月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「イル・ポスティーノ 」(前編)

2008年11月01日 | ◆ア行

●1994年制作 イタリア映画 
●監督マイケル・ラドフォード


(郵便配達人マリオを演じたマッシモ・トロイージ)

この映画を観た人の心を打つのは、何といっても、このマッシモ・トロイージの演じたマリオという人間の悲しさかもしれません。美しさと言ってもいいけれど、彼を見ていて思い出された映画がありました。スペイン映画の古典名作「汚れなき悪戯」です。

★ご参考までに。
http://movie.goo.ne.jp/dvd/detail/D110513571.html

哀切感あふれる「マルセリーノの歌」で、制作された当時多くの人を魅了したこの名画の、あのマルセリーノが、そのまま大人になったような男がマリオ・ルオッポロと言えばお分かりいただけるかもしれませんね。マッシモ・トロイージ という俳優です。彼は、この映画の撮影終了後に41歳の若さで亡くなり、映画のマリオがマッシモを連れて逝ってしまったかのようです。

そのマリオが慕い敬愛した詩人パブロ・ネルーダを、こうも見事に演じてみせてくれたのが、


(パブロ・ネルーダを演じたフィリップ・ノワレ このとき63歳)

このフランスを代表する名優フィリップ・ノワレ。本作のようにイタリア映画にも主演するほどで、まさにヨーロッパを代表する俳優といっていいでしょうか。年齢を重ねてますますその存在感に深さと味わいを増してきたフィリップ・ノワレですが、その実、若かりし頃と少しも変わらない・・・と思わせる稀有な名優といっていいかもしれません。彼の出演した名作は多々ありますが、個人的に思い入れのあるのは『追想』(1975年)という映画で、この映画で最初に彼が胸に刻まれた私としては、『ニューシネマ・パラダイス』(1989年)以上に印象が強烈に残っています。ロミー・シュナイダーが異様に美しい映画は『離愁』という映画の方ですが、『追想』での彼女は、実に女性的だと感じたのは、このフィリップ・ノワレに愛される女性を演じたからかもしれません。

本作で彼が演じるネルーダも、実に味わい深い。フィリップ・ノワレのネルーダがあってこそ、マッシモ・トロイージのマリオが存在感を持つと言ってもいいほどで、この映画はネルーダの影を抱いて人生を輝かせたマリオと、その彼によって人間の生の量りがたさを敬虔な気持ちで改めて感じ入ることになる詩人ネルーダの物語でもあります。


マリオは、イタリアの貧しい島の貧しい漁師の息子。父親に言われて仕事を探すことになります。そこで、たまたま目に付いたのが、郵便配達人募集の張り紙。


(たまたま郵便局の前で求人募集の張り紙を目にするマリオ。この島では、郵便などほとんど来ないし、手紙を書いてもらって出す人も文字が読めない高齢者は手紙が本当に相手に届くのかどうか疑心暗鬼という状態・・・・・1950年代のイタリアの小さな島って、そういうレヴェルだったのかと。文盲がいないと言われる日本との違いに驚くかも。)

ところが、配達する先が一軒だけ!まさにその家に届けられる郵便物専用のポストマン。というのも、その島に有名人が居住することになったからで、その人物宛に世界中から手紙が届けられるためで、その山のような郵便物を配達するための、いわば臨時ポストマン。

その有名人というが、当時チリから政治亡命してきた詩人パブロ・ネルーダでした。後にノーベル賞を受賞することになるチリを代表する大詩人ですが、


(彼のサインを貰えば、女性にもてると単純に考えたマリオは、ネルーダにサインを貰うために本を買って持参。そこに自分の名前マリオ・ルオッポロと書いてもらおうとするのですが・・・・ここ、笑えます)

彼は共産党の政治家でもあったので、当時のチリもまた政界は混迷し、ネルーダは政治亡命しなければならない立場に陥り、イタリアが彼を保護したためにマリオの住む小さな貧しい島で亡命生活を送ることになったわけです。
その新聞で大騒ぎしている「偉い詩人」のところに、マリオは毎日山のような郵便物を配達することになるのですが、

その「偉い詩人」らしい人物が仮住まいしているのは、山をいくつも越えた先の丘の上・・・・漁師以外に男の仕事など皆無に等しい島で、マリオは郵便配達人としてこの山を自転車で往復する毎日が始まりました。自転車を大事そうに漕ぐ彼を見ていると、映画『自転車泥棒』のことが思い出されます。



来る日も来る日も郵便物は届きます。
それらを言われるままに配達し、教えられた言葉、「配達人は配達以外の仕事はしてはならない」という教えを守りながら、マリオの仕事は愚直なまでにまじめ。


(島民の多くは文字が読めない。かろうじて文字が読めるマリオは、郵便物の仕分けの仕事もするようになって手紙の差出人の名前を読むようになるのですが、そこに書かれた名前が男か女か時々分からない。発音して女名だと教えられると、「また女からだ」と口にするシーン、ここ可笑しかったです)

