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もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

「そうかあ… あこがれだったんだ、あれは」

2025-05-20 13:10:11 | 若い友人との会話

最近、文旦(ブンタン:地元の柑橘)の皮をむきながら

若い友人が言ったひとりごと。

文旦で思い出すのは、やっぱり

○○村にいた頃なんだよね。


あの頃、ほんと~に思った。

「文旦って、いいなあ」


自分でもヨクワカラナイまま、ずうっと

果物として(味が)好きなんだと思ってたけど

そうじゃないって、今わかった。


「あれはあこがれだったんだ」


果物として好きだったんじゃなくて

この… なんていうか、たくましさ?

「タフさ」に憧れたんだな、ぼくは。


皮が厚くて、重たくて

放っておいても長持ちして

少しくらい手荒に扱っても

全然大丈夫。

 


「ぼくは、あの頃

ほんと~にそうなりたかった」


そう言いたげに見えて、でも

そんなことはひとことも言わなかった友人。

 

いつもどおり、ただ文旦の皮をむいて

中身だけ取り出したのを

わたしにも分けてくれた。


なんでもないことのように。



その「村」から「大都会」に引っ越した後

彼は学校に行かなくなった。


親二人は、その理由が薄々わかっていながら

いまひとつ(全然?)わかっていなかった。



黙って、文旦の薄皮をていねいにむいていた

友人の横顔を思い出す。


文旦にあこがれた少年は

もうすぐ40歳の誕生日を迎える。

 

 

 

 

 

引っ越し先は以下の通りです(「はてな」に移りました)

https://muma-muma.hateblo.jp/


当分は記事を書くとき、gooとはてなの両方に載せます。
(なるべく長くgooに居たいので。めったに更新しないブログですが(^^;)

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うちでは毎日、誰かと誰かがケンカしてたけど…

2025-05-06 10:37:15 | K市での記憶


家の中で「けんか」ばかり

見せられながら育つって

ひどい環境やなあって言われそう(^^;


でも、こどもの頃のわたしの家は

そんなひどい暮らしじゃなかった。


両親が詐欺に遭って借金に追われてても

「食べていけない」ほどの貧乏は

一度も経験していない。


ただ… 毎日、親子喧嘩か夫婦喧嘩を

見ていた気がするだけ。


(いや~「気がする」なんてモンじゃ

なかったよォ)



まずは「親子喧嘩」について。


母は、自分からきっぱり

「わたしはあのヒトが嫌いなの」


あとは独り言のように、声を落として

「仲の悪い親子っていうのも

世の中にはあるもんなんよ」


祖母の方は、母が自分を嫌っているなどと

想像もしていなかったのか、或いは

そんなことは「大したことじゃない」

大事な大事な一人娘…とだけ思っていたからか

母がどんなに頭ごなしに

まさに「喧嘩腰」の物言いをしても

めったに言い返すようなことはなかった。


「一年の半分ほどは同居する」ようになって以来

母の独り相撲のような、ヒステリックな叱責を

姉もわたしも、ときには父も

聞かされる羽目になった。


父は、何とか穏やかに話ができるようにと

いろいろ気を遣ってみたのだという。


「でもダメなんだよな。

何をどう言っても変わらない」


そして、あるとき言った。

「結局、一卵性親子のケンカなんだから

他人が口出しして改善するような

ものじゃないんだ(苦笑)」



夫婦喧嘩の方は、もっと長い年月

姉もわたしも「つき合わされた」と思う。


といっても、こちらは(私の眼には)

「仲がいい」のがわかっていた。


ただ、「理想主義者」の父が


「女の人も、自分の思うことは

はっきり口に出していいんだ。

思うことは言うべきなんだよ」


19歳で、25歳と結婚した母は、

言われる通りにしないといけないと

思い込んだ?のかも。


2人の娘が10代になる頃には

夫婦の間で、さまざまな「意見の相違」をめぐって

父言うところの「ディスカッション」を

毎日繰り広げるようになっていた。


(でも… 「口喧嘩」にしか見えないことも

多かったな~)



母が感情的になって、激しい言葉が出ても

父は冷静に考えた?返事をするので

大抵はソコソコのところで落ち着いたんだけど…


そういえば

急須が空を飛んだことがあったっけ。

(フタだけ割れた)

投げたのはもちろん父の方。


でも急須はいいけど(こっちは驚いただけだし)

