むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

トルクメニスタンについてのブログを見つけた

2005-07-31 22:06:06 | 世界の政治・社会情勢
唐突ですが、北朝鮮と一二を争う神がかり国家トルクメニスタン情報を集めたブログを見つけました。
トルクメニスタン・ニュース

ここで芳ばしい話は、指導者のニヤゾフ氏の命令。
トルクメン指導者が青年期と老年期を再定義
トルクメン指導者、氷の宮殿の建造を命じる

北朝鮮の某将軍様よりも、はるかに芳ばしい。というか、北朝鮮は最近はここまでのとっぴな奇抜さはなくなりつつある。

日本人は北朝鮮にいちいち目くじらを立てて憤っているが、私は憤るのも馬鹿らしいとおもう。日本から離れたトルクメニスタンについて考えれば、余裕で笑えるでしょ。

台湾国民党設立

2005-07-31 20:52:47 | 台湾政治
 台湾各紙によると、7月30日、台湾中部の南投県埔里で「台湾国民党」を名乗る独立派政党が結成された。
 これは、中国国民党の中国化路線を風刺するものだが、登録許可を担当する内政部が「中国国民党と同様の党名は許可しにくい」と渋っているのに対して「台湾国・民党」の意味だ、と切り返している。
 初代主席に廖國安氏が選出された。党本部は台湾の地理的中心である埔里の、しかも農家に置き、台湾主体性と土着性を強調している。スポークスパースンには私も良く知っている外省人独立促進会の元会長・許登崑氏がなっている。
 党のシンボルマークは国民党の12条の太陽を中心にすえて、外側に青地に白抜きで台湾をあしらったもので、党歌も国民党のパロディで台湾主体の歌詞に変えたもの。
 26日付けの自由時報が3面いっぱいを使って大きく報じたから注目はされた。が、実態からいうと、国民党を皮肉った以上の意味はない。

郭雨新逝去20周年記念追悼式

2005-07-31 20:52:09 | 台湾政治
 かつて台湾の党外民主運動家として有名だった郭雨新(Koeh U2-sin)氏の逝去20周年を記念する式典と音楽会が郭氏の故郷宜蘭で7月31日開かれたそうです。
 宜蘭まではちょっと時間がかかるし、やることがいろいろとあったので行かなかったのですが、きわめて感慨深いですね。といっても、私は郭氏とは面識はないんですが、郭氏の元秘書で一番弟子でもあった陳菊・労工委員会主任委員(労働大臣)とは面識もあります。陳菊氏は大臣となっても飾らない性格は変わっておらず、ある人にいわせると郭雨新氏の教育が良かったせいとかで、郭氏の人となりが偲べるというわけです。
 31日付け台湾日報12面が全面で郭雨新特集をやっていました。郭氏は1908年宜蘭の貧しい家庭出身、しかも13歳のときに父親を亡くしたが、苦学し1934年台北(たいほく)帝国大学を卒業、戦後は政治の道に進み、25年にわたって台湾省議員を務め、国民党政府を批判、呉三連、李万居、郭国基、李源桟とともに「党外五虎将」と呼ばれる。
 しかし、その後1972年の省議員選挙では国民党の妨害で出馬を途中で放棄を余儀なくされ、さらに1975年の立法委員選挙では次点落選となり、国民党の不正を糾弾する支持者らのデモが発生した。このときに啓発されたのが、後に党外に加わり民進党幹部となる陳菊、林義雄、邱義仁、呉乃仁らがいた。77年国民党によって事実上海外追放、米国で亡命生活をはじめた。78年米国で「台湾総統」への出馬を表明するなど、活発に台湾島内の民主化支援運動を展開した。
 1985年米国で病没、残念ながら翌年の民主進歩党結成を見ることがなかった。
 (これは、党外を支持してきた日本時代以来の作家王昶雄氏についてもいえる。王氏は2000年1月、陳水扁当選を見る前に亡くなったからである)

 台湾が一日も早く台湾人の国として建国されることを願ってやまない。