眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

 「洗脳」という嵐 ・・・・・ 「ヒトラー /最期の12日間」、「白バラの祈り」

2006-07-25 10:34:16 | 映画・本
先日、ある自主上映で「白バラの祈り /ゾフィー・ショル、最期の日々」というドイツ映画を観た。

ヒトラー独裁政権末期のドイツ国内に、「打倒ヒトラー!」を非暴力的な手段を通じて国民に訴えようとした「白バラ」と呼ばれる若いドイツ人グループが実在した。この映画は、その紅一点だった21歳のミュンヘン大学生ゾフィー・ショルが、ビラ撒きの際兄と共に大学構内で捕らえられ、僅か5日後人民法廷で「大逆罪」を宣告され、即日処刑されるまでの文字通り「最期の日々」を、50年間東ドイツに隠されていたゲシュタポの克明な記録を元に映像化したものだという。

以上のような内容の作品紹介を読んで、私がこの映画を観に行ったのには、個人的な理由があった。その「理由」を説明するためには、去年私が劇場で観た別の映画のことも書いておく必要がある。「ヒトラー /最期の12日間」・・・こちらは、ヒトラーが自殺に至るまでの「最期の日々」を描いたドイツ映画だった。

「ヒトラー」というこの映画を観ている間、実は私はヒトラー自身の晩年については全く興味を持たなかった気がする。それどころか、史実やその表現の仕方、俳優の演じ方といったことも含めた作品自体に、そもそも興味を持つ余裕が無くなっていた。私の目は、この映画に描き出された「ナチズムの浸透の仕方(の凄まじさ!)」とでもいうようなものに、釘付けにされてしまったからだ。ひとことで言うなら、ファシズムを支えた「洗脳」である。

この映画の終盤、「投降するくらいなら死を選ぶ!」という若い親衛隊士が何人も現れ、自分の頭を銃で撃ち抜く。ほとんど区別がつかないほどよく似た彼らの立派な体格、金髪、そして何より、美しい薄青のガラス玉のような虚ろな目・・・血しぶきを飛ばして次々と倒れる彼らを見ながら、私はふと、一度も会わない中に死んでしまった父方の伯父のことを思った。


私の伯父は3人兄弟の真ん中で、この映画の当時はやはり出征中だった。当時彼は25歳くらいで、既に医者になって軍医としてだったのか、一将校だったのか、或いは一兵卒だったのかも私は詳しく聞いたことがない。私が知っているのは、彼が終戦時には軍隊に居り、その後間もなく自殺したという知らせを母親が受け取ったということだけだ。どこにいたのか、遺骨もなく、遺髪が少しだけ、後から送られてきたという。遺族年金を親が受け取れるようにと誰かが配慮してくれたのか、戦死扱いとなったらしい。

伯父が死を選んだ理由を初めて聞いた時、小学生だった私は子どもなりにショックを受けた。「戦争が終わったということは、もう自分は用済みになった、だから生きている理由が無い、っていうことなんだよ。」といった言い方で、父は説明したと思う。「用済みって・・・どういう意味で・・・」と、しどろもどろに聞き返すと、父はちょっと首を傾げ、わざと簡単に説明しようとでもするかのように、ざっくばらんな口調で、「天皇陛下の御ためには、自分はもう役に立たないってことさ。自分は天皇陛下のために死ぬつもりで生きてきたのだから、戦争が終わったからには生きている理由が無いってことだよ。」

父はもしかしたら、戦友と一緒に死ぬはずだったのに自分だけが生き残る訳にはいかない・・・といった気持ちを、付け加えたかったのかもしれない。

もっと大きくなってから、私はこの話には続きがあったのを知った。伯父の死の知らせを聞いた際、長男だったもうひとりの伯父は軍医として、末っ子の父は学生で志願した身として、驚くと同時にどちらも「先を越された!」と、痛切に思ったというのだ。故郷を離れて別々の場所にいたふたりは、結局一旦親元に帰り、母親の髪が真っ白になったのを見る。「髪が一晩で真っ白になるなんて、あり得ないと思うだろう?。でも、もの凄いショックを受けたら、人間には本当にそんなこともあるんだってことがあの時わかった。」と、父は真顔で言った。

