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月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「影なき狙撃者」(「The Manchurian Candedate」)

2008年07月04日 | ◆カ行&ガ行

1962年製作のアメリカ映画。映画「ティファニーで朝食を」の脚本を書いたジョージ・アクセルロッドの脚本でジョン・フランケンハイマー監督がシナトラ主演で製作したサスペンス。

原題は、「The Manchurian Candedate」で、原作は1959年のリチャード・コンドンの同名小説。同じ原作の映画でリメイクされたのが、「クライシス オブ アメリカ」。こちらは「羊たちの沈黙」の監督ジョナサン・デミがサイコサスペンスに仕立てていて、「影なき狙撃者」の朝鮮戦争が後者では湾岸戦争に変わり、洗脳された人間の背景も共産主義という政治思想から巨大企業に変わって現代アメリカ社会に起こりえる危機を内在したものに変換されています。
社会派サスペンス映画ともいえますが、やはりジョナサン・デミ監督に敬意を表して、私はサイコサスペンス映画に分類。展開も、「影なき狙撃者」と変わりませんしね。主演はデンゼル・ワシントン。
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5237

さて、話を「影なき狙撃者」に戻すと、
これは冷戦時代の最初の熱い代理戦争となった朝鮮戦争を背景にしたスパイサスペンス。共産主義世界が得意とした洗脳がキーワードの怖い映画です。



朝鮮戦争で捕虜となりながらも仲間と共に生還し、そこでの活躍から名誉勲章まで貰うこととなったレイモンド軍曹、写真のローレンス・ハーベイが熱演していますが、このレイモンド、

 

どうもヘン・・・・・
戦争での酷い体験から生還すれば、精神的外傷があるのは無理もないことではあるけれど、親子関係もおかしい。

政治に野心を抱いて再婚したママゴンの夫人だが、この母親との関係が際立っておかしいのである。
息子を溺愛し支配するタイプの猛烈な母親と仲たがいするのは自然ながら、仲たがいしたかと思えば、猛烈なマザコン息子のように言いなりになったりする。



結婚相手を母親に決められ反発したかと思えば、次の瞬間には、赤子のようにママっ子になる・・・・

レイモンドといっしょに生還した大尉(フランク・シナトラ)は、その頃から悪夢にうなされるようになる。



夢とはいえ、悪夢そのもののその夢は、仲間を救出したはずのレイモンドが無表情で仲間を殺戮するというもの。
情報省勤務の将校となったフランク・シナトラことマーコばかりではなく、他の捕虜仲間も同じような悪夢にうなされていることを知ったフランク・シナトラは真相究明に乗り出す・・・・

母親とその再婚相手である義父は、レイモンドにとって尊敬できる人間ではない。そんな親にとって政治的に敵対関係にある男は、レイモンドを娘の相手として歓迎する度量の持ち主だが、レイモンドの畏敬の念は苦悩の色を濃くにじませたもので、背景に政治的な陰謀が見え隠れしてくるが・・・・
やがて、フランク・シナトラはレイモンドの恐るべき状況を推察するようになるが、真相を明らかにすべクレイモンドを訪ねると、彼の恋人に自分を信じて彼の事は任せて欲しいと懇願されて黙してしまう。心の病気であるということを理解しているからと。

彼女と幸せな時間を過ごし結婚の許しを得たというのに、頭の中で何かがざわついて汗ばむレイモンド・・・・

電話がかかってくると、無表情になり、
トランプを始めて夢遊病者のごとき別人になるレイモンド。
そんな彼を「秘密の任務」から解放すべく、フランク・シナトラは洗脳を解き、洗脳の最終目的を探ろうとするが、それは本人にもわからない・・・・

そして、運命の無残さ・・・・・



かかってきた電話を受け取ったレイモンドが取った行動は、まさに本人の意思や感情など入り込む余地のないものだった。

しかし、彼の最後の仕事はこの後に待っていたのである。
これは、母親の顔ではない。実に冷酷で険しい。
このアスリン夫人を往年の名女優アンジェラ・ランズベリーが見事に演じていて圧倒されます。