「手が飛んだ」のも一度見た。


このときは、母が涙ぐんで

「なにも叩かなくてもいいじゃない…」



どちらのときも、父は

「とにかく機関銃みたいに文句言うのを

止めなきゃいけなくなったからだよ」


でも悪かった… みたいなこと

あのとき言ったかなあ。言わなかった気がする。

わたしには、父がなんだか悔しそうに見えた。

手を出したせいで「母に負けた」からじゃなくて

「自分に負けた」って感じの顔。



うちではいわゆる「暴力」は

見ることがなかったから、珍しくて

今でも覚えているだけ。


でも父は、男兄弟3人とも

「父親に殴られるのは珍しくなかった。

名前呼ばれたら反対向いて逃げろって

みんな言ってたくらい(笑)」


こどもが「ふたりとも女の子」だったから余計に

父もいろいろ考えて、努力してくれたんだと思う。



…… と、ここまで書いて思った。


「おかあちゃん、ねえ、あんなに

ピリピリしなくて良かったのに」


「あんなに怒ってばっかりの理由が

きっとあったんだと思うけど

いつ怒られるか、おねえちゃんもわたしも

毎日ビクビクしてたんだよ。知ってた?」

 

「ひとの口喧嘩、毎日見るのも聞くのもヤ!だったけど

そんなこと数に入らなかった気もする。

自分が怒られるかどうかの方が

よっぽど大事(おおごと)だったから」

 

ま、わたしは思ってた以上に

おかあちゃんに似てたみたいだから

息子たちに同じような思いさせたんだろな。


同じような思いさせないように

おねえちゃんもわたしも

気をつけてたつもりなんだけど

繰り返したことが結構ありそうな気がして。

 

でも、うちも「暴力は考えられない」家だし

ソモソモ、けんか毎日するほど

「仲のいい両親」でもないし。

 

若い友人たちが、自分の育った家のことを

なんて言うか… いつか機会があったら

聞いてみたい気もするけど

やめといたほうがいい気もする(^^;

 

 

 

 

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gooブログサービス終了について

2025-04-25 15:15:48 | ひとりごと

こちらのブログを始めて、12年が経ちました。

今回、あと半年でサービス終了と知ったときの驚愕!!!

そのショックからなんとか抜け出そうとジタバタしましたが

一応、今後のことを決められそうです。


過去記事をどうするかに、いちばん悩みました。


お引っ越しサービスをして下さるとわかっていても

このgooブログのテンプレートを背景にしてしか

自分の書いたものを思い出せそうにないし…


ここまでで終了。放置・削除でもいいような気もして。

(これはこれでいい区切りかもしれない)


それでも…


このブログには、もう会うことのできない人たちのことを

主に書いてきました。

その人たちのことを、自分が忘れてしまわないうちにと

書き始めたようなものでした。


その後、鳥さんたちのことや

自分がぼんやり思うことを書くようにもなりましたが…


それらは消えてしまってもかまわない。でも

「もう会えない人たち」のことは

わたしが読んだり(見えなくなっても聞いたり)

出来る間は、やっぱり残したいなあ… と

思うようになって…

 

なので、たぶん「はてなブログ」に

過去記事ごと、お引越しすると思います。


PCに不慣れな自分には大変そうですが

時間をおいて、「お引越し」が混まなくなってから

自分の体調とも相談しながら

ぼちぼちやっていこうと。

 

これまで読んで下さった、書き込んで下さった方々

面倒をみて下さっていたgooのスタッフの方々に

心から感謝しております。


本当にありがとうございました。

 

あと半年、これまでどおり

「ごくごくたま~に」更新されるだけの場所ですが

どうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

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得意なことって…なんだろう

2025-04-06 12:41:36 | ひとりごと

朝起きる前、布団の中で

「自分が得意なこと」っていうのを

ちょっと考えてみた。


…… 思いつかないなあ。


昔は「人間に興味がある」人だったから

人の話を聞くのは好きだった。

でも、上手だったわけじゃないし。


20年に10回引っ越してた頃には

多少は「引っ越しに慣れた」気もしたけど

業者さんとの交渉その他

メンドクサイことは家族の担当だったし。


いろんな理由で、いろんな場所で

「ガマンする」とか、「耐える」とか

必要に迫られてやってきたけど

そんなこと、得意なはずないし。


ずうっと無職の主婦(モドキ)だったから

仕事上鍛えられたことも

求めて身に着けたことも、ない。


長く続いた趣味ってのも

(強いてあげれば)映画と本。

あとは近所の散歩くらい。


習ったり、学んだりしたことがあっても

ほんの一時期。身につかない。


興味を持つことがあっても

なぜか「深く」ならなくて

「得意」レベルには届かないまま。


となると、う~ん……



自分って、ほんと

「なんにもないヒト」なのね。



あ、でも

「よくそんなに、何もせずにいられるわね」

って、言われたことはあったなあ。


それも、当時はとても親しかった人から。

  
そうかあ、人はもっともっと

積極的に「何かする」んだ。

わたしはこれで精一杯なんだけどな~

なんて思った。

 

