penso che ・・・

サッカー愛する皆さまご機嫌いかがでしょうか? ・・・盛り上がりましょう!

破格の放映権料について・・・その2

2007-02-08 23:59:11 | Weblog
日中の仕事を終えた後、沖縄まで持ち込んでしまった別の仕事を
するために、深夜まで仕事をしていたので、なかなかブログの更新が
できませんでした。

前にも書きましたが、今日は、沖縄に居ます。
ここ2、3日は沖縄も例年よりはるかに暑いそうです。半袖でも過ごせそうです(笑)

さて、続きを!

このうえない「環境」
ハードの増強、ソフトの充実の繰り返しにより環境が整っていた。
昔は、ソフトが乏しく、世界のサッカーはなかなか日本には入ってこなかった。
ダイヤモンドサッカーが終了し、一時、国際サッカーの鎖国化という事態も存在したが
その後、ダイナミックサッカーが始まったものの、ソフトは充実していたとは言い難い
状況には変わりなかった。

ハードも高く、学生のぶんざいでは到底、購入できなかった。
ハードが手に入るまでは、自分の記憶に頼るしかなかった。
情けないが、当然のごとく親に「おねだり」をして、ハードを購入してもらっても
メディアが高く、小遣いで1本のテープを購入するのがやっとの時代。

前述のソフトの充実もなかった時代だったので1つのゲームを、何度も再生して
楽しんだ。そのビデオを磨り減るほど観直した・・・
(だから、昔のゲームの記憶、かなりハッキリしているのだろう)

BS放送が始まり、NHK BS-7で国際サッカーが流れるようになった。
今までとの違いは、好プレーの部分を編集したダイジェストものではなく、1試合まるまる放送する
フルマッチだった。

即、BSの機器を購入する決断はできなかったが、W杯90が購入の決断を後押しした。
※86年W杯は、地上波のNHKでも放送されていた。

衛星放送により、ソフトの充実に拍車がかかり、WOWOWから
「スーパーサッカー セリエA」の放送が始まり、W杯以外の本格的な
海外リーグの中継が開始された。放送試合数は限定されていたが、当時
世界最高のリーグの試合が放送されるようになったことに「信じられない」
という思いと“極上のサッカーを観戦できる”という
「喜び」が常にあった。

この時代までには、ハードも「ベータ」、「VHS」、「8mm」と
変遷していき、よりコンパクトな機器を求めるようになった。

10年経過の後、衛星放送もCS放送が加わり、スポーツ放送先進国の
欧米と同様に、いわゆる「ペイテレビ」の放送が始まった。
ハードの機器もDVDからHDDへと・・・

このうえない「環境」を構築するまでを振り返ってみたが、
技術の進歩、放送形態の拡充により「日本」に居れば全ての
国のサッカーが観られる環境となった。

96年に初めて、現地での「ペイテレビ」を初経験し TVをつければ
サッカーがいつでも観ることのできる環境をうらやましく思ったが
欧州よりも今では日本の方が、たくさんの試合を観戦できるだろう。

2002年ごろの稲本選手を起用したCMで
「やっぱ、スカパー!やね」と語っていたが

その通り「スカパー!」の存在が非常に大きかったのだ・・・・

(つづく)


雅104