兄弟3人が、皆それぞれ終戦時自殺を考えたということに、私は一瞬呆気にとられた。身内にひとり、純粋というかちょっとエキセントリックというか、そういう人もいたんだ・・・というだけでは済まなくなったからだ。長兄は27歳という大人の年齢で、父はまだ19歳の若さだったけれど、とにかく3人とも同じような精神状態にあったらしいということに私は心底驚き、一体これは何なんだろう・・・と思ったのが、私が「戦争」と「洗脳」について考え始めたきっかけのような気がする。

その後何年も経ってから、私は一枚の写真を見る機会があった。息子達の出征前に、家族で記念に撮したらしいその写真には、初めて見る亡き伯父の生前の姿が写っていた。謹厳実直を絵に描いたような細菌学者だった祖父、才気煥発でにぎやかな人だったという祖母のどこか硬い表情、ちょっと気難しそうな長兄、ただただ真面目そうな私の父といった顔が並ぶ中で、真ん中の伯父は本当に屈託のない明るい笑顔を見せていた。他の誰にも似ていないようにさえ思われる、向日葵の花のような笑顔・・・伯父が「ちょっとエキセントリック」なところなど全く感じさせない、所謂「ナイス・ガイ」の雰囲気を持った青年だったのに、私はまたまた驚いた。長兄や弟よりもよほど余裕を感じさせる、「終戦時の自死」などというものとは無縁の人に見えたのだ。・・・私は内心ゾッとした。

伯父の死が、「ヒトラー」の若い親衛隊士達ほど衝動的だったのかどうかはわからないし、伯父が所謂BC級戦犯といった立場だったのかどうかも、私は聞いていない。もし仮にそういう事情があったのだとしても、私がこの時感じた息の止まるような痛ましさは変わらないだろう。加害者であろうとなかろうと、或いはたとえ自分で望んだ結果の死であろうと、伯父は戦争の被害者のひとりだと、この時強く感じた。それまでは、戦争を経験していない自分が軽々しい批判など出来ないと思うようにしていたのが、この時から少し変わったのかも知れない。「戦争の被害は戦場と同じくらい、後方の日常の中にもある」ということは、当時13歳の女学生だった母からよく聞いた「戦時教育」や「勤労奉仕」といった日常からも窺われたが、それ以上にこの伯父の笑顔は象徴的に感じられ、私が受けたショックも大きかったのだと思う。


私が「白バラの祈り」を観に行ったのは、21歳のゾフィーがどうして、あの時代ああいう社会情勢の中で「ヒトラー打倒」、「戦争の即時終結」といったことを、他に訴えられるほどの自分なりの確固とした意見として持つことが出来たのか、私なりに本気で知りたかったからだった。

しかし、結論から言うと「白バラの祈り」は、私の疑問にはそれほど具体的には答えてくれなかった。この映画は、あくまでゾフィー達の「最期の日々」に焦点を絞って脚本が書かれており、逮捕に至るまでの彼女や彼女の仲間達の成長の軌跡などには直接触れてはいなかったのだ。

ただ、彼女の父親が町長で、ヒトラー批判により処罰されてもいるような人だったことや、母親が敬虔なクリスチャンだったことから、ナチズムには染まりにくいリベラルな雰囲気の家庭環境だったのだろうとは想像された。なんとかひと言でも弁護したいと、子ども達を裁く法廷に父親が乗り込もうとする場面や、両親と娘の最後の別れの場面など、深い愛情と同時に娘に対する信頼を強く感じさせる親子関係だったことが窺われた。ゾフィーの信仰や自分の良心に従って生きたいという気持ちは、これらがあって初めて育つものだったのだろうと納得がいく。

彼女を含む「白バラ」のメンバーが、当時は報道規制があって一般には知らされることの無かった客観的な情報を、何らかのルートを通じて手に入れていたことも大きい。ゾフィーを尋問したゲシュタポの係官は、息子と同年齢のゾフィーを死なせたくないと、彼女に「仲間の名前を教えれば、命は助かるようにする」と本気で持ちかけるような、善良な人柄だったけれども、スターリングラードでの敗北はともあれ、強制収容所についてはその存在を本当に知らなかったように見えた。ゲシュタポとはいえ、彼も権力からは遠い所に居る「一般人」のひとりにすぎなかったのだろう。

