むらぎものロココ

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8 1/2

2005-10-05 22:32:20 | 映画
fellini「8 1/2」(Otto e Mezzo)
1962年 イタリア
監督:フェデリコ・フェリーニ
脚本:フェデリコ・フェリーニ、トゥッリョ・ピネッリ、エンニョ・フライアーノ、
ブルネッロ・ロンディ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、クラウディア・カルディナーレ、
アヌーク・エーメ、サンドラ・ミーロ 他

プロメテウスは天上の火を盗んで人間に与えたことで鎖につながれ、肝臓を鷲に食われるという罰を受けた。「81/2」でマストロヤンニが演じるグイドは肝臓の治療のために有名な保養地を訪れるが、彼にとっての鷲はカトリシズムであり、自己意識であるだろう。また、プロメテウスは骨を脂身で包み、美味そうに見せかけたものをゼウスに献じるなど狡猾な面も持っていて、ゼウスを頂点とする新しいオリュンポスの神々へ反抗する。フェリーニは道化師を、「本能や私たちのめいめいのなかにある反抗的なものすべて、そして、さまざまなことがらの定まった秩序に敢然と立ち向かう全てを代表する」存在ととらえているが、プロメテウスには多分に道化の資質がある。
ガストン・バシュラールは「火の精神分析」のなかで、プロメテウス・コンプレックスについて記す。それは知的な領域でのエディプス・コンプレックスだという。このコンプレックスはフェリーニにおいて、自らを育んだロッセリーニの、とりわけネオ・レアリズモをのりこえるというかたちで現れるだろう。
さらにプロメテウスの系譜を辿っていくと、弟のエピメテウスと災厄を撒き散らすパンドラの物語があり、ゼウスによる人類滅亡プログラムとしての大洪水というカタストロフを箱舟で逃れる息子デウカリオンの物語がある。これらを付会すれば、その場しのぎの対応で次第に追い詰められていくグイド、たくさんの荷物を抱えグイドのもとにやってくるカルラ、そしてグイドが作ろうとしている映画、人類滅亡というカタストロフによって、すべてを無に帰し、自分が抱えている問題や煩わしい人間関係などをすべて一掃したいという妄想が生み出した、核戦争後の死の灰を避けるために、残された人間たちがロケットで宇宙へ飛び立つというSFスペクタクル映画に重ね合わせることができる。

フェリーニは、映画はサーカスに似ていると言った。なぜならサーカスは技術と正確さと即興性との混合物だからであり、きちんとした手段を持たないままに、同時に創造し、かつ生きるというやり方であるからである。このサーカスには道化がつきものである。道化師には白い道化師とオーギュストがいる。白い道化師は優雅、気品、調和、聡明、明晰を表わし、母であり、父であり、教師であり、芸術家であり、そして抑圧するものである。一方、オーギュストはその反対の存在で、言わば「ズボンを汚す子供」である。この二種類の道化師は人間の二つの心理的側面であり、理性信奉と本能の自由のあいだの闘争である。フェリーニが物語を作り出すときはいつも、なんらかの不安を、なんらかの心配を、そしてふつう人間同士にあるはずのさまざまな関係の軋轢状態を見せる。

映画監督グイドは道化と呼ばれもし、おどけたしぐさをしたり、付け鼻をしたりと道化的な存在として描かれている。マラルメの言うとおり、道化は罰せられる。煤で汚れた道化は理想から逃れようと湖を泳ぎ、その汚れや白粉を洗い流してしまうが、それらこそが自らを芸術家たらしめていたことに気づき、後悔する。(「道化懲戒)
彼と批評家であるドーミエのコンビはオーギュストと白い道化の関係であり、フェリーニの二面性を体現している。ドーミエはグイドの構想にすかさず批判を加える。この仮借なさや辛辣さを誇張した批判は白い道化がオーギュストに対しておこなう意地の悪い抑圧であると同時に、実はこのような批判を映画の進行中に挿入し、先回りして言ってしまうことによって、二度と同じことを言わせないようにするフェリーニの狡猾な仕掛けでもある。

マラルメはある書簡のなかで次のように書く。
「われわれは物質の空しい形態でしかない。自分が物質であることを意識しつつ、しかも一方、夢中になって、自分でもそれが存在しないことを承知しているはずの当の<夢>のなかにとび込んで、<魂>と、太古の昔からわれわれの内部に蓄積されてきた同じく神々しい諸々の印象とをうたう」

マラルメは自らの不能を歌う不能者として、個人的挫折を<詩>の不可能性へと転換する。そしてさらに反転して、彼は<詩>の挫折を<挫折>の<詩>に変形する。空虚を白の充実ととらえるような、こうしたアイロニカルな試みをマラルメは「虚妄の栄光」と呼ぶ。批評家ドーミエは、グイドをこうしたアイロニーへ誘導する。白い道化とオーギュストの最終闘争。そして最後の最後にグイドはこうしたアイロニーを一気に吹き飛ばし、圧倒的な肯定性を獲得し、白い道化に勝利する。

「ある考えを生み出したら、すぐにそれを笑いとばせ」 老子の言葉だという。フェリーニがよく引用する言葉である。

→呉茂一「ギリシャ神話」(新潮文庫)
→ガストン・バシュラール「火の精神分析」(せりか書房)
→ステファヌ・マラルメ「マラルメ詩集」(岩波文庫)
→菅野昭正「ステファヌ・マラルメ」(中央公論社)
→フェデリコ・フェリーニ「私は映画だ 夢と回想」(フィルム・アート社)