月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「シリアの花嫁」・・・(2)

2009年02月18日 | ◆サ行&ザ行

「シリアの花嫁」(原題「The Syrian Bride」)

監督・共同脚本・プロデューサー :
エラン・リクリス(ERAN RIKLIS )
共同脚本 :
スハ・アラフ(SUHA ARRAF )
撮影監督:ミヒャエル・ヴィースヴェク(MICHAEL WIESWEG)



冒頭映し出される街並み。
瀟洒な家に住み暮らすシリア人一家の一日の夜明け。


(とても結婚式の朝の表情とは思えない。彼女は何を思っているのか・・・・ヒアム・アッバスのこの表情が、本作の導入です。

ベッドで目を見開いたまま、朝を迎える中年の女性。彼女は誰だろう、何を思い煩ってこうした表情なのか、と誰もが思います。
けれど、起床後、すべてをテキパキとこなしていく彼女アマラ(。(ヒアム・アッバス)は、その日結婚式を迎える花嫁の姉であり、母親以上に挙式の世話役だと分かります。
その一日をカメラマンがビデオに写し撮っていくのですが、なぜ?だろうと観ている側は思うのでは?



挙式の朝の家の様子、家族の様子、花嫁の美容院での表情、式に集まる近所の人たちや家族の様子、とにかく何でも映していくのですから。しかも、誰もノーとは言わない。
彼に録画された画面が、時折映画の中で、まるで永遠に留めるかのように白黒で映し出されます。



こんな風に白黒画面として捉えられた彼ら彼女たちの表情は、現実にせわしく進行している流れの中で記憶に留められていく瞬間・・・・・この花嫁モナ(クララ・フーリ)の表情もまた、とても今日結婚する女性のものとは思われない。洋服さえ変えたらまさに葬儀です。

そんな中で繰り返し登場するのが花婿となるこちらの男性。シリアのテレビ界で人気の俳優らしく、TVを通して彼が笑いかけたりふざけたりしている映像を花嫁が眺める場面が出てくるのですが、


(陽気なTVタレントタレルを演じているのは、ディラール・スリマン)

二人は実は直接会った事がありません。まるで日本の戦前の結婚みたいですが、これもゴラン高原の抱える現実。
テレビタレントとして人気の彼タレルは、局内でも女性たちに花嫁の写真を見せながら一人のろけていて、その花嫁が今日嫁ぐ女性モナだと分かるのですが、両者の表情とあまりの落差に驚かされます。
が、タレルを演じるディラール・スリマン(Derar Sliman )のこの陽気さと恰幅の良さが、だんだんと本作の救いになっていくような印象でした。

この町の住民たちは、



いたるところに設けられた境界線のあちらとこちらに分かれたまま、ハンドマイクで家族や親戚とこうやって連絡しあっているのです。

花嫁が姉と美容院から帰ると、
何やら家の中は緊迫した様子・・・・
黒服の長老派たちが集まっていて、



緊迫した空気・・・
何やら不満と怒りを表明する長老たち・・・・



苦渋の表情の父親ハメッッド。演じているのは、マクラム・J・フーリというアラブ系パレスティナ人ながら、イスラエルを代表する俳優。実に見事な味のある演技と存在感でした。
ここで、花嫁の父親は、政治的宗教的に難しい立場にいると分かります。話し合いは決裂し、長老たちは、娘の結婚の祝いの席には参列せずに席を立ちますが、

花嫁の父親がシリアとの国境線に向かうことにも猛反対して出ていきます。なぜ?と思ってしまいますが、その直後、姉のアマルが懸命に父親を説得します。



もう関わらないでと厳しい口調で語る長女アマル。今日は娘の結婚式なのだと訴えます。この会話で、父親が長きに渡って刑務所暮らしで不在だったことが分かるのですが、そうでなくても父親は現在もイスラエル当局の監察下にある、そんな立場らしい。
ここで、この家族の重い歴史が目に浮かんでくるような場面ですが、父親はいきなりここでシリアの大統領の写真を飾り始めます。

こうした家の中での挙式の準備が進行しているときに、場面は空港に。イタリア男みたいなイメージで登場した彼は、
今日は妹の結婚式なんだとご機嫌な感じですが・・・



なぜイタリアから来たのか。
イタリアで何をしていたのか。
どこに住んでいたのか。

ビジネスマンだと答えても入国審査でストップがかかります。
自分の両親たちのいる実家に帰るのが、ここではそう簡単ではないという現実がわかります。

その頃、タクシーで妹の結婚式にかけつける家族。
花嫁のもう一人の兄ですが、今日を最後に妹とは二度と会えないからと語り、ここに帰るのは8年ぶりと語る。
こちらはシリア側からの入国らしく、意外と簡単に入国できたようです。妻がロシア人でロシアからの入国だからでした。が、そのことが、イスラエル側に占領されている故郷では、歓迎されない。