電話がかかってくるとトランプを始めて夢遊病者のごとき別人になる息子を見る夫人の目、その険しさに何が秘められているのか。

心身ともに疲弊しきっている息子に、彼女は最後の使命を下すのである。そう、彼女が8年間練りに練った計画をやっと実行に移すときを迎えたのだ。



母親として息子を失いはしたが、永年の野心を遂げるために必要な最後の大仕事をその息子がする!いや、何としてもさせなければならないのだ!・・・・運命を受け入れた野心家にはもう怖いものなどないに違いない。

夫人の権謀術数で政治家として無能な夫をやっとここまでにした、まさにその晴れの舞台。大統領選挙で党の副大統領の指名をとった晴れの席である。ここまで上り詰めるのに敵対する政治家や邪魔な政治家は皆消したので、あと一人・・・・あと一人を消せば、最高権力は自分たちの下に転がってくる。それも最高の舞台で!



汗ばむ夫と違って微動だにしない夫人・・・
夫人は言う。「落ち着きなさい。あの子は間違いなくやってくれる。あの子に限って失敗することはない」
これまでもそうだったのだからという声が聞こえてきそうな自信。この猛烈な母のこの確信はいったいどこから生まれてくるのか。

政治権力を欲しがる人間としては詰が甘いと言わざるを得ないですよね。これまで成功したからといって最後の大仕事も同じように完遂される保証はない。ここ一番というときだからこそ、わずかな失敗も許されないとするなら、その使命を遂げるために選んだ相手の状態は悪すぎる・・・・。愛する女性とその父親である敬愛していた政治家を自分が手に掛けたことをすでに気づいている息子。その心身の状態にまったく気づかない権力の亡者である母親には、気づく術はなかったのだろう。いや、最高権力を手中に収めたなら、息子をこんなふうにしてしまった相手に思い知らせてやるという復讐心に燃え立った心では、何も見えないに違いない。
かくして、フランク・シナトラの努力も空しく悲劇は起こってしまう。
じっくり観るにはおススメのサスペンスです。
いま観ても、緊張感が迫ってきますね。

1962年制作のアメリカ映画ですが、映画の舞台となるのはそれよりも10年遡り、世界が「冷たい戦争」に突入した時代の映画ですが、共産主義世界が得意とした「洗脳」という情報戦略は、冤罪と同じくらい恐ろしい。

当時の日本にも中国やシベリアで抑留され共産主義に洗脳されて帰国した元兵士が少なくなかったらしいという話を思い出します。戦後日本の異様な左傾化、ある思想に洗脳された人たちを中心とする勢力と反日勢力とが合流した昭和の歴史を思うと感慨深いものがありました。
この映画は、いま見てもホラー映画などよりよほど恐ろしいと感じます。


「木と市長と文化会館/または七つの偶然」

2008年06月29日 | ◆カ行&ガ行

数日前に観たばかりの映画「譜めくりの女」の中で、カロリーヌ・フロが演じた心的外傷を負ったピアニストの夫の、音楽愛好家の大物弁護士を演じていたパスカル・グレゴリーがここでは左翼政治家をエレガントに演じていて笑えた。

1992年製作のフランス映画。監督は、エリック・ロメール。
ストーリーは、こちらをお読みいただくとして、
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16597/story.html

そのパスカル・グレゴリーが扮する左翼政党所属の市長がとにかく笑える。彼は、エレガントさが単純さやひ弱さ、そして善良さに結びつくような存在を演じるのにぴったりの俳優かもしれない。
そして文化会館建設推進派の彼と敵対するエコロジストの田舎の学校教師をファブリス・ルキーニが演じているのだが、こちらの方がよほど左翼闘士といった風で、当然理屈をこねるのだが、観念派で自分では何一つ行動しない。その理由が、選挙に出ても負けるからという理由が笑えたが、自分などより娘の方が政治家に向いている、彼女は生まれながらの政治家だからと大真面目に記者に語るところ、

