月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「非情の罠」(「Killer’s Kiss」)

2008年06月22日 | ◆ハ行&バ・パ・ヴ行

1955年のアメリカ映画。昔の映画は映像的にこういう掘り出し物はあるからやめられないと思ってしまいます。かなり単純な、というか乱暴な展開のよくある話というストーリーなのですが、思わずドキドキして見てしまうのは、映像がそうさせるから。

思わず眼を見張るアングルの映像や、中にはそこまでするかと恥ずかしくなるような凝ったアングルの映像とか、今となっては昔懐かしい陰影ある映像のフィルム・ノワール的な映像とか。

ここでご紹介したかったボクシングの試合のシーンは、若い頃のデ・ニーロだったか、凄みのある白黒のボクシング映画を思い出させられたほどで、最近の映画しかご覧になっていない方にはおススメです。凝り過ぎてはいるカメラワークだのアングルだのといったことは横に置いて、これが映画前半の見せ場であることは間違いありません。
けれど、何といっても殺人が絡んだ場面での陰影ある白黒映像はまるで「第三の男」ばりだわと思っていたら、監督がスタンリー・キューブリックでした。キューブリック作品はほぼ見てはいるけれど、あまりよくは知らない。キャロル・リード監督のファンだったとも思えないけれど、チャップリンやオーソン・ウェルズから影響を受けなかった映画人は少なかったでしょうから、キューブリックもこの時代は40年代の映画から学ぶことも多かったのかも。



このシーン、好きなシーンの一つ。キューブリックの好きな格子模様があるからではなく、人生を出直す夢を抱いて給料を受け取りに出向いた彼女が、一度は支払いを拒否された給金を支払ってもらえるということで受け取りに「階段を上っていく」このシーンが、女にしてみれば「階段を上っていく」シーンでも、映画を見ているこちらからは「階段を上ってくる」シーンとして印象付けられるのは、それが罠とも知らずに上ってくる姿だからか。

ダンスホールで働く女性として支配人の情婦となる姿もなかなか絵になっていましたが、

さらに驚愕したのは、貧相さが絵になるところです。
ヘアースタイルや顔立ちはグレース・ケリーばりながら、回想の中で現れる自殺した姉の立ち姿(バレーリーナだった)とはまるで異なる立ち姿で、歩いているとき、走っているときでさえ背中を丸めて駆ける姿の貧相さは、演じて得られるものではないという見本のような・・・・。何という女優か名前を失念しましたが、あれは無意識なのか演技なのか、とても興味が湧きます。



この俳優も往年の50年代を髣髴とさせる俳優で、映画ではローガンというもうじき30になる顎の弱いボクサー役。ジェイミー・スミスという俳優で見たような顔なのにどんな映画に出ていたのか、さっぱり思い出せない。

プロボクサーを引退し田舎のおじ夫婦の牧場で働くことを決めたとき、隣のアパートから女の悲鳴が聞こえかけつける場面で、てっきりこれが罠だと思ってしまったものです。悪党がお金儲けのために落ち目のボクサーに八百長試合させる計らいかと。それで一儲けすべく自分の情婦をローガンに近づける罠かと先走ってしまったほど。

が、ストーリーは思わぬ方向に・・・・・


(悪党振りがとても良かったフランク・シルヴェラです)

ラストの裸のマネキン置き場で殺しあう二人の男(フランク・シルヴェラとジェイミー・スミスという往年の俳優)の格闘シーン、銃がなくなってマネキンを振り回しもぎ取られたマネキンオ腕や脚を武器代わりにして殺し合うところ・・・・、何ともいえない鬼気迫る場面で怖かったですよ~。
こういう象徴的な小道具を殺し合いに使うところは、実にキューブリック監督ならではの発想だと感心。

ホラー映画やスリラーサスペンス映画にも、こうした発想がもっともっと欲しいですね。


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