先程「ベトナムニュースを見ていたら」日本の三重県で「遊びに来ていたベトナム人グループのうちの2名が」
沖100mほどの場所で「浮き輪につかまって助けを求めている2名を」救助したとの報道が出ていた。
最近の日本のニュースでは「ベトナム人の犯罪ばかりが目立ち、決して日本に居るベトナム人に対して良い印象を持っていない人も多い」
しかし「もちろんすべての人が悪いわけではなく、ごく一部の心無い人たちのために他のベトナム人も同様に見られてしまう傾向がある」
逆に「今回のような良い事案も日本のメディアも是非積極的に報道してほしい」
ニュースを読むと「この海岸、離岸流で2名は沖に出たはいいが、強い引き波で帰れなくなってしまった、それを助けに行ったのだが?」
2名は「フルマラソンに出るほど体力があったにもかかわらず」何の救助道具(浮き輪や救助用のブイなど)も持たずに
この離岸流の強い海に入ってしまったため「途中で疲労困憊し、一度戻っている」・・・「実はこの判断が大正解だった」
もしそのまま行っていたら「助けに行ったほうも疲労でおぼれてしまったかもしれない」彼らは「とても良い判断で、
チューブを持ち再度助けに行き「見事2名を救助した」 あっぱれな行動だった。
実は自分はもう30年以上前「日本赤十字社の水難救助員」と言う資格を取得した。小さいころから水泳は行っていて
会社に入って「何か取れる資格は無いか?」と思い「ほぼ2週間の講習と試験を経て取得した」
7月の初旬の未だプールに入るには寒い時期で「講習で、参加した多くの人たちは、講習のきつさもあったが、それよりこの寒い時期の
きつい実習についてこれず途中脱落した人が多かった」(寒くて風邪をひいてしまったようだ)何とかそれを乗り切り
「実技試験や座学の試験もクリアし、何とかこの水難救助員の資格を取得した」幸か不幸か「今までこの資格を有効に活かしたのは」
日本とベトナムのプールで「小さな子供がおぼれそうになっているのを数回助けただけで、本格的な救助は現在まで
行っていない」幸いな事なのだろう? 今は「ライフガードと言って華やかな感じがするが」そのころの水難救助員は
ボランティアで「群馬は近くの川のパトロール」などを行う地味な存在だった。この資格があると「公共のプールや一部の私営のプール」も
無償で入場できた(責任を伴うので一度もこの特権を使ったことは無いが?)そしてベトナムに来て「更新に行けなかったので」
今はもう「この資格もない」が「あの頃教えてもらった救助方法は未だよく覚えている」その中に、今回のベトナム人が
行った「無理そうなら、必ず救助器具をもっていかなければならない」と言う救助の鉄則を守ったことが幸いしたと「感じた」
(救助の鉄則はまずは自分の身を危険にさらさず救助できるのが優先、そしてどうしてもできない場合、最後にはおぼれて、
パニックになっているいる人を背後から近づき一度水に引きずり込んでおとなしくさせてからの救助など、普通では教えてもらえないような
技術も教えてもらった。いざその時になったらできるかどうかはわからないが?)できればこのような技術は
「使う機会がないほうが幸せなのだが?」
この歳になっても「三つ子の魂百まで」と言うことで自分も「週一だが2000mぐらいは泳いでいる」
水遊びの楽しさはもちろんだが、いろんな経験から水の怖さは他の人よりも解っているつもりだ。
現在はせいぜい「自分が泳いでいる周りで水の事故が起きないように補助するくらいしかできないのかもしれないが?」
「救助の難しさもわかっているので、今回のベトナム人2名の救助には拍手を送りたい」
恐らく「基礎体力があったことが今回の救助を成功させたのだと思う」 人間やはり可能であれば「基礎体力は(特に若いうちは)
鍛えておいた方が良いのかもしれない」
とにかく「己の体力を過大評価せず、冷静に引き返してまで救助道具をもってもう一度救助に行きそれを成功させたのは
あっぱれであり、本当に称賛されるべき行動だと思う」
こういう「報道を是非日本のオールドメディアも大々的に行ってほしい」
遠く離れたベトナムの地で「ベトナム人が日本で水難救助をしたニュースを見ながら」そんなことを考えた。