むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

カンボジア、シンガポール、スリランカ、中国人との対話

2005-12-21 03:18:42 | 世界の政治・社会情勢
 つい最近、台湾での活動で、カンボジア、スリランカ、シンガポール、中国の人たちと意見交換する機会があった。
 まずカンボジア、スリランカ、シンガポールは政党関係者の交流で、ほかにもマレーシア、フィリピン、タイ、韓国、日本からもいたが、後者5国については以前からそれなりに付き合いがあるので特に感想はない。マレーシアとフィリピンについては、台湾人との摩擦や衝突もなく、台湾的に見ればまともに見える。

 カンボジアの人は、話しているとちょっとなんだか疲れた。別に悪い人たちではないのだが、何をしたいのか、いまいちよくわからない。野党だから、現政権は一番ひどいといっているが、だったらポルポトがいいのか、ヘンサムリンがいいのかというと、「ポルポトは論外、ヘンサムリンも悪い」というだけ。シアヌークが一方の立場に偏してかき回したことが悪いのではないかと指摘しても否定はしなかったが、歯切れが悪かった。

 スリランカの人は、別世界という感じだった。2人ともタミール語が母語だが、1人はヒンズー教徒でもう1人はムスリムで、ムスリムはタミール語が母語であってもタミール人とはいわずにムスリムを別エスニックにしているとのことだった(ボスニアみたいだな)。ムスリムは豚肉、ヒンズーは豚と牛の両方が禁忌があって、食事はいちいち何か聞いていた。ま、それはいい。困ったのは、英語がめちゃめちゃ聞き取りにくい。ただ、香辛料の話をしたら、やたらと多弁で、おそらく香辛料にこだわりがあるのだろうことだけはわかった。

 シンガポールの人は、シンガポールの政治的抑圧を懸命に話していた。気持ちは理解できるが、態度と思考パターンは中国人そのもので辟易した。台湾人も嫌がっていた。ただ、話として興味深かったのは、シンガポールがクリーンだといわれているのは、大臣クラスの給料が米国大統領の3倍もの高給で「それ以上収賄する必要がないほど合法的な汚職をしている」ためだということだった。リークワンユーは最初の20年は経済発展させた貢献はあるが、80年代以降は独裁の弊害が目立ち、息子に継承させたのは完全に狂っているという。息子シェンロンは勉強はできるようだが、政治家としてそれほど能力はないとか。
 シンガポールでは、言論統制が厳しい。野党が与党を批判すれば、ちょっとした事実誤認をとらまえて名誉毀損で訴えられ、「法」の手続きによって一方的に有罪判決が下りる。裁判官はすべて与党の人間で、与党に不利な判決は絶対に下りない仕組みになっている。集会も5人以上の集会は非合法で、これは台湾の80年代までと同じだ。
 面白いことにマレーシアはそこまでひどくないという。政府批判の集会も制限はあるが、認められないことはないし、裁判も公正が保たれている。たとえば与党UMNOが「合法的に登録された政党ではない」として解散を命ずる判決も下ったこともあったという。
 これは、マレー系のアバウトさと中華系のぎすぎすさの違いなのか?
とにかく、私はもともとシンガポール嫌であったが、ますます嫌いになった。
 
中国人は、日本の大学ゼミ旅行の一行に2人いたもので、一行とともに友人の紹介でたまたま会った。
 それぞれ北京出身と上海出身で、台湾独立についての態度、台湾人や南方系の気質についての理解が、両者では大きく違っていた。上海出身は「台湾独立は私にも気持ちはわかるし、上海だって別に中国のままでいたいとは思わない。台湾人が中国のせいで国際的に弱い立場になっていることは同情もする」といっていた。
 私も以前は中国人とはまったく近づきたくなかったが、最近は考えを改めて、むしろ中国人でもそれなりにまともそうな海外在住者には、積極的にずけずけと中国の悪いところを指摘して反省を促し、台湾への理解を要求することにしている。そこで、私もずけずけと言った。
 上海出身者はわりと理解しようと努めている感じであった。
 「宿で掃除のおばさんとも話したが、中国人というと嫌がられると思ったら、そんなことはなかった。台湾はいいところだと思った。本当はもっと簡単にビザが取れるといいんだけど」といったので、私は「それは中国政府が台湾を圧迫しているから問題。たしかにあなたは台湾に同情して理解したいと思っているだろう。台湾人も中国人そのものには特に排斥感情もない。国家とか民族の争いという土俵は度外視しているのが台湾人が中国人との違いでもある。ただ、問題は中国政府の敵対政策にある。それを中国の人は変えるべく努力するべきではないのか」と率直に指摘した。その人はうなずきながら聞いていたが、「ただ、中国にずっといて、中国しか知らない大勢の人が、それをわからない。私も中国に帰ったら、何もいえない」とさびしそうに語った。
 中国でもまともな人はいる。しかし問題は大多数を占める視野の狭く凶暴な大衆の波の中で何も力を発揮できない。それは清末の洋務運動の失敗しかり、民国時代の胡適の失敗もしかり。中国は優秀でまともな人がいても、それが世の中を変えられない。そこが同じ覇権主義志向大国の米国との大きな違いだろう。それが中国の悲劇である。
ただ中国の近くに住むわれわれとしてはそれは悲劇というだけでは済まされない。そうした「困ったちゃん」の中国社会の毒素を和らげ、中国の暴発と暴走と拡張を防ぐにはどうしたらいいのか考えなければならない。ただ、それにはやはり意見交換しつつ徐々に相手の変化を促していくしかないのかもしれない。もちろん、簡単には変化しないだろう。ただ、それはこれまで台湾人なり日本人なりが、中国に対してあまりにも遠慮しすぎたせいもあるのではないか?そういう意味では、中国人にはもっと率直にがんがん、ずけずけと主張したほうがいい。それがあいての嫌がることでもである。異文化理解や交流というのは、ときには相手を怒らせてなんぼである。黙っていたり、お追従ばかり述べていたのでは話にならない。そういう点でも、一連の前原発言は今後の日中関係の良い転機になると思う。

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