眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

『愛、アムール』

2014-05-16 18:46:18 | 映画・本

長~くなった「ひとこと感想」その9。(ネタバレです)

 メモを書く際、自分が何を感じているのか、自分でも把握しにくくて困ったのを思い出す。それでもなんとか書いておきたくて・・・

「公開時の評判がとても良かった記憶があって、私は自分でも気づかないうちに、もっと違う“何か”を期待していたらしい。でも、この美しい映画には、私を深い所で納得させてくれるようなモノは、結局見つからなかったのだと思う」

「もしかして、私が異邦人(アジアの)だから理解しにくいのだろうか・・・とか、ヨーロッパではこれを“愛”(フランス語の原題)と呼ぶのだろうか・・・とか。理想主義的?なような、或いはそれとは反対の、もっと現実まみれの複雑なモノが絡み合っているようなこの老夫婦の間の“愛情”は、社会的な支援体制がそれなりに整っている(“家族”による介護が前提とはされていない)土地では、めったに見られない風景として、人々の眼に「美しく」映るのかなあ・・・などと思ったりもした。でも・・・」

「あくまで私の感覚での話だけれど、日本では(たとえどれほど誇りと尊厳に満ちて見えようとも)、これは例えば“無理心中”とか、“共依存の果て”などという言葉が付けられるような種類の出来事に見えてしまうんじゃないだろうか。」

「この夫婦がそれでも最晩年に持つことが出来た、ああいう幸せな時間・瞬間は、夫がひとりで全責任を負わなくても、もっと違うやり方を探して、持つことが出来たものなんじゃないかと、どうしても思ってしまう・・・それは、フランス流の個人主義?と表裏接するような“愛(アムール)”を知らない者の感覚なんだろうか」

ここからは、その後もアタマの片隅から消えなかったモロモロの思いを少しだけ。

『屋根裏部屋のマリアたち』という映画を観たときのこと。終盤、物語の本筋とは関係ないところで、ある夫が自分の妻のことを、“愛を知らない女”と呼ぶ場面があった。私は、なぜか一瞬、もしかして私自身も“愛を知らない女”という風に見えてるかも・・・と思った。なぜソンナコトを思ったのか自分でも不思議だったけれど、この『愛、アムール』が描こうとしたものが“愛(アムール)”なのだとしたら・・・私は本当にわかっていないのかもしれない(^^;。

でも、私は(アムールはともかく)自分が大切に思っている相手に、よりにもよって“殺人”なんてさせたくない。「この先、病院には絶対入れないと約束して!」と迫ったとき、妻には相手(長年一緒に暮らした夫)がどういう人間か、解っていなかったのだろうか。

この夫の誇り高さは、迷いながらでも一旦約束したからには、必ず守るだろう・・・と私の眼には映っていた。自分が冗談めかして口にしたような最期(「そのときは貴方が殺してくれる?」)になるかもしれないことを全く考えなかった(或いは本気で期待した)のだとしたら、自分の人生で一番難しい事態の解決をそういう形で夫に丸投げ?してみせた彼女を、私は身勝手だと感じてしまう。

でも・・・困るのは、この物語が他人事とは思えないこと。私だって“その時”が近づいてきたら、見ないようにしてグズグズ先延ばしにした揚句、自分で対処する方法を探したり決めたりできなくなって、彼女のように身勝手な成り行き任せ・人任せをする可能性は十分にある。(若い頃には実際、何回かそういうコトをやった気もするし(^^;)

精緻な絹レースを見るような気がするくらい、考え抜かれ、美しく織り上げられたこの映画を、私は本当はもう少し繊細な気持ちで観ていたかったのだと思う。だから“納得させてくれるもの”が見当たらなかったような気分が残って、メモにもそう書いたのだろう。壁に掛けられている絵画の使い方、迷い込んでくる鳩のエピソード、夫が書いていたもの(日記?手紙?)・・・などなど。もっと丁寧に観て考えたかったシーンはいくつもあった。

それでも・・・妻(エマニュエル・リヴァ)がピアノを弾くシーンは美しかった。久方ぶりに会ったジャン・ルイ・トランティニアンのごく自然に見える演技力も。


感想なんか書きたくても全然書けそうになかった自分が、気づいたら既にここまで長々と書いてしまっているのは、この映画の作り手であるハネケ監督という人の力なんだろな・・・以前『ピアニスト』を観た後も同じような気分を味わったのを、今になって思い出した。『白いリボン』をいつか観ることがあったら、きっとこのモヤモヤした気分が待ってる・・・ような気がする。(それでもやっぱり観に行くんだけど(^^))

 
 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ハナ 奇跡の46日間』 | トップ | 2%は天使の取り分 ・・・... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ハネケ監督 (お茶屋)
2014-06-10 22:57:26
ハネケ作品もW・アレン作品と同様に、私にとっては「面白いけど好きじゃない」というところに分類されてしまうんですよねぇ。

愛というのは当事者じゃないとわからないデスよね。だけど、私は愛に限らず「当事者じゃないとわからないもの」として片付けるのがあまり好きじゃないのですね。なんか哀しい気がする。
あのご夫婦の娘さん(イザベル・ユペール?)も両親の間の愛がどんなものだったかわからなくても人生に何の支障もないとは思うけれど、理解したいっていう気持ちがあってほしいし、わかったような気になっただけでも慰められると思っていたので、ムーマさんが「もっと丁寧に観て考えたかったシーンはいくつもあった。」とお書きのところを読んでちょっと嬉しくなりました。
返信する
迫力(凄味?)に負けるのかなあ(^^; (ムーマ)
2014-06-11 12:39:20
お茶屋さ~ん、

>ハネケ作品もW・アレン作品と同様に、私にとっては「面白いけど好きじゃない」というところに分類

私もそうですね・・・。お茶屋さんに言われて気がついたんだけど
アレン監督の軽味みたいなものって、案外貴重なのかも(考えたことなかった)。
私はハネケ監督の振り回す刃(銀色の古い剣とか?)の重さに
ついて行けないようなモノを感じるみたい。
映画自体は決して重たくはないし
『ピアニスト』みたいに自分なりに理解出来る気がしたりして
面白いと思って観てるのに。

あのご夫婦の娘さんが、最後に両親の家のソファに坐って
物思いに沈んでおられた姿は印象的でした。
私の眼には、彼女は結局「閉め出された」立場に見えたので
「わかったような気になっただけでも慰められる」、そんな風情が
私もちょっと嬉しかったんです。
返信する

コメントを投稿

映画・本」カテゴリの最新記事