眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

2017年に観た映画(オフシアター外国映画編) 

2018-04-07 10:52:40 | 映画1年分の「ひとこと感想」2006~

『イングリッド・バーグマン 愛に生きた女優』(監督:スティーグ・ビョークマン 2015 スェーデン)

自分が出演した『カサブランカ』について、「この映画は自分としては好きではない」と言っていたと聞いたことがある。その理由が、このドキュメンタリーを観てよくわかった。(上映会場でパンフレットを買いに来られた年配の女性2人。ひとりは「『カサブランカ』のあの清純なイメージが大好きだったのに、全然違う人だったのね」。もうひとりは「彼女の性格の良さがよく出てる映画だったよね」。ファンといってもさまざまなんだな・・・と改めて思った。私は後者かな(^^))

http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/49320650.html

『ジャニス リトル・ガール・ブルー』(監督・脚本:エイミー・バーグ 2015 アメリカ)

観た後まもなく、自主上映関係の新年会でこの映画(ドキュメンタリー)のことが話題になって、ジャニスとジャニスの歌について、いろんな話を聞いたのを思い出す。「ハックルベリィ・フィンのように無邪気な」と映画の中で言った人もいたくらい、「正直」で、あどけない、忘れられないような笑顔の持ち主だった。

『太陽のめざめ』(監督・脚本:エマニュエル・ベルコ 2015 フランス)

2本立て上映なのに、もう1本(『ロイヤル・ナイト』)を観ずに帰宅。エネルギー不足で1本しか観られなかったことはあるけれど、余韻を味わうためにそのまま帰ったのは、食い意地の張った私としてはとても珍しい。
カトリーヌ・ドヌーヴは昔から好きで長年観てきたけれど、この映画の役柄は(私にとっては)とてもとても新鮮だった!(儚げな美少女?も、謎めいた若妻も、ゴリラとベッドインする熟女も好きだけど、この「フローランス判事」もこの先長く記憶に残ると思う)
他のキャストもまさに適役。基本「人間しか見てない」ような映画ファンの私が、重いテーマ、深刻な現実(映画の中の、というよりは今目の前にある生の)が描かれる緊張感に耐えられたのは、それらの俳優さんたちの力が大きかったのかもしれないと後から思った。


以下の2本は、「高知県立美術館 冬の定期上映会」(”映画の巨匠「ルキーノ・ヴィスコンティ」映画上映会”)で上映された作品。

http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/49377299.html

『山猫』(4K修復版)(監督:ルキーノ・ヴィスコンティ 1963 イタリア=フランス イタリア語版)

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/42943a3aac2f5fe83fcc465b1173dfb4

『ルートヴィヒ』(デジタル修復版)(監督:ルキーノ・ヴィスコンティ 1972 イタリア=フランス=西ドイツ イタリア語版)

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/d0e6e0bebff4d5e9dbe86fcf57714861


☆『好きにならずにいられない』(監督・脚本:ダーグル・カウリ 2014 アイスランド=デンマーク)

今思い返してみても、「悪意」を持つ人は一人も出てこなかった気がする。主人公はかなり酷い目にも遭うのだけれど、相手はそこまでの悪気はないように見える。映画の原題が主人公の名前(フーシ)で、物語も終始彼の目線で描かれている・・・ということは、フーシはどの人に対しても、ホンモノの憎悪や嫌悪は感じいていなかったということなんだろうか。(今初めて気がついた)

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/babb19d2d5ec8cc0f3eae3e84975fb76

http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/2017-02-22.html

『ニュースの真相』(監督・脚本:ジェームズ・ヴァンダービルト 2015 アメリカ=オーストラリア)

数日前に偶然『スポットライト』(録画)を観たばかりで、私としてはそちらの群像劇の方が好きだったけれど、「TVは新聞より大変だな~」と思ったのと、ブランシェットの美しさ(これまでで一番綺麗に見えた!)が記憶に残る。

 http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/49685620.html

『リリーのすべて』(監督:トム・フーパー 2015 イギリス=アメリカ=ドイツ)

