日中の仕事を終えた後、沖縄まで持ち込んでしまった別の仕事を
するために、深夜まで仕事をしていたので、なかなかブログの更新が
できませんでした。
前にも書きましたが、今日は、沖縄に居ます。
ここ2、3日は沖縄も例年よりはるかに暑いそうです。半袖でも過ごせそうです(笑)
さて、続きを!
このうえない「環境」
ハードの増強、ソフトの充実の繰り返しにより環境が整っていた。
昔は、ソフトが乏しく、世界のサッカーはなかなか日本には入ってこなかった。
ダイヤモンドサッカーが終了し、一時、国際サッカーの鎖国化という事態も存在したが
その後、ダイナミックサッカーが始まったものの、ソフトは充実していたとは言い難い
状況には変わりなかった。
ハードも高く、学生のぶんざいでは到底、購入できなかった。
ハードが手に入るまでは、自分の記憶に頼るしかなかった。
情けないが、当然のごとく親に「おねだり」をして、ハードを購入してもらっても
メディアが高く、小遣いで1本のテープを購入するのがやっとの時代。
前述のソフトの充実もなかった時代だったので1つのゲームを、何度も再生して
楽しんだ。そのビデオを磨り減るほど観直した・・・
(だから、昔のゲームの記憶、かなりハッキリしているのだろう)
BS放送が始まり、NHK BS-7で国際サッカーが流れるようになった。
今までとの違いは、好プレーの部分を編集したダイジェストものではなく、1試合まるまる放送する
フルマッチだった。
即、BSの機器を購入する決断はできなかったが、W杯90が購入の決断を後押しした。
※86年W杯は、地上波のNHKでも放送されていた。
衛星放送により、ソフトの充実に拍車がかかり、WOWOWから
「スーパーサッカー セリエA」の放送が始まり、W杯以外の本格的な
海外リーグの中継が開始された。放送試合数は限定されていたが、当時
世界最高のリーグの試合が放送されるようになったことに「信じられない」
という思いと“極上のサッカーを観戦できる”という
「喜び」が常にあった。
この時代までには、ハードも「ベータ」、「VHS」、「8mm」と
変遷していき、よりコンパクトな機器を求めるようになった。
10年経過の後、衛星放送もCS放送が加わり、スポーツ放送先進国の
欧米と同様に、いわゆる「ペイテレビ」の放送が始まった。
ハードの機器もDVDからHDDへと・・・
このうえない「環境」を構築するまでを振り返ってみたが、
技術の進歩、放送形態の拡充により「日本」に居れば全ての
国のサッカーが観られる環境となった。
96年に初めて、現地での「ペイテレビ」を初経験し TVをつければ
サッカーがいつでも観ることのできる環境をうらやましく思ったが
欧州よりも今では日本の方が、たくさんの試合を観戦できるだろう。
2002年ごろの稲本選手を起用したCMで
「やっぱ、スカパー!やね」と語っていたが
その通り「スカパー!」の存在が非常に大きかったのだ・・・・
(つづく)
雅104
するために、深夜まで仕事をしていたので、なかなかブログの更新が
できませんでした。
前にも書きましたが、今日は、沖縄に居ます。
ここ2、3日は沖縄も例年よりはるかに暑いそうです。半袖でも過ごせそうです(笑)
さて、続きを!
このうえない「環境」
ハードの増強、ソフトの充実の繰り返しにより環境が整っていた。
昔は、ソフトが乏しく、世界のサッカーはなかなか日本には入ってこなかった。
ダイヤモンドサッカーが終了し、一時、国際サッカーの鎖国化という事態も存在したが
その後、ダイナミックサッカーが始まったものの、ソフトは充実していたとは言い難い
状況には変わりなかった。
ハードも高く、学生のぶんざいでは到底、購入できなかった。
ハードが手に入るまでは、自分の記憶に頼るしかなかった。
情けないが、当然のごとく親に「おねだり」をして、ハードを購入してもらっても
メディアが高く、小遣いで1本のテープを購入するのがやっとの時代。
前述のソフトの充実もなかった時代だったので1つのゲームを、何度も再生して
楽しんだ。そのビデオを磨り減るほど観直した・・・
(だから、昔のゲームの記憶、かなりハッキリしているのだろう)
BS放送が始まり、NHK BS-7で国際サッカーが流れるようになった。
今までとの違いは、好プレーの部分を編集したダイジェストものではなく、1試合まるまる放送する
フルマッチだった。
即、BSの機器を購入する決断はできなかったが、W杯90が購入の決断を後押しした。
※86年W杯は、地上波のNHKでも放送されていた。
衛星放送により、ソフトの充実に拍車がかかり、WOWOWから
「スーパーサッカー セリエA」の放送が始まり、W杯以外の本格的な
海外リーグの中継が開始された。放送試合数は限定されていたが、当時
世界最高のリーグの試合が放送されるようになったことに「信じられない」
という思いと“極上のサッカーを観戦できる”という
「喜び」が常にあった。
この時代までには、ハードも「ベータ」、「VHS」、「8mm」と
変遷していき、よりコンパクトな機器を求めるようになった。
10年経過の後、衛星放送もCS放送が加わり、スポーツ放送先進国の
欧米と同様に、いわゆる「ペイテレビ」の放送が始まった。
ハードの機器もDVDからHDDへと・・・
このうえない「環境」を構築するまでを振り返ってみたが、
技術の進歩、放送形態の拡充により「日本」に居れば全ての
国のサッカーが観られる環境となった。
96年に初めて、現地での「ペイテレビ」を初経験し TVをつければ
サッカーがいつでも観ることのできる環境をうらやましく思ったが
欧州よりも今では日本の方が、たくさんの試合を観戦できるだろう。
2002年ごろの稲本選手を起用したCMで
「やっぱ、スカパー!やね」と語っていたが
その通り「スカパー!」の存在が非常に大きかったのだ・・・・
(つづく)
雅104