(監督・脚本:ウディ・アレン 2020 スペイン=アメリカ=イタリア 原題:Rifkin’s Festival)
ウディ・アレン監督の映画は、わたしはこれまで「苦手…」と思うことが多くて…
でも、この映画は好き! 昔観た『世界中がアイ・ラブ・ユー』も珍しく自分が気に入った映画だったけれど、これで2本目が現れたわけで、ちょっと嬉しい~(^^)
今回気に入ったのは2点。
ひとつは、超有名なクラシック映画の中のシーンを、見せてくれたり思い出させてくれたりすること。
といっても、わたしなどにはどういう作品へのオマージュか、わからなかった部分も多かったのですが。(後で調べてみたら、そういうのはブニュエルやベルイマン作品からのもので、わたしがわからなくても当然と(^^;)
『市民ケーン』『8 1/2』『突然炎の如く』『男と女』『勝手にしやがれ』辺りは、わたしでもなあんとなくワカル。(わかるように演出されているので)
そんな昔の名画シーンは、主人公(大学の映画学の先生で、永遠に未完?の小説を執筆中)の見る夢としてモノクロ映像で現れるのですが、それらがどれも、とても美しいのです。
スペインの観光都市サン・セバスチャンの風光明媚もきれいに撮られているのですが、夢の白黒モノトーンにかなわないと感じてしまったのは、「さすが(昔の)名画!」なのか、「(この映画の)演出の妙」なのか…
しかも、そういうオマージュ・シーンが、アレン流のコメディとしてアレンジされていて、思わず笑ってしまった箇所がいくつもありました。
そして2点めは…
映画の大部分で、主人公は(いつもながらの)ジタバタドタバタ。思い込みや勘違い、それを人に気取られぬ工夫。格好を気にしないように見せながら、格好を気にするインテリ風に見えます。
仕事・結婚生活・ラブアフェアー(本気?)… 彼も周囲の人たちも、人生は困難やアタマがいたくなることの連続のようなんですが…
終盤、妻に離婚を切り出された後、夢の中で「死神」と対話した主人公は、自分の人生の「見直し」が出来たんですね(エライ!マジで)
自分がそんな大した人間じゃなかったのを認めることができて、離婚して出直す?ことになった彼は、なんだか肩の力が抜けて、ほんのちょっとしあわせそうでした。
でも… その後がビックリ!(わたしだけかなあ)
映画のラスト、サン・セバスチャン映画祭でのコトの顛末(つまりこの映画全体)を聞いたはずのインタビュアーに向って
「ねえ、それで…どう思った?」
ニッコリ笑って感想を聞きたがる彼は、やっぱり「終始自分にしか興味が無い」ナルシストのままに見えて、わたしはつい笑ってしまいました。
でも、(昔と違って)わたしの方も「微笑ましい」という笑いでしたが。
人はいくつになっても、変わらないものなんですね。仕切り直しをしても、別に人間が変わるわけじゃない。(だから人生を続けられるんでしょうし)
夢の中で、死神が言っていたように
「人生という容器を何かで埋めるしか(人間には)できない」
でも「それが無意味だとしても、空っぽじゃない」
何かで埋めて、それがダメで(後悔して)苦しんで… 神話のシジュフォスのような繰り返ししかないんだとしても、それが生きるということ…なんでしょうか。
とにかく「深刻にならず」「突き詰めず」「思いつめず」、あくまで「ゆる~い(大人の)コメディ」になっていて、しかもその心地よさが「わざとらしくない」ことに、わたしは(勝手に)この作り手の円熟(映画監督としても、長く苦しんできた?ひとりの人間としても)を感じました。
どこまでもナルシストのままの主人公(ここまで来ると、ほんとアレン監督ソックリ…って気がする(^^;)を「微笑ましい」と思うようになるくらい、自分の上にも歳月が降り積もった?ような気がして、久しぶりに「アメリカのコメディーを観るしあわせ」を感じさせてくれた映画でした。
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