狂信的な中にもキラリと光る真実があるというのは実に風刺的で、父親の彼が大真面目に語る生まれながらの政治家というのが10歳の娘。このエゾという少女が何ともユニークなのは、健全に育っている普通の田舎の10歳の女の子というところがユニークになるということさえもが風刺的に感じられるほど映画全体が風刺に満ちているともいえるのだけれど、とにかく笑える。

その少女がたまたま市長の娘と遊んでいるとき、偶然市長と話し合うことになって建設問題が「政治的に」解決していくというあたり、つまりは何もしないという結論が一番皆の望む結果となるというのが何とも「政治的」に笑えた。
ファブリス・ルキーニというのは、得がたい役者だ。

ロメール監督は、こういうフランス的ペーソスの効いた喜劇作りが似合っているのでは・・・・。

★画像は整理が出来次第、アップする予定です。


カットスロート・アイランド&ロングキス グッドナイト

2008年05月28日 | ◆カ行&ガ行
これらは、CSで、
ジーナ・ディヴィス主演映画の特集をやっていたらしいときに、
たまたま観ました。

昔観た映画だわと思いながらも、結構楽しめたのは、やはり、
主演のジーナ・ディヴィスのキャラクターの面白さでしょうか。
美人女優ではないけれど、味のあるアクションをこなせる女優ですね。

この2作は当時のご主人でもあった監督レニー・ハーリンが撮っていますが、
ジーナ・デイヴィスでまっさきにわたくしがイメージする映画は、
やはり「テルマ&ルイーズ」(リドリー・スコット監督)、
そして全米女子プロ野球リーグの実話を映画化した「プリティ・リーグ」、
トム・ハンクスがチームの監督役で出ていました。
この2本が好きです。

★画像は、時間が出来た時にでも。




クリムト

2008年05月28日 | ◆カ行&ガ行
ジョン・マルコヴィッチが、グスタフ・クリムト役を演じています。 それだけで、わたくしなどは観たくなりますが、 19世紀末のウィーンの空気と クリムトの表現への執着と葛藤という内面をリンクさせている映像は特異で、 なかなか興味深かったです。 クリムトの絵画ファンや彼の作品に本当に関心をお持ちの方には、 是非ご覧いただきたいけれど、 ファッションとして彼の絵画が好きという方にはおススメしません。 監督は国際映画賞では常連のラウル・ルイス。 ★画像は、時間が出来た時にでも。

ザ・コントラクター

2008年05月28日 | ◆カ行&ガ行
ウェズリー・スナイプスがCIAの暗殺者に扮した陰謀B級アクション映画。

きれいに仕事を終えるはずだったのが、
いっしょに組んだエージェントのミスで追われる立場になるスナイプス。

舞台がロンドンという設定で、
そこのスラム街に住むトラウマを抱えた少女と出会い、
いつしか少女との友情が大きな割合を占めていくせいか、
アクション映画としては焦点がぼけてしまっていて残念!

他のアクション映画のヒーローたちもそうですが、
スナイプスも監督と脚本に恵まれていないのが、
とても残念!なわたくしです。


「キャプテン・ウルフ」(ザ・パシフィアー)

2008年05月07日 | ◆カ行&ガ行

2005年製作アメリカ映画。
わずか3年前の映画なのに、ずっと昔の映画のように思えるのは、これが、ファミリー映画というか、コメディタッチの子供向け映画というか、ハートフルでも子供だましの映画だからかもしれない。

映画の冒頭、いかにもタフガイのヴィン・ディーゼル主演のアクション映画のような映像ながら、どことなく緊迫感に欠ける作りなので、アクション映画を見慣れているファンなら、事前情報ゼロでも「?」と感じるはず。

そう、映画『ワイルドスピード』や『トリプルX』で、彗星のように現れたアクションスター、あの『リディック』で見せた強靭な肉体というか闘魂ボディ!まるで、ウェズリー・スナイプスと『ダイ・ハード』のジョン、30代のブルース・ウィルスを足して2で割ったようなアクションスターヴィン・ディーゼル、カーチェイスも似合うヒーローが誕生し、次回作はどんなアクション映画になるのかと楽しみにしていたのに・・・・



