じれば、問いかける声が聴こえてくるでしょう。君のコスモは燃えているか――と。



アニメ『あしたのジョー』

2021-07-04 22:59:57 | アニメ



今回は、かなりひさびさにアニメ記事です。

一昨日の記事で紹介したように、『あしたのジョー』について書こうと思います。

とりあえず、動画を。
やはりTMSの公式チャンネルから、今回は『あしたのジョー2』のほうです。

【公式】あしたのジョー2 第1話「そして、帰ってきた…」"Tomorrow’s Joe 2" EP01(1980)

漫画のほうは、原作・高森朝雄、作画・ちばてつや。

一応注釈をつけておくと、原作者である高森朝雄というのは梶原一騎の別名義。
『あしたのジョー』は、伝説的な劇画原作者である梶原一騎にとっての代表作でもあります。

前にも書いたと思いますが、子供のころの我が家には名作漫画がたくさんあって、『あしたのジョー』も全巻そろっていました。スポーツ漫画といえば、『ドカベン』と『あしたのジョー』が私にとって今でも二大マスターピースです。

そんなこともあって、前回はなんの注釈もつけずに力石徹の名を出してしまいましたが……ここでも一応説明しておくと、力石は、主人公である矢吹丈のライバルです。鑑別所時代からの腐れ縁で、互いにプロボクサーになってからリング上で文字どおりの死闘を演じ、その戦いの直後に力石は死亡。そこで、寺山修司による葬儀ということになりました。


その力石徹をはじめ、『あしたのジョー』には個性的なボクサーが幾人も登場し、ジョーと勝負を繰り広げます。

ウルフ金串、カーロス・リベラ、ハリマオ、ホセ・メンドーサ……



それらの名勝負の中でも、私にとって『あしたのジョー』でベストファイトといったら、やはり金竜飛戦でしょうか。
力石の死後、なかなかそのショックから脱しきれずにいたジョーが、立ち直るきっかけとなった戦いです。友情に殉じた力石に捧げる勝利――しびれました。


その金竜飛戦もそうですが、矢吹丈といえば、何度倒れても戦い続ける姿が印象的です。

いつか、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」という歌を紹介しましたが、やはり、ボクシングというものには、そういうイメージがあるわけでしょう。
何度うちのめされても、また立ち上がって戦い続ける――それは、ボクシングというところを超えて、人の生き様にも擬せられます。
たとえば、アフガンの緑化活動に貢献していた中村哲さんが亡くなった時に、U2のボノが「ボクサー」の歌詞を引用して彼を追悼したことは、以前このブログで紹介しました。

ただ……そこにある種の危うさが潜んでいることも意識しておかなければならないでしょう。

よど号をハイジャックした連合赤軍は「我々は‟あしたのジョー”である」という言葉を残しました。
ただの捨て台詞といってしまえばそれまでですが……日本の近現代史なんかをちょっとかじっていると、そのあたりを割り切ってしまえない感もあります。『あしたのジョー』にみられる、ある種の精神主義や‟敗北の美学”には、方向性を誤ると危険な部分もあるんじゃないか――そんな見方も私は持つようになりました。

しかしそれは、あくまでも「方向性を誤ると」という話です。

基本的には、やはりサイモン&ガーファンクルが歌う「ボクサー」のように、戦い続ける意志は尊いものであり、問題はそれをどこにむけるかということなんでしょう。

何度打ちのめされようとも立ち上がる。あしたのために。
そして、ともに戦ったライバルのために、決してリングを去りはしない……そんな姿が多くの人の心をひきつけ、だからこそ、寺山修司も『あしたのジョー』に思い入れがあったんじゃないでしょうか。





『絶対無敵ライジンオー』サンライズ公式チャンネルで配信

2021-03-04 21:53:09 | アニメ

サンライズの公式Youtubeチャンネルが、3月から新たにサンライズ作品の配信をはじめました。

『装甲騎兵ボトムズ』や、勇者シリーズの『太陽の勇者ファイバード』など……そして、うれしいことに、そのラインナップにはエルドランシリーズの『絶対無敵ライジンオー』もはっています。

このブログで前に一度紹介した、あのライジンオーです。
毎週木曜に配信ということで、今日は第一話と第二話が配信されました。

その第一話をリンクさせておきましょう。
第二話は3月18日までの限定ということなので、第一話のほうもそのうち非公開になるのかもしれませんが……

【第1話】絶対無敵ライジンオー〔サンチャン〕

今年は、ライジンオー30周年にあたるということで、それも配信ラインナップに入った理由でしょうか。
まあ、30年も前の作品なので、今後いろんな意味で時代の変化を感じさせるエピソードも出てくると思いますが……しかしやはり、今の時代にこそ見てほしいと思うアニメではあります。サンライズの太っ腹に感謝です。