結局、私は映画を観ている間、ゾフィー達と伯父や私の父との「分かれ道」が判らず終いだった。当然と言えば当然の話だが、漠然とした疑問が増えるばかりだった。

客観的な情報から隔離され、ある特定の考え方とそれに沿った一部の事実だけを、それも歪曲して一方的に注ぎ込まれるような、その時代特有の「洗脳の嵐」から身を守れる人というのは、どれくらい居るものなのだろう。そしてそれは、どうしたら可能になるのだろう。そもそも、実際の反戦活動まではしなくても、ましてゾフィーのように「仲間を売るくらいなら反逆罪としての死を選ぶ」ような決断をすることなど無くても、同じように良心の痛みを感じ、戦争の終結を息を潜めるようにして待ち望んだ人達は少なくなかった筈だと思う。私の伯父や父のような人の方が、当時の日本でもむしろ少数派だったのだろうか。

私は以前、学徒出陣で亡くなった若い学生たちの遺した文章を読んで、個人では避けようのない「戦争」という圧倒的な運命の前に、どうやって「死ぬこと」或いは「殺すこと」を論理的に正当化し自分を納得させるかに、彼らがいかに悩み苦しんだかを垣間見た気がした。ファシズムに、教育その他を総動員しての「洗脳」という作業は付き物なのかも知れないけれど、コトはそれほど単純でもないのだと、その時感じた記憶がある。伯父達も、そういう苦しい作業を自分に課したのだろうか。それとも、もっと素直に、それこそ当然の事として「天皇陛下の御ために死ぬのが自分の使命」と信じられたのだろうか・・・。


映画の中でのゾフィーは、尋問する係官にヒトラー政権がいかに間違っているかを根拠を挙げて説明し、彼女達を「有罪にするために」開かれた法廷でも一歩も引かない。毎夜、神に祈ることで恐怖と闘い、両親との最後の別れの場では「天国で会いましょう」と静かに答える。その後、部屋を出てからこぼれた涙を尋問した係官に見られ、「両親との別れのせいよ。(死ぬのが怖いんじゃあない!)」と言って、昂然と背筋を正して見せる。自分の考えを自信を持って主張出来る知性と、自分で自分を必死に支える誇りの高さ・・・大人びた風貌や行動の隙を衝いて、ほんの一瞬、幼さがこぼれるほど若い彼女が、夜、連合軍の爆撃を、まるで「自由」が近づいてくる前触れの花火ででもあるかのように、窓辺で見上げる場面を見ながら、私は何とも言えない気持ちになった。

映画は、ゾフィーと兄ともうひとりの仲間が別室の小さなギロチン(!)で処刑される場面で終わる。が、その後エンディング・ロールの背景には、実在の「白バラ」のメンバー達の写真が何枚も映し出される。

悪戯のように慣れない手つきで煙草に火を付けている実在のゾフィーのボーイッシュな可愛らしさに、私は改めて彼女の若さを実感した。他のメンバー達も、皆明るく屈託のない表情で、ほとんどファッション雑誌のグラビアでもみているような錯覚に陥りそうになった時、私は反射的に、亡くなった伯父のあの写真を思い出した。あの向日葵のようだった伯父の笑顔・・・。

彼らは皆、死の直前、本当に若かったのだとしみじみ思った。若かったからこそ、彼らは死んでしまったような気もした。「戦闘」でも「空襲」でも「飢え」や「病気」ですらない、しかし「戦争」がもたらした若い人達の死・・・。

疑問が増えるばかりで何も判らないままだったのに、なぜか私はこの時少しだけ何かを納得し、その分だけ、僅かに涙が滲んできた。




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7 コメント

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ブックマークしましたよ~ (お茶屋)
2006-07-26 19:29:40
ムーマさん、全部読ませていただきました。

どの書き込みも泉にポトンと落ちた小石のように心の底に静かに沈んでいく、心地よい重みのある文章ですね。



戦争にも繋がりかねない一般市民の「洗脳」というか、社会全体の雰囲気については、近年思うところがありまして、私なりに「こういうことだろうなー」という“今のところの”答えは持っております。

いまだに答え探しは続いておりますが、やはり映画から得るところは少なくないですね。

そんなわけで、いや~、映画って本当にイイものですねー。

これらもムーマさんのペースで更新していってくださいね。楽しみにしています。

どうもありがとう! (ムーマ)
2006-07-26 22:32:39
こんなに早く読んで下さったんですね(驚)。(たった今、サンライズの掲示板で「コード・ネーム空中遊泳・・・」とあったので、もしかして・・・と思って来てみたら、やっぱり!)