ヴィン・ディーゼルがベビーシッター役をやるとは、
いかにもバレーボールのフェイントプレイという感じだ。
それが見事に決まっていれば、ファインプレーということになるけれども、子供だましでは・・・・・いかにハートフルな場面を作っても、それではイマイチ魅力に欠けてしまう。

マッチョな俳優には、こういうことがよくある。
アクションしか演れないスターだと思われるのが不本意だというタイプ、たとえばシュワルツネッガーやウェズリー・スナイプスのように、アクションスターとして脂が乗り切っているときに、こうした子供向けの役柄をやりたがったり、
小難しい映画に出たがったりする。
皆、中途半端で面白くない。

シュワルツネッガーも、「ターミネーター」や「コマンドー」の後に、いきなりイメージチェンジで「キンダーガルテン コップ」や「ツインズ」をやり、名作「ターミネーター2」の後は、明らかに、子供たちのヒーローとして意識されたアクションスター役を演じ、とうとう「ジュニア」のように思いっきりイメージを壊す役柄をあえて選んで演じてきたけれど・・・・・彼の場合は、ニクソンのように政治家になるという野望があったので、それでもいいけれど、他はどうだろう。安易な路線変更は、どうしても安易な結果しか生まない。

ヴィン・ディーゼルは、まだ若いのに、早々とその路線に変更したのだろうか。

確かに、海兵隊が活躍する戦場ばかりが戦場ではない。
保育に育児に子沢山の家庭の母親はてんてこ舞いだし、子供を育てるというのは、ある意味戦争みたいなものかもしれない。だから、そういう戦場にヴィン・ディーゼルが臨むというのは成程了解は出来る。

この映画『キャプテン・ウルフ』は、ほろりとさせるような子供との交流や子供との関わりを通して軍隊式の生活しか知らなかった男が、家族愛や家庭の温もりや子供たちの成長に触れることで自らも成長していく物語でもある。
そうした場面では、ヴィン・ディーゼルの母性的なまでの父性が感じられて、それなりにほろりとさせられるかもしれない。
けれど、と同時に、ヴィン・ディーゼルってまだまだ坊やだったのね~と再認識させられる。1967年生まれだから、確かにまだ若い。この映画を撮ったときは28歳ということになる・・・・わ、若い~~~

けれど、だからこそ、そういう役をいま、ヴィン・ディーゼルが演じる必要があるのかなあと。

役柄がアクションをやるマッチョだからと言って、リアルの彼自身も軍隊式の生活をやっているとか海兵隊の特殊部隊のような生活をやっているなど、誰が思うだろうか。そういう役しかやれないと誰が決め付けだろう。映画でのヒーローイメージは、イメージであって虚像だということくらい皆分かっている。

だから、アクションがやれる脂の乗り切っているときに、わざわざ人間味溢れる心優しい性格の男を演じたり、赤ちゃんを抱っこする姿が決まっている家族思いのパパ役をやらなくても実はいいのであって、そういう役をやるよりは、アクション俳優としてアクション映画をもっともっと面白いものに極めてやるというくらいの根性を見せてもらいたい。

もったいない、と思うせいか、どうしてもそういうことを感じさせられてしまう。

私が見たいヴィン・ディーゼルというのは、『トリプルX』を超える映画、リディックを超えるキャラクター、映画『ヒットマン』に匹敵するようなスタイリッシュなアクション映画でもいい、ファンが見たいのはそういう役を演じるヴィン・ディーゼルなのではないか。子供が出てくる映画でもいい、ただし、子供だましのファミリー映画なんぞに出るのはやめてもらいたいものだ。
どうしても子供向けやファミリー向けの映画に出たいなら、もっともっとアクション俳優として名を挙げて不動の人気を勝ち得てからの方が、もっと幅広いファンが喜ぶだろうし、映画も面白くなるのではないか・・・・・

