前回の項(シリーズ デンマークの教育『幼年期の教育』)でも少し触れましたが、デンマークでは教育の場において障害を持った子どもへの取り組みが早くからされていました。しかし、デンマークでも様々な紆余曲折があって、現在の形にたどり着いたことを最初に言っておく必要があります。
前項では、一般の児童と障害を持った児童が早くから同じ環境にいることで、障害者への偏見をなくす、ということを書きましたが、現在では必ずしもそのような考えではなくなっているようです。
まず、デンマークの障害者教育が日本やその他の国と大きく異なるところは、デンマークには障害児のための教育に関する特別な法律はない、ということです。すべての子どもが平等に国民学校で教育を受ける権利があるのです。ノーマリゼーションの考え方が浸透しているデンマークでは障害者教育は特別なことではなく、ひとつの教育のあり方という考え方なのでしょう。
平等といいましたが、ここでいう平等とは障害の度合いに関わらず全く同じ教育を受けなければならない、ということではありません。障害者に障害者教育に熟知した学級や学校があってもいいのです。障害者教育を含めて、教育には各々の個性(障害も個性ととらえている)に適した教育の場が存在して然るべきなのです。
日本においても、障害をもつ子どもを一般の学校に入れることが平等だと思い入学させる家族もありますが、それが本当にその子のためになっているのかはもう一度よく考えてみる必要があると思います。没個性の教育をしてきた日本の学校で、障害を持った子どもを教育できる先生が何人いるのか?その環境が整っているのか?答えは「ノー」と言わざるを得ません。そのような環境が整った学校はほんのわずかにすぎないでしょう。
ノーマリゼーションはデンマークから始まっていますが、その当時知的障害を持つ子どもの親たちは、自分の子どもを普通の学校に入れることがノーマリゼーションだと思っていました。しかし、今では知的障害者は知的障害者のための特殊学級、あるいは養護学校で教育を受けさせるのが最適だという理解に達しています。また、身体障害者の場合は、普通の学校での授業を理解できる者は補助者を付けて通学できるようになっています。
障害を持った子どもを教えるには、相応の専門知識が求められます。知的な障害に限らず、身体的な障害にも心理面のケアが重要になってきます。日本の学校に身体的な障害を持った子どもが行こうとしても、補助者がいたってどうにもならない建物ばかりなのも問題です。学校の建物の基準も国がきっちりと指導して、融通がまったくきかない建物ができてきた流れがこの結果です。今、三位一体の改革とかなんとかで、教育の権限を地方自治体に移すかどうか(表立っているのは金の話ですが・・・)の話し合いをしているようですが、自由に児童に合わせてバリアフリーの建物を作れるような制度になってほしいものです。
参照:千葉忠夫「デンマークの教育調査 福祉国家デンマークの教育 ~日本の福祉教育への提言~」
前項では、一般の児童と障害を持った児童が早くから同じ環境にいることで、障害者への偏見をなくす、ということを書きましたが、現在では必ずしもそのような考えではなくなっているようです。
まず、デンマークの障害者教育が日本やその他の国と大きく異なるところは、デンマークには障害児のための教育に関する特別な法律はない、ということです。すべての子どもが平等に国民学校で教育を受ける権利があるのです。ノーマリゼーションの考え方が浸透しているデンマークでは障害者教育は特別なことではなく、ひとつの教育のあり方という考え方なのでしょう。
平等といいましたが、ここでいう平等とは障害の度合いに関わらず全く同じ教育を受けなければならない、ということではありません。障害者に障害者教育に熟知した学級や学校があってもいいのです。障害者教育を含めて、教育には各々の個性(障害も個性ととらえている)に適した教育の場が存在して然るべきなのです。
日本においても、障害をもつ子どもを一般の学校に入れることが平等だと思い入学させる家族もありますが、それが本当にその子のためになっているのかはもう一度よく考えてみる必要があると思います。没個性の教育をしてきた日本の学校で、障害を持った子どもを教育できる先生が何人いるのか?その環境が整っているのか?答えは「ノー」と言わざるを得ません。そのような環境が整った学校はほんのわずかにすぎないでしょう。
ノーマリゼーションはデンマークから始まっていますが、その当時知的障害を持つ子どもの親たちは、自分の子どもを普通の学校に入れることがノーマリゼーションだと思っていました。しかし、今では知的障害者は知的障害者のための特殊学級、あるいは養護学校で教育を受けさせるのが最適だという理解に達しています。また、身体障害者の場合は、普通の学校での授業を理解できる者は補助者を付けて通学できるようになっています。
障害を持った子どもを教えるには、相応の専門知識が求められます。知的な障害に限らず、身体的な障害にも心理面のケアが重要になってきます。日本の学校に身体的な障害を持った子どもが行こうとしても、補助者がいたってどうにもならない建物ばかりなのも問題です。学校の建物の基準も国がきっちりと指導して、融通がまったくきかない建物ができてきた流れがこの結果です。今、三位一体の改革とかなんとかで、教育の権限を地方自治体に移すかどうか(表立っているのは金の話ですが・・・)の話し合いをしているようですが、自由に児童に合わせてバリアフリーの建物を作れるような制度になってほしいものです。
参照:千葉忠夫「デンマークの教育調査 福祉国家デンマークの教育 ~日本の福祉教育への提言~」
自分も統合教育に疑問を持っている人間として、なるほど納得。
自分のサイトにこんな文章を載っけたら、
結構批判もいただいたんですが、
いずれは日本もそういった社会になっていくんでしょうね。
「統合教育とはどうあるべきか」
http://homehelp.s53.xrea.com/toranoana/togokyouiku.htm
「統合教育とはどうあるべきか」読ませてもらいました。実際に現場で感じたこととして、貴重な意見だと思いますし、僕もその意見に賛成です。
デンマークでは、サブカルチャーというのが当たり前のように認められています。ここでいうサブカルチャーとは、“もうひとつの居場所”みたいな意味でとらえてください。
例えばサブカルチャーの中には、女性運動、「ゲール(気違い)」運動、ホモ・レズビアンなど様々なものがあり、社会的活動を行い、それが認められている現状があります。
その中で、障害をもつ人たちもハンディキャップカルチャーとして障害をもつ人同士が集まり、自らの居場所を作るとともに社会に対してもアプローチを行っているのです。
そういう現状があるデンマークと日本では、統合教育の考え方をとってもまだまだ大きな隔たりがあって当然かもしれません。