私には、主人公(エディ・レッドメイン)より妻(アリシア・ヴィキャンデル)の方が印象的だった。

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/4c885b7c503abac86adc5610060a5078

『こころに剣士を』(監督:クラウス・ハロ 2015 フィンランド=エストニア=ドイツ)

露骨にソ連側に追随する学校関係者(悪役~)もいて、それはそれで人間らしい?とも思ったものの、それが我が身の利益のためばかりでなく、「その方が皆のためなのだ」と本気で信じての上なのだとしたら・・・なんて、日本の政治状況がふとどこかで重なって見えてきて、イヤな気分になった記憶も。

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/b5f7d58f09e486297c9f2a690385945a

『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』( 監督:ギャヴィン・フッド 2015 イギリス)

ケニアの少女の健気さ、可愛らしさと、若きドローン・パイロットたちの消耗振り。第三者としての安全な高みから、まっとうな批判をする文官と、安全であろうとなかろうと「戦場」にいる軍人、そして、最も危険な現場に立つ現地工作員・・・馬鹿げて聞こえるかもしれないけれど、「どうして戦争って無くならないんだろう」と。

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/dd80a1ac054916cc5eac4df3ec597588

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(監督:ジェイ・ローチ 2015 アメリカ)

今年の「高知オフシアター・ベストテン上映会」でオプションの高知未公開作品として上映された映画。
脚本家ダルトン・トランボの唯一の?監督作品(原作・脚本も)が『ジョニーは戦場へ行った』だと知ったときには唖然!!(あれは凄い作品だと思う)

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/529ae836df53df5cb2da0d24dbc8bc52

『未来を花束にして』(監督:サラ・ガヴロン 脚本:アビー・モーガン 2015 イギリス)

長~い「オシャベリ感想」が残っていて驚いている(^^;(あの帽子につけた紫の花は「連帯」を表すものだったんだ・・・ただ綺麗だなってだけ思ってた自分)

http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/50434173.html


『神様メール』(監督・脚本:ジャコ・ヴァン・ドルマル 2015 ベルギー=フランスールクセンブルグ)

やっぱりこの監督さんの映画好き~♪(^^)

http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/50406198.html

http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/50524166.html

(以下3本は同時上映されたダンス関係の作品)

『ファース ア ファース』(監督:エリック・パウエルズ 1989)

音声としての「言葉」は使われておらず、限られた舞台での所謂「ダンス」だった。振り付けの反復がちょっと退屈?だったけれど、全体としては「素顔・素足」感があって私の好みに合っていて、この3本の中では一番好きだったかも。

『ラブ・ソネット』(監督:ティエリー・ドゥ・メイ 1993)

音声だけとはいえ、ほんのちょっとでも「言語」が入ってくると、私は「理解」しようとして集中が削がれるらしい。屋外での若いダンサーたちの群舞はきれいなのだけれど、「集中」して観ていることが許されない環境(というかプログラム)は苦手なんだと初めて気づいた。

『21のダンス・エチュード』(監督:ティエリー・ドゥ・メイ 1999)

一つ一つの単語について、ダンスが繰り広げられる。高さも生かした三次元空間の「舞台」で、プログラム構成も凝っていて面白いとは思ったけれど、単語の意味が字幕に出て理解できても、やっぱり「言葉」が混じるのは苦手なのかも。映画3本の発表順に、ダンスとしての進化(というか新しさや洗練度)を感じたけれど、私の好みはもっとシンプルなものなのかなあ・・・と、観ながら色々思った記憶が。


☆『父を探して』(監督:アレ・アブレウ 2013 ブラジル)

上映会では、年配のお客さんたちから「難しかった」「ようわからんかった」の声が。わからなくても気にならない・・・っていう人は少ないのかなあ。自分はアニメが好きだから気にならないだけなんやろか。美しいものにはそれだけで、酔っ払っちゃうもんかと思ってた・・・などなど、ひとりでボソボソ考えたりも(^^;。

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/726ca440eaa1c9ec0140c23b3b6453ad

『たかが世界の終わり』(脚本・監督:グザヴィエ・ドラン 2016 カナダ=フランス)