そう思うのは、私だけかしら。

ちなみに『キャプテン・ウルフ』の原題は、『ザ・パシフィアー』pacifierとは、英語で「おしゃぶり」のこと。


まさに、母親不在の家庭で、任務とはいえ赤ちゃんのオムツをかえ他4名合計5人の子供たちの子守役と男親の代行をするヴィン・ディーゼルもまた悪くはない。≪海兵隊命≫というような大尉が、生意気盛りの子供たちとの間で信頼と友情をかち得ていきながら自らも成長していくというストーリー(のはず)は、いかにもお子様向けだけれども、そうなればこそ、もっとアクションを緊迫感アルものにしてもらいたかったなと思ってしまう。たるみ過ぎで退屈な映画になってしまっていることは否めない。


子供向けの映画なればこそ、
子供だましの映画では駄目なんだけどなあ・・・


ヴィン・ディーゼルよ、お願いだから
そんな映画に出ないで・・・・・(泣)



 


「ゴーストハウス」(「ザ・メッセンジャーズ」)

2008年05月05日 | ◆カ行&ガ行

2007年製作のアメリカ=カナダ製作のホラー映画。
子供の日に、こんなのを観てしまった・・・・

何の変哲もない田舎の一軒家・・・・・
ノースダコダの田舎って、こんな土地なのだろうか。
見事に周囲には何もない田舎でこれから農業を始めようと都会からやって来た一家。
彼らの住む家が、一軒だけ建っている・・・・
見た瞬間、ああ、低予算なのだと映画の冒頭ですぐに思ってしまったほどの家。


けれど、そこに、こうしてヒッチコックの『バード』のように、
カラスがいきなり集まってくると、いかにも何かありそうな、いまから何か起こりそうな気になってくるのも、ホラー映画ファンにはお馴染みの導入部ですね。

カラスというのは、西洋では死者の霊が宿るイキモノとされているので、そういう意味でもカラスの登場は、ホラー映画ではお馴染みの小道具的存在なのだけれど・・・・

だよね~・・・
このカラスたちこそ、この映画のタイトル『ザ・メッセンジャーズ』なのだ。ゴーストハウスという邦題は、いかにも陳腐。

映画は、何もないド田舎の町のさらにその郊外にある農地の一軒家に、大都会のシカゴから一家四人が新天地を求めて引っ越してきたところから始まる。

ディラン・マクダーモット 演じる父親は、
何だか頼りないような感じで、

べネロープ・アン・ミラーが母親らしい。
けれど、小さな幼児を抱いているので、主人公の高校生のママとしては、ちょっとヘンな感じがする。チェックしてみたら1964年生まれなので、この映画が制作されたときは、43歳くらい。だから、年齢的にはおかしくはないのだけれど、美容に気を使っている女優であることがマイナスになっている。どうにも若いママという感じがして、家族としては違和感がある・・・てっきり、複雑系の家族かと思ってしまった。

この弟役の子供のせいかもしれない。
ヒロインとは随分年齢差がある弟ということになるけれど・・・・最初、父親が再婚でもして生まれた義理の弟になる子供かと思ったほど。この子が一番怖かったかも。
交通事故以来、口が利けなくなったという役柄なれど・・・・
かなり不気味な幼児だった気がする。

ジョン・コーベット⇒http://www.johncorbettband.com/

どこからともなく現れて、父親を襲っていたカラスどもを追い払って彼を助けたことが縁で、この家のひまわり栽培を手伝うようになる。実りがあるまでは給金を支払えない代わりに家族と居住を共にして農作業を手伝い、やがて家族の一員のような存在となって家族を支えるようになるため頼もしい男かと思ったら・・・・

見事に騙されちゃいましたね^^

それにしても、いかに家族愛をベースにしたホラーとはいえ、デヴィッド・フィンチャー監督のサスペンス大作「パニック・ルーム」のあの子が、こういうホラー映画に出てくると、既視感があって、何となく、前にも観たなあ・・・・という感覚になるから不思議だ。

彼女、クリステン・スチュアートも、こんなふうに普通の女の子の格好をすると、その端正な魅力が半減する。出る映画を選べる立場ではないのかもしれないが、考えた方がいいかも・・・・

最初、映画『スクリーム』の

このネーヴ・キャンベルかと見違えてしまって、
あれ~?と思ったほど。

ということで、主役のクリステン・スチュアートは平凡な女子高校生になってしまったホラーサスペンス映画でした。

 

 