それを心配そうに見守る後ろの座席の母と息子・・・
何やら複雑系の一家です。

その頃、花嫁は塞ぎこみ始め、その表情も暗い。



夫となるタレルと従兄弟同士にあたる姉のアマルは、実際に彼をよく知っているらしく、占領される以前はいっしょに遊んだ仲だと推察できます。彼女は、何が何でも妹を結婚させたいらしい。「心配しなくていいの。ここを出て幸せになるのよ」と語る。

花嫁である妹の挙式を懸命に執り行なう姉のアマルですが、彼女には年頃の娘がいて、ボーイフレンドと何やら話し合っている。どうも大学進学のことらしい・・・・



けれど、父親に激しく反対されて泣き出します。
反対の理由は、「本人に問題があるわけじゃない。問題はあいつの父親だ。父親はイスラエルの協力者なんだぞ。許すわけにはいかない」と怒鳴って去ります。



そんな娘を母親は「大丈夫よ。あなたの進みたい道に私が進ませてあげる」と言うのですが、どうやらアマルは夫とは別居中のようでうまくいっていないことが分かってきます。

アマルは一人家を出て、イスラエルの出入国を担当する官憲に面会に出かけ、娘の結婚式なのだから国境まで見送ることを許可してほしいと訴えます。もう二度と会えないのだから、花嫁の父親として許可して欲しいと。



しかしながら、話し合いは難航。

その頃、
長男夫婦が実家近くまで来たとき、タクシーの運転手は、巻き込まれるのはごめんだとばかりに彼らを家の近くで下ろします。



長男夫婦が実家への道を歩き始めると、
家の前ではデモが行われていました・・・・



ゴラン高原の町の人々の間に生まれている政治的な、当然宗教的な対立や亀裂が察せられますが、映画の中ではラジオやテレビからのニュースとして国境沿いのさまざまな諍いが報じられます。
そんなゴラン高原の郷里から出て行った長男ハテムにとって、
8年ぶりの家族との再会。


(長男を演じているのは、エヤド・シェティ。母親役は、マルレーン・バジャリという女優ですが、いかに厳しい状況に置かれていてもやっていく母親としての存在感、強さを感じさせていました)

よけいな話は何も無し。
8年ぶりの再会で万感迫る思いで抱擁する母と息子。
温厚ながら内面には強いものを宿しているこの長男ハテムを演じていたエヤド・シェティ(Eyad Sheery)、陽気な次男とは正反対のような性格ですが、家族愛はいずれも皆強く、それだけに後半の緊張感ある展開では、この家族が全員心を一つにしていく場面が実に深い感動を呼んでいるのだと思います。

姉と比べると母親の出番はそれほど大きくはありませんが、それだけにその表情だけで見せるあたり印象深いものがありましたが、マルレーン・バジャリ(Marlene Bajjali)という女優さんについては、イスラエル、フランス、ドイツのドラマに出演しているらしいとしか分かりません。彼女が、初めて会う長男の嫁が披露宴に集ってきた近所の御婦人たちから、ロシア女と結婚するなんて・・・という悪口が聞かれてくる中で、彼女の傍に行き、トマトの切り方を教えるシーン、美しかったですね。

こうして花嫁の結婚式の当日に、離れ離れとなっていた家族が集合してくるわけですが、父親は抱擁もしないどころか目を合わせることさえせず、長男の妻にも孫にも言葉一つかけないでいます。長男一家は、国境で見送ることさえ禁じられる。

やがて披露宴の準備で皆が忙しく立ち回る中、
一人、不安を隠そうとしない花嫁モナ・・・・

けれど、披露の祝いの席も終わり、
近所の人たちに挨拶をし、
いよいよ会った事もない男に嫁ぐために、
育った家を後にするモナ・・・

それぞれがそれぞれの思いを抱きながら、
姉アマルは父親の意向を無視して、長男ハテムの家族を車に乗せて遅れて出発します。

家族は、シリアとの国境に向かいますが、
国境を管理する官憲たちもまた、彼らの後を追うのでした。

(つづきは、(3)にてご紹介します)


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