ブッキラボウな文章が長く続くせいもあってか、読んでくれたごく親しい友人達に、「コメントはちょっと書けないけど・・・。」と言われるので、思い切って「コメントは要りません」と、昨日は書きました。でも、こうして書いて下さると、やっぱり、「とっても嬉しい!!」。



また、忘れた頃に更新すると思います。それで構わないと言っていただけたことで、何だかちょっと、元気が出て来ました(笑)。



本当にありがとう!! パケラッタも楽しみにしています。



めでたや、めでたや (ガビー)
2006-07-27 23:40:59
ムーマ流ブログの誕生、おめでとうございます。

ムーマさんがPRされないものだから、僕もやっとその存在に気がついた次第。



ムーマさんが、自分のホームページを持たれたということは、水を得た魚、空を得た鳥のようなもの。(例え低空飛行でも、飛べるだけましと言うもの。)



ゆっくり読ませていただきますが、これからも遠慮のない意見をビシバシ展開して、ムーマ・ワールドを存分に構築して下さい。
みんな消えてしまう前に (ムーマ)
2006-07-28 09:29:51
ガビーさん、

来て下さって本当にありがとう!。



自分のことが整理されるにつれて、古い記憶がセピア色に変わって薄らいでいくのを感じるので、せめて既に居なくなってしまった人のことだけでも書き残しておこうと思ったのが、このブログを始めた理由かもしれません。



「PRしない」のも、忘れつつある自分(勿論、実際は年齢的なものが大きいのでしょうけれど)のために書いているという気持ちが強かったためです。



でも、お茶屋さんといいガビーさんといい、本当に心優しいコメントを下さったので、「思い切ってPRして良かった!!」って、今なんだかシミジミしてます(笑)。



本当に・・・エネルギー不足のヒコーキには、とっても嬉しい言葉でした。



またお時間のあるときに、どうぞのぞきに来て下さい。(なかなか増えないので、たま~にでも大丈夫です(笑)。)
何と言ったらいいのか。。。 (CHON)
2006-08-03 04:30:27
初めまして。



私の父も第2次世界大戦で2度招集されたそうです。

あまり、語ってくれませんでした。

私が父に疎まれていただけではなく、そんな事よりもっと重いとても口に出せない何かがあるのかもしれないと、幼心にうすうす勘付いていたように思います。

私はそういう時、考えないようにしてしまうので、すっかり、忘れていました。

父のそういう一面を、今思い出したところです。



何か伝えたいものがあったのでしょうか?

初年兵として満州へいった時、何があったのでしょう?

もう、聞くすべがありません。

ちょっと、哀しい。

だけど、ムーマさんのように深く考えない性質なんですね。

自分の感情を、誤摩化しちゃうんです。



なんだか、ここにくる度に、何かを思い出したり、発見したりして、おもしろいです。

でも、ちょっぴり、怖い。



自分が何かを思い出しそうで。。。



でも、また、来てしまうんだろうな。(^^)

書いて下さってありがとう! (ムーマ)
2006-08-03 20:38:49
CHONさ~ん、

コメント下さって、本当にありがとう!!



読んで下さる方のことを、全く考慮してない文章ばかりなので、ちょっと申し訳なく思うこともあります。(ほとんど、目を瞑ってハダカで踊ってるようなモノなので・・・(苦笑)。)



読みに来て下さってるというだけで、私としてはもう十分です。



私自身も、父とはいろいろあったため、こちらから何かを訊いたことはありません。ただ、わたしの父は、あの世代としては珍しいくらい「話すことが好き!」な人だったので、私は「聞かされる」ことが多かったのだと思います。



でもでも、とにかく、「本当に、ありがとう。」

私も、こういうモノを書くだけ書いて空っぽになったら、きっとCHONさんのように自由に生きていけるんじゃないかって思う時もあるんです(内緒ナイショ)。
TBありがとうございます (ムーマ)
2006-08-04 17:57:16
>「心理学を考えよう」さま



TBして下さってどうもありがとうございます。

私自身は心理学とはほとんど無縁の者ですが、何かの折りに参考にさせていただきます。

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