いかに駄作かが気になり、「ミッドナイトイーグル」を取り上げましたが、映画館でご覧になられた方達は「チケット代返せー」と言いたかったこととお察しします。以下のジム・キャリーの主演映画『ナンバー23』で気分を変えていただきたいと思います。
あのジム・キャリーが、あの顔で、この役!?
まずは、そう言いたくなる映画です。同時に、この映画は2度観ないと観たことにはならない、そう言うしかない映画だろうと思いますよ。一度観ただけでは本作のサスペンスの完成度がうまく伝わらない。つまりは愉しめないままに終わってしまうから、拍子抜けさせられて腹が立つかも知れません。
動物管理局の職員でまじめな愛妻家の主人公役のジム・キャリー。本を読め進めていくうちに、小説に書かれた主人公の話をまるで自分のことのようだと思い始めていくのですが、
(興奮して話す夫に対し、すでに読み終えている妻は可笑しさをこらえながら、「最後まで読めば、あなたとは違うということがわかるはずよ」と余裕であしらいます。観ているこちらも、いつしか妻の目線でジム・キャリーを眺めてしまいます)
観始めてしばらくはジム・キャリーの様子がおかしくて、いつもの(他作品での)ジム・キャリーだと思って思わず笑ってしまいます。妻から相手にしてもらえなくて子供のようにムキになる姿も、おお、ジム・キャリーと言いたくなるほど。
そして・・
(23という数字を何から何まで身の回りの事象と関連付けないではいられなくなってくるジム・キャリー。関連付けを探すことができるたび目を輝かせ、ゲームに夢中の子供のようにすっかりわくわくドキドキ。)
読書の進行につれて出てきたのが、23という数字。
自分の誕生日も23日、
免許証も社会保障番号の数字を足すと23、
アル・カポネの囚人番号も23、
連邦ビルの爆破事件が起こった日も23、
連続殺人犯の処刑日も23、
駐車場のナンバーも23、というように、
何から何まで23という数字に関連付け、23という数字と自分には関連性があるのだと思い込んでいく様は、笑っていいのか、ヤバイと思う局面か。まさに神経症そのもので、とうとうカウンセリングを受ける羽目になります。
(精神科医を演じたダニー・ヒューストンのせいで、リアルワールドでジミー・キャリーが疾走を始めてからというもの、どんなラストになるのか、その謎解きで最後まで騙されてしまいました。さすがに食えない俳優です。)
ところが、主治医にこう諭されても聞く耳持たず、さらに、
ユークリッド幾何学の定義も23、
広島の原爆投下は8月15日だから、8+15=23、
彼女の靴の数も23足、
マヤ暦で予言された世界の終わりも2012年の12月23日
ジム・キャリーは、数字を足したり引いたり割ったり掛けたりしながら23探しに夢中になっていきます。その姿が滑稽なのでここまでは本作をジム・キャリーのサイコ的な姿で笑わせてくれる映画なのかと思ってしまうのですけれど・・・・
(最初、誰だか分からなかった彼女、リン・コリンズだったんですね・・・)
読み進めるうちに本の中の登場人物と自分が一体化。
地味で家庭的で妻に子供のようにあやされている大人しい現実の自分と違って、スタイリッシュでクール、スリリングで冷酷な男のイリュージョンがそのままセルフイメージとなって、愛する女性とも危険な遊びを楽しむ男に変貌する幻想を持つようになるジム・キャリー。この、本に誘導されたセルフイメージの転移映像は、「シン・シティ」の映像のノリといえばいいでしょうか。
やがて、23という数字に取り付かれ、寝ても覚めても23という数字の発見に全神経を集中していくリアルワールドの自分が、23という数字への異様な執着に導かれるようにして、小説の中の人物の行動意識=イリュージョンの中の自分となり、イリュージョンの中でやがてトンでもない行為に及んでいくまで、本作をジム・キャリーのサイコ的な姿で笑わせてくれる映画なのかと思って観ているんですよね。
ところが、この殺人シーンの前後から、リアルワールドのジム・キャリーは、脂汗を流しながら、「この本は僕のことを書いている!自分が書いたんじゃなければ、自分のことをよく知っている人間が書いたに違いない!」と覚醒して、書いたのは君か~と妻を殺さんばかりの精神状態になり、家から疾走。
そこから以降はリアルワールドでの展開となり、あっという間に映画はどんでん返しのラストを迎えてしまい、観客は、そのときになって見事に読みがハズレてやっと、「ああ、こういう映画だったのか・・・」という≪遅い気づき≫を与えられて放り投げられてしまいます。そういう意味で、恐らく一度観てそれっきりという多くの方にとっては、本作『ナンバー23』はジム・キャリーの喜劇俳優としてのイメージが先入観となって本作を愉しむどころではないだろうなァと。
これ、実に出来のいいサスペンス映画だと思います。恐らく監督のジョエル・シューマカーは、ジム・キャリーの持つ特性、笑いと恐怖と狂気の表情を紙一重にする顔の表情を評価して彼を起用したのではないかと思われるほど、演出も見事。23という数字の≪謎解き≫を本作への誘導として使い観客を引き込みながら、後半見事にハズスという手腕は、映画の面白さを熟知した監督ならではの手法だと思います。
夫を思う平衡感覚抜群の愛妻を演じたヴァージ二ア・マドセンも、「ひょっとしたら、彼女が犯人(この異様な世界、現実と幻想、意識と無意識の世界の交錯をジム・キャリーに仕組んだ犯人)なのではないか・・・」「彼女が種明かし的存在になるのでは」と思わせる何とも不気味な表情があり、どこまで誰を信じたらいいのか分からなくなるクライマックスとラストの演技、なかなか唸らされました。
こういう女優を見ると、いろいろな作品で思いがけない役で使ってみたくなるのではないでしょうか。
ジム・キャリーのイリュージョンの世界で出てきた二人の女性、一人は、「23という数字が私を支配する」という言って自殺する幻想的な女性を演じていたのは、前掲のリン・コリンズですが、ジム・キャリーを23という数字に嵌って神経症全開にしていく誘導の役目を担う存在です。
ブロンドのカツラと化粧ですっかり別人になっていて、こちらにも騙されちゃいましたね。
そして、もう一人、幻想の世界でジム・キャリーが愛し殺した相手の女性を演じていたのは、こちら。
最初ヴァージ二ア・マドセンの一人二役かと思ったのですが、ローナ・ミトラでした。この彼女もジム・キャリーの夢と現の両世界の女性を演じています。ジム・キャリー演じるところのウォルターにとって避けては通れない重要なキーパーソンながら、作品の本筋を邪魔しないなかなかの存在だったと思います。
このようにサスペンス映画として面白いキャスティングになっていて、手垢のついていない女優陣を配したことが成功の鍵のように思われました。ジム・キャリーの熱演も、本作を観た二度目になら、堪能できるのではないでしょうか。また忘れた頃の観てみたいなあと思う1本ですね。
2007年制作のアメリカ映画。コメディではなく、コメディタッチのスリラーでもなく、よく出来たサスペンスです。脚本は、ファーンリー・フィリップス。ジョエル・シューマカー監督の他の作品はこちらでご覧ください。★ご参考までに。http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=851