眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

映画が観たくない。そして・・・

2009-06-16 18:45:59 | 自分のこと
ここ3ヶ月ほど、これまで経験したことのないような調子の悪さで、ほとんど家に籠もっていた。

どうしても行きたい、或いは行かないと相手に迷惑がかかるような時だけは、数日前からそのつもりで体調を整え、エネルギーを貯めて、なんとか当日家を出られる・・・というのは、元々私にとってはごく当たり前の日常で、珍しくも何ともないのだけれど、今回のはそれとはちょっと違っていたのだ。


とにかく、何にも興味が持てない。

元々「うつ」っていうのはそういうものじゃないかと言われそうなので、もう少し説明すると・・・

ここ数年、子ども達が大人になり、私が自分の都合だけで動けるようになってからは、「調子が悪い(エネルギーレベルが下がってきている)」時には、その程度に応じて、その時に出来ることだけをするようにしてきた。それで不都合はなく、私にとっては「エネルギーがない」状態は、別に「落ち込ん」だり、「苦しい」と感じたりするようなことではなくなっていた。

動作が遅くなるので万事時間がかかるとか、スーパーに買い物に行けたとしても何を買うか決められないとか、要するに「頭が働かないので困る」というだけのことだったのだ。

もっと具合が悪くなって起きられないくらいになっても、大抵本だけは読めたので、いい機会だと思い枕元に積んである本の山を低くしている中に時が経ち、やがて起きられる日が来る・・・といった具合だった。(仕事をしなくても暮らしていけるからこそ、出来る生活だとはいつも思ったけれど。)

勿論、それ以前、小さい子どもを連れて引っ越しを繰り返していた頃、或いはその後、学校をやめて家に居るようになった彼らを連れて、教育研究所に通ったりゲームショップを車で回ったりした頃、さらには自宅がフリースペース状態になって、毎日家が子どもで一杯?だった頃・・・・・私は大抵「元気」ではなかったので、襖一枚隔てて寝ているのも珍しくなかった。夕食の後片付けが終り、洗濯物を干して、漸く布団に入れる時が来ると、本当にほっとして、そして「ひとりでいたい」「ひとりきりになれたら」と痛切に思った。

けれどそれは、今となっては本当に昔々のことのような気がしていたのだ。それくらい、私は私なりに自分の「うつ」と共存出来る時季が漸く来たのだと思い込んでいたらしい。今回のことは私を困惑させた。


まず、「映画を全く観たいと思わない」。

「上映会場まで行くことが出来ない」なら珍しくないのだけれど、ずっと楽しみにしていた映画が歩いて3分という場所で上映されるのに、行く気にならない。勿論、遠い映画館なんて頭にも浮かばない。

仕方がないので、家で録画したのくらい見られないかな・・・と試してみる。

すると、見ていてもストーリーは完全に「他人事」。「時間潰し」をしているだけ・・・という感じがしてくる。当然集中出来ないので、途中で見るのを止めたくなる。辛うじて出掛けた会場で映画を観ている時だと、途中で何度も何度も時計を見る・・・という有様。

「映画を観る」ということは、私にとっては「毎日ご飯を食べる」よりも、もっと当たり前のことだったのに。食欲がないことはあっても、「映画を観たくない」なんてことが自分に起きるとは思っていなかった。私、一体どうなっちゃったんだろう・・・。呆然としている中に、漸く他のことにも気がついた。


例えば、元々私は「社交」に類することが本当に苦手だ。自分からメールや電話をすることはまずない。食事やお酒に誘われても、やんわり断るのが普通になっている。

それでも、とても親しい少数の友人から来たメールには返事も出すし、(その時寝込んでいなければの話だけれど)電話にも出る。彼らと話すことは、私にとっては幸せな時間であることがこれまで多かった。同じ市内に住んでいる貴重な友人とは、たまに会える機会があると、とても嬉しい。

ところがこの3ヶ月の間に、私は古くからの友人たちとの電話の後、疲れて調子がさらに悪くなったり、なんだか腹が立ってきたりするのを、はっきり自覚する機会が続いた。姉とは電話で大喧嘩を(私が売った形で)したりした。

私は基本的に「人の話を聞く」のが好きなので、電話やメールで腹を立てたりすることは、まず無いといっていい。姉も友人達も、人を傷つけるような言い方はしない人たちだ。

それに、そもそも私はいつの間にか、人からどう見られるかがあまり気にならない人間になってしまったようで、例えば「あ、私ちょっと馬鹿にされてるんだな・・・」とか、「ヘンなヒトに見えてるんだな・・・」などと感じても、別に傷つくわけではなく、腹も立たない。まあ当然か・・・などといった感じで、人から理解されない(或いは誤解される)といったことは、私の自尊心とは関係ないことのように感じてきた。子どもの頃、若い頃、あれほど人の眼に怯えていたのを思うと、いつの間に・・・と自分でも不思議な気がするけれど。

だから、なぜ突然、親しい人たちからの電話やメールを後からシンドイと感じるようになったのか、自分でも解らなかった。その時その時点では、それなりに楽しく喋っているつもりだったのに。