原作は戯曲で、そのタイトルは「まさに世界の終わり」なんだとか。映画は、何と比べて「世界の終わりなんて大したことじゃない」と言ってたのか、私にはよくわからなかったけど、「世界」なんてものより、個人にとって大事なのは(愛している)特定の「人」そのものだということなのかなあ・・・などなど。

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/762ba1980052d3d95cc0a5cb97e56593

『ラビング 愛という名前のふたり』(監督:ジェフ・ニコルズ 2016 イギリス=アメリカ)

どんな目に遭っても、二人は不思議なほど腹を立てない。怒り狂っても当然という場面でも、すぐに「どうするか」という話に移る。「腹を立てるなんて余裕は、この人たちには無いんだ・・・」と気づいたときのショック、切なさを、感想を書きながら思い出した。

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/42d3f110176c462249b8334a15721888

『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(監督:ジャン=マルク・ヴァレ 2015 アメリカ)

私にとっては「よくわからなかった」映画の1本。義父の「車の修理も心の修理も同じこと。まず隅々まで点検して、それから組み立て直すんだ」というアドバイスにもギョッとしたけれど、「隅々まで点検」イコール「分解」と受け取り、あらゆるものを壊し始める主人公の気持ちは、もっとワカラナイ・・・。(腹立ちのあまり、オフィスも自宅も破壊したくなるのならまだしも、この人の場合はそういうこととは違ってる気がした。衝動的に見えても、ほとんど本能的な確信からの「破壊」であることが見て取れて、実際そこから「やわらかな心の再生」?という物語が本格的に始まったとも思うので、余計に言葉で整理しにくいのかもしれない)
長いタイトルは映画のラストで、亡くなった妻が車に残した古いメモ(フロントガラスの日除けに挟んで)にあった言葉。「日除け」にかけたジョークとまではわかっても、発見したときの主人公の表情が意味するモノはやっぱりワカラナイ・・・という具合で、結局最後まで自分ひとりでギクシャクしてた気がする(^^;。(映像がいかにも現代的な美しさで、それだけで101分イヤにならずに観られたのかも)

『ブランカとギター弾き』(監督・脚本:長谷井宏紀 2015 イタリア タガログ語)

港の夕暮れは陰影を帯びて、舞台衣装やトラックや家の壁などは明るいパステル・カラー。人々はノリがよくて、歌うこと踊ることが日常に溶け込んでいる(らしい)街の風景・・・少女の声ののびやかな響きも記憶に残る、ある種「美しい」映画だった。

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/2bd20dceb9d7bf2cd3d95902117a1bd9

『ミツバチのささやき』(監督:ビクトル・エリセ 1973 スペイン)

姉妹のお父さんは哲学者? お母さんが手紙を書いた相手は兄弟?想い人? 判らないままのことは色々あるけど、それでも十分、伝わるべきことは伝わった?みたいな気がしたのが不思議。

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/f3ac3bafc02460b79c0a1331897b4b2f

『わすれな草』(監督・脚本・共同製作:ダーヴィット・ジーヴェキング 2013 ドイツ)

アルツハイマー型認知症を発症した母と、介護する父。疲労の見える父を手伝おうと帰郷したドキュメンタリー作家の息子が、友人のカメラマンの撮影で(自分も含めた)家族の日々を記録した映画・・・と、予告編やチラシから一応知ってはいたものの、私の想像とはかなり違うニュアンスの物語になっていて、ちょと驚いた。確かに、「認知症の介護」の困難さを「ユーモア感覚」を味方に、試行錯誤を繰り返しながらやっていく家族の姿を描いているのだけれど、私の目にはむしろ、男と女の間でのコミュニケーションのビミョーさ・難しさの方が、くっきりと浮かび上がって見えたのだと思う。
けれど、「発症」の前後を通じてどんな経緯があったのだとしても、映画の最後で母親が見せる笑顔は心に残る。人は本当に幸せなときに、こういう表情を見せるんだろな・・・と観る者にそのまま伝わる、最高のショットを見せてもらったと思った。

 



(23本 )

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