メンドクサガリで、モノグサで

せずに済むなら、何もしたくない。

 

思い返すと、わたしの場合

長い間、望んできたのは

願い続けた「見果てぬ夢」?は

「緊張せずに、肩の力抜いて

ただただリラックスして過ごす」こと。


だから、ヒマな時間ができると

映画観て、手に入る本読んで

それだけで十分シアワセ。


それすら出来ない時期も

結構長かったと思う。


でもでも……



もうすぐ71歳。だいぶ前から

1日の大半が「自分の時間」

信じられないけど、ほんとにそう(^^;


でも、もっと信じられないのは

それでも「新しいこと」

しようとはしない自分。

 

1年の大半「うつっぽい」とか

この10数年「化学物質過敏」に

つきまとわれて、行動の自由が利かないとか

そんなことが理由じゃない。

 

もしかしたら……


わたしは「何もせずにいる」ことが

ほとんど特技なのかもしれないって

気がしてきた。


こんな生活していて

「することがなくて退屈」って

感じたことが一度もないんだから。



履歴書にも書けないし

人にもうまく説明できない「特技」


筋金入りのナマケモノ。


動物のナマケモノは、あれで十分

頑張ってるんだと思うけど

今のわたしは、いつのまにか

「頑張れない」人になっちゃっただけ。


そもそも素質があったからだし

もうそれでいいやって

オナカの底から思ってる… のかな。

 

(……まで来て、やっと起きる気になった)

 

 

 

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人は気分で生きている?

2025-01-26 16:25:57 | 出会った人々


30年近く、前のこと。


「学校に行かない子をもつ親の会」主催という

講演会での記憶です。


演者は「小児精神科医」の

草分けのような方。


わたしのこどもたちも、小学生の頃から

「学校には行かない」人になっていたので

勧められて、講演を聴きにいきました。

 

講演のタイトルは気にしてなくて

よく見てなかったのですが…


講師の先生は開口一番


「こちらへ来る途中

講演のこのタイトルの意味を

ずっと考えていました」


御自身が決めたタイトルではなく

「こういうテーマで話して下さい」と

依頼された… ということなのでしょう。


飛行機の中で、それをずっと

考えていたのだと。


そのテーマ(タイトル)というのは

もうオボロな記憶ですが

「人はなぜ生きるのか」

といった言葉だったと思います。


「人間は何を求めて」とか「何に支えられて」

生きていくものなのか… というような意味でしょうか。



「色々考えた挙句…」と、先生は


「人は何かを求めて生きているわけではない」

「少なくとも自分は、なぜ生きているのか

目的も理由も思い当たらない」


「うちのネコは、何も考えずに

生きているように見える。そして

それが間違っているようには思えない」


「結局のところ」と、一息ついて

先生が口にされたのは


「人は気分で、生きているのではないかと」



「人間の脳には、新しい部分と旧い部分があって

あらゆる生き物と共通なのは旧い方です。

新しい脳は『進化の頂上』とか言われるようですが

生き物としては『すぐ混乱する』『簡単に誤魔化される』

部分なんじゃないかと」

 

こどもが学校に行かないだけで

親はものすごく不安になってしまう。

不登校のこどもを苦しめる最大の問題は

この『親の不安』だと自分は思う。


そういった親の不安は、世間の常識や

自分がこれまで言い聞かされてきたことを

新しい脳が蓄積していて、その記憶に

人は翻弄されたりダマされたりするのだと

先生は言いたそうでした。



30年も前の講演内容を憶えているはずもなく

ここまで書いたのも、ほとんど

妄想記憶かもしれません(^^;


でも、あのとき聞いたひとこと

「人は気分で生きている」

は、その後も長くわたしの耳に残りました。

 

自分の場合「アタマで考えるとロクなことにならない」

というのは、長年の経験から感じていたこと。


それに意外な方向から応援が来たようで

ちょっと嬉しかったのかもしれません。



講演当時、70代?と思われた渡辺位先生は

その後、84歳で亡くなりました。

「不登校は文化の森の入り口」

というタイトルの本が残されるような方でした。

 

当時はまだこどもだった、わが家の若い友人たちも

学校とは無縁のまま、今は30代のオジサンになり

とっくの昔に、親子で立場が逆転しています。

 

「人は気分で生きている」


あらゆる生き物と共通の「何か」を感じながら

ただ生きているだけでいいのだと。



この言葉は、今も

色々なことができなくなりつつある

わたしを支えてくれています。

 

 

 

 

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