『どろろ』

2019-07-24 19:53:30 | アニメ
 

アニメ『どろろ』を観ました。

もちろん、今年の新作のほうです。amazonプライムで見られるようになっていたので、そちらで視聴。テレビ放映終了からやや遅れて、最終回まで到達しました。


原作はいうまでもなく手塚治虫の漫画で、過去にもアニメ化され、また実写映画化されたこともありました。
で、また新たにアニメ化されたわけですが……

まず、絵のクオリティが素晴らしいですね。
中世の日本を描いた美しい背景画に、百鬼丸や鬼神たちの姿が映えます。和風を基調にしたBGMも秀逸でした。


ストーリーも、原作とはだいぶ変わっていますが、原作の設定をうまく取り入れながら、新たな『どろろ』の世界を作り上げてます。最近のアニメを見ないのでよくわからないんですが、この十年ぐらいのなかでも傑出した作品なのではないかと思いました。


原作との最大の違いは、百鬼丸のキャラクターでしょう。

鬼神に身体機能を奪われていながらも、原作の百鬼丸は普通の人間と同じように行動することができますが、今回のアニメにおける百鬼丸は、まったく他者と意思疎通できない状態で登場します。そこから鬼神を倒すごとに、感覚を一つずつ取り戻していくのです。

一方で、百鬼丸のライバルである多宝丸や、醍醐景光に関しても、かなりキャラが変っています。
原作では、ふつうに悪役として登場しますが、今回のアニメ版では、それなりに領民のことを思いやる領主であったりして、そこに、全体のために個を犠牲にしてもよいかといった重いテーマがたちあらわれることにもなります。


そういう大きな設定変更がなされてなされはいますが……原作の持っていたテーマは踏襲しています。

それは、戦争の悲惨さというところですね。

戦争を体験した手塚治虫だからこそ描いた、残酷なまでにむごたらしい戦の姿――子供も容赦なく殺戮する武士たちや、戦災で親を失い四肢を欠損した孤児たち。
武将の勇ましい活躍を描くのではなく、辺境においやられたものたちのリアルな姿がそこにあります。
アニメでも、そこはしっかりと描かれていました。特に、第五、六話「守子唄の巻」は、原作のエピソードを巧みにふくらませ、胸に迫る物語でした。

もっとも、戦争の惨禍を描くという点に関しては、原作のほうがより凄惨ではあると思います。手塚御大独特のユーモアセンスで、あまり重苦しくはならないんですが……アニメでは変更されていた部分や、カットされていた部分も少なくありません。

戦争の悲惨さという以外にも、『どろろ』には現代に通ずる重要なテーマがいくつも描かれています。
そういうこともあってか、海外では、数ある手塚作品の中で『どろろ』が最高傑作という人も少なくないらしいです。
……というわけで、今回のアニメで関心を持った人は、ぜひ原作のほうも読みましょう。

『魔神英雄伝ワタル』

2019-02-05 17:54:44 | アニメ
今回は、ひさびさにアニメ記事です。

このカテゴリーでは、サンライズの手掛けているアニメについて書いてましたが、今回もその流れで、『魔神英雄伝ワタル』というアニメについて書きます。

『ワタル』は、サンライズがやっていたアニメシリーズのなかでも、かなり人気があったものの一つじゃないでしょうか。2もあって、私がリアルタイムで見ていたのは2のほうですね。ラジオドラマで3もあって、福岡ではじつに微妙な感度で電波が届く文化放送のドラマを必死に聴いていた記憶があります。



『ワタル2』のサントラです。

私が生まれてはじめて自分で買ったCDがこれでした。高橋由美子さんの歌うOP、EDが、印象的でしたね。

ジャケットの左に写っているのが、主人公の戦部ワタル。
彼が異世界にワープし、“魔神”(マシン)と呼ばれるロボットを操って、敵と戦うファンタジー的ロボットアニメです。

ワタルの声をやっていたのは、田中真弓さん。
今の人にとっては、ルフィの中の人という認識かもしれません。でなければ、パズーでしょう。しかし……私にとってはワタルなのです。
で、ヒロイン(?)のヒミコの声は林原めぐみさん。押しも押されぬ、声優界のディーヴァですね。『ライジンオー』でも、4人ぐらいの役をやってました。

いや、懐かしい……

そういえば、小説版も読んだ記憶があります。いまになって考えると、あのとき読んだ小説版は、結構自分が書く小説にも影響を及ぼしているような気がします。
ライジンオーもそうですが、ワタルも、30年以上経ってなお関連イベントが行われたりしています。ワタルは、去年がシリーズ一作目発表から30周年だったんですが、それに合わせて記念ヘッドフォンが発売されてました。やっぱり名作というのは、そういうものなんでしょう……そんなふうにありたいものです。