それでも・・・さすがに自分でも気がついたことがある。


要するに、私は狭いマンション、3人の家族、それだけで、十分楽しく暮らしているということなのだ。

家からあまり出ないということを別にすれば、私はこの3ヶ月でさえも、まあまあ普通に暮らしているつもりだったのだ。映画が観たくなくなっても、辛うじて本は(選べば)なんとか読めた。考えをまとめることが出来ないので何も書けないけれど、それはもう一旦諦めればそれまでだ。

家族とも普通に話し、普段通り一緒に笑った。私がふと「お腹の具合が良くなくて、何も食べられないからツマラナイ。」などと言うと、下の息子があっさり「じゃあ枕元の本でも食べてなさい(笑)。」と、自分もまだ読んでいない新しいライトノベルを、さらに数冊、本の山の天辺に積んでくれたりした。仕事から戻った上の息子と四方山話をし、家事その他を分担して貰って、夜は辛うじて作った夕食を出し、帰宅した夫も加わって、それなりに団欒の雰囲気になる。

父親と息子達が楽しげに話しているのを遠くから見ていると、私はいつも、なんだかとても幸せな気持ちになる。

子どもの頃からずっと、「普通の人になりたい」「普通の暮らしがしたい」と思い続けてきた。「そうかあ・・・夢が叶ったんだ」と気がついたのも、そういう何でもない夕食風景からだったと思う。


ふと、私を包んでいる透明なタマゴのカラが、私の家と家族も包含するようになった・・・そんな気がした。同時に、自分は本当に、人の間で生きていく人間じゃあなかったんだな・・・とでもいうような感慨もあった。(あれほど「(人を)見ているのが好き」だった私は、一体どこへ行ってしまったのだろう。)


もう一つ。発病後のこの2年半、毎日のようにかかってきた姉からの電話のことがある。

彼女と話した時間のもたらしたものは大きかった。結局、私は彼女を相手に、「言いたいこと」を「言うべき相手」にはっきり言う経験を積ませて貰ったことになる。人は自分の思うことを、それと自覚した方がいいのだということ。そして、それを言うべき相手に言っても構わないのだということを、彼女と私はお互いに教え合ったことになるのかもしれない。誰ともしたことのないような壮絶な喧嘩?を何度かした揚句、私は漸くそのことに気づいた。


もしかしたらそのうち、私の透明なタマゴのカラは家族以外も含むようになるのかもしれない・・・そんなことも考える。その頃にはきっと、カラは殻ではなくなっているだろう。



ここまでを過去形で書いたのは、最近やっと少し元気になって、映画も「観たい!」と思うようになり、外出も出来るようになり、何よりあの「キラキラしたもの、ドキドキすることなんて何も存在しない」無彩色の風景じゃあなくなってきたからだ。

姉との2年半は私を、相当深いところで消耗させたのだろう。「映画が観たくない」ところまで私を磨り減らした出来事・時間ではあったけれど、それでもこれは私にとってはとても幸運な出来事でもあったのだと、今本気で思っている。(勿論、発病自体は姉本人にとっては、不運不幸な出来事だったのかもしれないけれど。)


もう少し自分の中で整理がつくまで、文章にはしない方がいいのかもしれない・・・と思いながらも、書き始めて良かったとも思う。

まだ上手く表現できないことではあるけれど、自分にとってとても大きなことが、いつのまにか自分の中で進行している・・・そういう感じが、ここまで書いてきてさらに強くなった。



最近ある作家が、「それまでの自分が持っているものをすべて失うほどの破綻の後に、初めて人間、人生、人の世の実像を見ることが出来ると私は思っている。その人の人生は、破綻の後に始まる。」と書いているのを目にする機会があった。

これまでに「破綻」というほどの経験をせずに済んだのは、私はとてもラッキーなことだと思っているので、今更人間だの人の世だのを知ることが無く終わっても、全然構わない。

それでも・・・・・なぜだろう。私は私で、自分の人生がやっと始まったような気がしている。(これが「ちょっと元気になりかけた」時の錯覚かどうかは、それ相応の時間が経ってみないと判らない。)


遅くても、スタートしないよりはずうっといいことだった・・・いつかそう思えたらいいな。








『透明なタマゴのカラの中で』 http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/841b5787a09fcf04bd5178fadc9b9cb7

『過去からの電話』  http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/368328dfee6678a29101cf2a80f5f3a9







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2 コメント

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トンネル抜けて~(ボガンボス) (お茶屋)
2009-06-16 19:42:15
本、食べてましたか(^_^)。
『ロルナ』に間に合って良かったですね。
私も休みが取れたので、昼の回に行って、夜はプールです。
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もう、ワヤクチャでした~(笑)。 (ムーマ)
2009-06-16 21:06:00
でも、本が読める間は大丈夫!っていうのを再確認してます。小さい頃の最大の娯楽っていうのは、ほんと有り難いモンやな~って。身体が弱くて寝込んでばかりいたのに感謝~みたいな(笑)。

私は現世に復帰?ですが、お茶屋さんもネットに復帰??されて、チネチッタ高知のファンとして、密かにとっても喜んでいます。『休暇』のかるかん、感動して読みました。私が漠然と感じたことを、こんなに整然と言語か出来る人が居るんだ・・・(惚れ惚れ)。って、ここに書くのもヘンなんですが。

『ロルナ』観られるようになって良かったですね~。また感想を聞かせて下さい。

こんなに早く来て下さって、そして書き込んで下さって、本当にありがとうございました。
また書こうって気力が湧きます(口先オンナ・でも本当デス)。
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