眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

そりゃあ泣くわぇ、こどもやもん 

2017-06-08 13:33:53 | 人の記憶

13年前。今はなくなってしまった映画館で。

「アンタも来ちょったんやね。
うちら、後ろの方で観ちょったき
気ィつかんかったやろ」

・・・映画お好きなんですか?

「うん。ここも時々来るよ。
今日のはアンタ、どーやった?」

・・・う~ん、まあまあかなあ。

「実はうち・・・最近、姉が亡うなってね。
乳がんやったんやけど、なんかしてやりとうても
何したらいいんかわからんで」

「それで、死んでからもずっと考えよった。
この映画の題名、『死ぬまでにしたい10のこと』やろ?
もしかして、こうしてやったら良かったってことが
なんかわかるかもしれん思て、来てみたんやけど」

・・・期待はずれだった?

「うん。映画は所詮、映画やね。仕方ないけど」


何年か後。自主上映会の会場ロビーで。

「あ、アンタもおったん。
もう観た? アタシは次の回観るんやけど」

・・・良かったですよ~。面白かった。

「そうね。アンタも映画ほんとに好きなんやね。
ねえ、今度一緒に飲みにでも行かん?」

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・ゴメンナサイ。アタシそうゆうのダメやから。
・・・いっつもお断りするんです。ほんとゴメンナサイ。

「えいえい。かまんよ。それじゃ~また」


Uさんと会ったのはそれが最後になった。


Uさんは「学校に行かない子を持つ親の会」の
先輩メンバーだった。

月1回の例会で、よくお会いしたけれど
登校拒否については、「親」に対して
本当に厳しい物言いをする方だった。

同時に、かつての自分がいかに子どものことを
解ろうとしなかったか、ということも
本当に正直に口にされていた。
痛切な後悔と反省が土台にあるのが感じられた。

だから、どんなに言葉がキビシク聞こえても
怖がる必要はなかったのだけれど
私は、Uさんの真っ正直さ、率直さが苦手で
一緒の時は、いつも緊張していたと思う。


そういう「ちょっとコワイ」先輩方が
何人か居られたにもかかわらず
私は例会では(自分の子どものことでなく)
自分自身の子どもの頃のことをよく口にした。

オトナがいかに子どものことを理解しないか
子どもの立場でずっと経験してきた?身としては
他の親御さんたちの話を聞いていると、どうしても
子どもさんの側に感情移入してしまうのだ。

自分が「親」の立場で同様のことを
自分の子どもにしているというのに。

ただ、親御さんたちが感じる、心配する事柄を
同じ親である自分はそれほど感じない・・・
ということだけは、早くから気づいていた。

要するに、私は「ピントのずれた」親だった。

傍目にどう見えるかをあまり気にしないせいで
「コルクの栓のようにポ~ンと浮いてしまう」のにも
それまでに慣れてしまって?いたのだろう。

「何を話しても構わない」というその会の雰囲気に
ただただ甘えていたのだと思う。


ある例会で、本当に珍しいことに
「(親である)自分も、子ども時代に
結構タイヘンな目に遭った」というような
話になったことがある。

そのとき、私は初めて
Uさんの幼い頃の話を聞いた。


「うちは母親が仕事行くのに
アタシはまだ小さすぎて、でも
誰かに預けることもできんていうて
ヒモで柱にくくりつけて
家に一人で置いていったんやと」

「もうワァワァ泣いてたって
大きゅうなってからもよう言われた」

Uさんは、ちょっと黙った。

「親戚の人も、泣き方が凄かったって。でも・・・」


「そりゃあ泣くわえ、子どもやもん。

二つや三つで、泣かんわけなかろ?」


Uさんは、それ以上何も言わなかった。

「ヒドいことされたねえ」といった言葉が
あちこちで聞こえた後、話題はまた
自分たちの子どものことに戻っていったと思う。

 

時が経ち、子どもはオトナになり
親として例会に顔を出すことも少なくなった頃・・・

Uさんも、腰痛が酷くなったとか
オートバイに乗れないから来られないとか
顔を合わせる機会は稀になった。

自主上映会で偶然出会って
飲みに誘われたのはその頃のことだった。


その後何年かして、Uさんの訃報を聞いた。
ビルからの転落・・・という噂だった。


Uさんが、お姉さんについて
言っておられたのと似たことを
私も思わずにはいられなかった。

「あのとき一緒に飲みに行けばよかった。
話したいことがあったのかもしれないのに」

「せめて、どうして行けないのか
もう少し詳しく説明したらよかった」

「私も長年、うつに振り回されてるのに。
そういう話をしても構わない相手だって
薄々気づいてくれてたのかもしれないのに」

私が誘いを断ったとき、Uさんは
「ああ、わかってるわかってる」
とでもいうような表情で
「いいよいいよ、かまわないよ」と
言ってくれたのだ。


亡くなってから何年になるだろう。

後悔の思いは年と共に薄れても
あのときのUさんの照れたような笑顔は
今も忘れられない。






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