13日(火)は大陸性の低気圧接近で、朝はどんよりでしたが、午後はだんだんと風雨になりました。突然雨が降ってきたり、止んだりの不思議な天気でした。
大阪なんばの近鉄乗り場のまえ(実際は地下鉄客用)の柱に「石切神社」の大きな宣伝ポスターがありました。かなり前、その近くにあった会社上司のお宅へ接待された覚えがあります。よくこの神社の名前は聞いていましたが、未だに参拝しに行ったことはありません。東大阪地域ではかなり高名な神社です。正式にこの神社は「石切つるぎや神社」というそうです。昔の古い漢字で昭和二桁以後の教育を受けた(私も含めて)人にはとても読めないし書けません。歴史を辿るとこの神社はあらすじだけ簡単にいうと、天照大御神の孫にまで及ぶようです。要するにこの孫が東部平定に遣わされたおり、この生駒地区に住んでいた先住の豪族とうまくやるため、豪族の娘と結婚し子を設けたのだそうです。政略結婚ですね。そこでこの地方が安定し、大和に(攻め?)上ることができて、時の神武天皇から剣をもらったのだと言います。当時天皇から剣を授かると言うのは、大変な名誉でありその記念をしたかったのでしょうね。その後、この一族は物部氏の一統となり大和に落ち着いたようです。足利時代、この一族を束ねる人によってこの神社が建立されて、剣を飾ったのでしょう。その神官(当時はかなり偉い人)が継続的に代々神社を守ってきたと、神社の歴史HPには書いてありました。長い歴史があるのですね。機会あったら一度行ってみます。それにしても難しい漢字で今は誰も読めません。石切というのは岩を切り開いた祖先の名前からかしら??。「石切さん」なんて気軽に呼ぶのは罰あたりです。
巫女さんもいるのだとか