昨夜、寝る前にYOUTUBEを見ていたら「セネカ」という哲学者の「人生の短さについて」という
今の自分と言うよりも、それなりの年齢になった人たちが誰しもが考えている内容について語っていた。
16分程度の内容なので見てみたが、「少々考えさせられる内容だった」
*我々の手にしている時間は決して短くは無い。
★我々は人生を浪費している・・・時間の浪費が原因・・・人生はいつ終わってしまうかもしれない
⇒それなのに50になったら、60になったらとやりたいことを先延ばししている。
色々あったが、自分の理解としては
★毎日を人生最後の日のように「生きよ」⇒やりたいことを先延ばしするな⇒将来なんて来るかどうかわからない
⇒だからやりたいことを「今」やれ
だと理解した。あと30年前に「こういう内容を知っていたかった」と思ったが
もしかすると、知っても「同じ人生だったかもしれない」と思った。
これまで周りから「考えるより先に感覚で動く人(考えなし)」と言われ続けた自分である。
但し、これからの生き方にあたって、今、少し悩んでいた方向性が見えたような気がした。(気がしただけだ)
*今やりたいことを行う(仕事でも遊びでもプライベートでも)
*自分の責任(立場)をわきまえる。自分は「金を残すは下、組織を残すは中、人を残すは上」という
故 野村監督の言葉を座右の銘とする。
*今の自分の境遇(がんの再発、会社経営者の責任、家族の責任、個人としての自分 等々)を考えた時、「やるべきことをやっておく」
事は大切だが「やりたいことをやっておくこと」もより重要だと考える。(これが自分流の終活と思う)
*そして「今日が人生最後の日であるように生きたい」と思う。
こんなことを考えたのは「人生初めてである」やはり「大病を患ってからはいろんなことを考えるようになった」
ブログに書く内容ではない。しかし「良い事、悪い事をすぐ忘れてしまう自分にとっては、形として残し、
たまには思い出すべき。」と考えてあえて記す。
コロナ禍、日越間の行き来ができない、などなど、最近会社で時間を持て余し気味の自分にとって「喝」を入れる
事としても重要な事だったのかもしれない。
1晩開けて、寝ぼけた頭で考えた内容が予想以上に残っていて、会社に来てそんなことを考えた。
*さしあたってやったのは「寒い朝、日本茶を入れて、好きなソイ(おこわ)を食べた」事である。
自分らしいと思った。
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