多くの差出人名が女性なので、「女からばかり手紙が来る」と不思議がります。女は詩人が好きらしい・・・・いっしょに働く郵便局長から「ネルーダはどんな風にしているのかね」と尋ねられ、「妻のことをアモーレと呼ぶんだ。変わってる」「そりゃ、変わっている」(笑)
本を読んだり、レコードをかけて妻とタンゴを踊るネルーダを思い浮かべ、「普通じゃない」「詩人だからな」「さすが詩人は違う」といった会話をしていたのに、やがて、


 


マリオは、だんだんとネルーダに興味を持ち始め、配達のときに「郵便配達人」として決められた会話以外の会話、「水が出なくなったんだよ」「見てみましょうか、壊れているかもしれない」「いや、普通に必要な分を使っただけなのだが、出なくなった」「それは、使いすぎだ。水がなくなったんです」「?」「この島には月に一度給水船がくるけれど、水道はない。」「どうして」「ディコジオ(議員らしい)が水道工事をするといつも言うが、いつも作らない」「どうしてだ」といった会話をし、何となく彼の事が気になって仕方がなくなっていきます。ますます彼に興味を抱いていくマリオ・・・


(「意志さえあれば社会は変えられるんだ」というネルーだの言葉に何かを感じ始めるマリオ)

映画で描かれる時代は1950年代なので、第二次世界大戦が終わってまだ数年といった時代。ムッソリーニの率いたイタリアも敗戦国となり、戦後のイタリア社会は戦時中の反動から反ファシズム⇒共産主義という流れでコミュニズムの嵐が吹き荒れ混迷の政治を辿ったように思いますが、1950年代はまさにその大きな第一波の渦中の時代。このマリオの住む島のように、選挙前にのみ口約束をしては当選後に公約を反故にするという議員が跋扈している時代でもあり、暮らしは貧しく、月に一度給水の船が来るだけで、島にはいまだに水道もないという時代。

マリオは、「偉いらしい有名人」のネルーダからサインしてもらった本で女性にもてようと思いつくのですが・・・・、やがてネルーダの詩集を家でたどたどしいながら、読むようになります。


(詩の一語一語を声を出して読み始めるマリオ、詩文の意味が分からず頭をひねりながらも、「人でいることに疲れた」という一文に「これなら分かる」と共感していきます)

配達に行ったとき、ネルーダと話がしたくて、つい諳んじてしまっている彼の詩の文章を口にして、ネルーダの関心を引くことに成功しますが、


 

詩はどうやって書くのかと唐突に尋ねるマリオに対して、一瞬言葉を呑み込むネルーダですが、マリオの他意のないまじめさに誠実に対応します。詩人ネルーダの人柄が初めて出てくる場面ですね・・・・マリオに詩の意味を説明してくれと言われ、「説明したら詩ではなくなるんだよ」と語ります。
そこで、「隠喩」という言葉を初めて聞いて知るマリオ・・・・
それって、何だ!?



マリオは考え始めます。
ネルーダが詩想を練る時に「浜辺を歩く」と語ったことを思い出し、それを愚直に実践していきます。家にあるたった一冊の本であるネルーダの詩集を開き、毎晩寝る前に読みふけり、



身の回りの自然をじっくり眺めるというネルーダの言葉を思い起こし、月を眺めては考え、考えては眺め、そうして詩作を始めるようになっていくマリオ・・・



ネルーダが語った言葉を反芻し身の回りの自然を意識して見始め、暗喩という言葉の意味を考え続けていく・・・

「別の言葉で説明したら、詩ではなくなる」

詩の詩たる由縁を語るこのネルーダの言葉は、
マリオの中に何かを投げ込みました。



詩作に目覚めたマリオ・・・
この後どうなっていくのでしょう。

繊細で美しい映像が織り成していく世界は、マリオの心に生じていく変化を見逃さず、いまだぼんやりとして定まらない心や好奇心に満たされていく心、懸命に理解しようと働く心や考えに集中する心、知ることの喜びや詩作に目覚めていく心、師を得て敬慕する心と友情を感じて幸福を感じる心、やがて恋に躍動するマリオの心の機微が映像と音楽で、あたかも本作が織り込まれていくようです。この見事な撮影を担当しているのが、映画「サン・ロレンツォの夜」のフランコ・ディ・ジャコモ。そして、
ある場面では小さくある場面では大きく流れ出る感傷的なメロディアスな曲、感傷を誘うけれど、淡々とした繊細なメロディが、何とも心に残る音曲を奏でるピアノは、ルイス・エンリケ・バカロフの演奏。ちょっと驚きました。何とも印象的な、心が静まり慰められる美しい音楽でした。

★ルイス・エンリケ・バカロフ
http://www16.ocn.ne.jp/~stupendo/review4.htm

これら二人の異才を両輪にして本作を監督したマイケル・ラドフォードは、果たしてマリオの心をどこに向かわせるのでしょう。

後編で書いていきたいと思いますので、
お楽しみに。

 

 

 


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