月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「ジュリア」

2008年05月03日 | ◆サ行&ザ行

監督は「ジャッカルの日」のフレッド・ジンネマン。
アメリカ演劇界の女流劇作家として知られるリリアン・ヘルマンが74年に出した回顧録「ジュリア」の映画化で、1977年製作のアメリカ映画。

数十年ぶりに観た。印象に残る好きな映画の1本だ。
が、記憶とは実にあいまいなものだということを再認識させられた次第。
リリアンをジェーン・フォンダが演じ、彼女が子供の頃から憧れ愛した女友達ジュリアをヴァネッサ・レッドグレイヴが演じている名作だが、記憶では、少女時代から青年期を共に過ごしやがて再会する二人のことが、次のように記憶されていた。


ナチスドイツの時代が忍び寄るドイツで社会主義者として地下活動しているジュリアと作家として成功を収めヨーロッパに来たリリアンとの再会では、地下活動をして行方不明となっているジュリアをリリアンが探しに歩くというふうになっていた。

今般改めて映画を観て、随分記憶違いだということに気づかされたけれども、本質はそう変わらない気がする。
ナチの跋扈するベルリン経由でロシアに演劇鑑賞に出かける新進気鋭のアメリカ人作家リリアン、実にユダヤ人である彼女がそうしたリスクを冒すのも、ただただジュリアへの思いからなのだ・・・・回想シーンでの少女時代の二人の性格と関係は、時を経ても変わっていない事を示唆してあまりある。

政治的な立場がどうであれ、真の友情と言うのは、まさに太宰治の「走れメロス」なのだということを思い起こさせてくれる二人の関係。
時代背景とあいまってその関係性が実にスリリングであり、それをジェーン・フォンダが見事に演じているのに驚いたが、映画ラストの湖に浮かべた船の上の老いたリリアンのシルエットとそのモノローグは、数十年経ても記憶にしっかりと留まっていて、それは記憶通りだった。



映画のクライマックスは、リリアンが惨殺遺体として運ばれたジュリアとの再会の場面だろう。ジュリアが死んだ後も、リリアンの中ではジュリアは真実生きていて、悪夢に魘される彼女に、同棲している愛人でパートナーである作家ダシェル・ハメットは、開戦したヨーロッパの状況を思い、リリアンに忘れるようにアドバイスするが、そのときのリリアンの言葉が激しい。好きな場面だ。

その老年のハメットを演じているジェイソン・ロバーズの渋さが、何ともいえないいい感じだが、そうした印象は昔観たときと代わらないけれども、やはり、ヴァネッサ・レッドグレイヴの魅力と存在感は凄いなあと。映画の中で現在のジュリアとして姿を現すのは、実に信じがたいほどに限定的なのに、やっと姿を現した≪現在のジュリア≫を見て、観ているこちらもその存在とリリアンがなぜ彼女の引かれ好きなのか、その思いに納得してしまう。そういう存在のジュリアをヴァネッサ・レッドグレイヴが遺憾なく表現できている。そのヴァネッサ・レッドグレイヴの存在感!

ところで、メリル・ストリープが出ているのを観て仰天してしまった。この映画に出ていたという記憶がまるでなかったから。

 

 


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1 コメント

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はじめまして (夜霧)
2009-09-01 02:37:24
丁度、私もジュリアの感想文を自分のブログに書いたところでしたので、ああ、こういう視点でも観れるのだ、ととても興味深く拝見しました。

私は、英語のリスニングもかねて数十回VHSで観ましたが、本当にいい映画だと思っています。

素敵な感想を拝見できてとても嬉しいです。
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