「キャッチ ミー イフ ユー キャン」

2008年05月04日 | ◆カ行&ガ行

これを観るのは、確か三度目かなと。
2002年製作のアメリカ映画。

ご存知のようにディカプリオ演じる天才詐欺師VSトム・ハンクス演じるFBI捜査官という設定での二大スター共演(競演)ということで公開当時は大変評判になった映画だという記憶なれど、監督がスティーヴン・スピルバーグ監督だということを今回初めて知った次第。

娯楽映画では、往々にしてそんなことがあります。楽しんで終わりということになりがちなせいか、監督のことにまで気が回らないで終ってしまう・・・・



トム・ハンクスが主演するのだから、いかにエンターテイメントでもコメディでも、ヒューマンタッチのストーリーと相場が決まっている。そう思って外れじゃなかった・・・・と思った当時を思い出しますね。どこか笑えるのにやがてシリアス。真面目なヒューマンドラマ・・・・・そのイメージ通りです。

ディカプリオの役どころ、高校中退の詐欺師というからには、最初は十代。それを当時28歳だったディカプリオが違和感なく演じて見せているところは、童顔ゆえということもあるだろうけれど、やはり見物でもあります。

 

が、今回観て改めて驚いたのは、
脇を固めている個性派の役者たちの存在感。
三度目にして改めて再認識させられました。


何といっても、彼!
特異な存在感ある父親役のクリストファー・ウォーケン。
これは、相当に意外な驚き付ですが、
実にはまり役だったなあと。

世間一般の父親像からとんでもなくズレテイル、その全然父親らしくない男のズレ振りはウルトラ級だが、いかにアウトローで道徳観念ゼロの生き方にせよ落ちぶれて権威をなくして見える父親でも、実は筋が一本ちゃんと通っている。
しかも貫徹されている。警察には絶対に捕まらない詐欺師として邁進するという思い込みも相当なものだけれど、それで失敗し家庭を壊してしまったというのに、息子にも何の疑いもなくそれを示唆する。その天然振りと言ったらいいのか、イッチャッテル鉄壁の哲学と言ったらいいのか。
スーツ姿が実に決まっているダディなのだ。精神年齢が子供のままの天才詐欺師の息子ディカプリオにとって、彼がいかに愛して止まない存在だということがよくわかる。しかし、それゆえにディカプリオの思いはこの父親には届かない。
そうした存在こそ、まさに父親だとも言えるのではないか。ウォーケンはそれを自身の存在感で演じきっていた。凄い俳優です。

母親を演じたナタリー・バイという女優もよかったですよ。
破産した夫と別れ、両親の離婚に衝撃を受けて家出してしまった十代の息子のことをまるで気にも留めなお天真爛漫ぶり。それゆえに別の男性と幸せな再婚に突入していける稀に見る素直さ。
ねじが緩んだ大らかさはウルトラ級で、
そこには≪聖性≫さえ感じてしまう・・・・

ナタリー・バイという女優さん、覚えておきたいものです。
きわどい役柄ながら、いい味を出していました。

映画のラスト近くの場面です。
いよいよ捜査で追い詰められたディカプリオ。
飛行機から脱出し訪ねていった先が母親の再婚家庭。

雪が降っている外から家の中を眺める顔は、マッチ売りの少女ならぬ裸足の少年といった風情。上着もなく裸足のまま・・・・窓越しに家の中の母親を眺めているときの表情など、さすがクリスマス映画の名場面には事欠かないアメリカ映画だと感心した場面でもありました。学ぶ材料が山ほどあるということですね。

窓辺に寄って来た小さな女の子と目が合い、
「名前はなんていうの?君のママは?」
他所の子が訪ねてきているのだと思って聞くディカプリオ。すっかり子供の顔になっているところなど、いかにまだ20代だったとはいえディカプリオ迫真の演技と言えそうです。

何度観ても、じ~んと来てしまいますね、ここ。
北野武にも似たような映画があったなあと。
何という映画だったか・・・・



それと、恋人となる頭のねじが緩んだ女の子を見て思うのは、彼女がディカプリ扮する詐欺師の母親に似ていることですね。無意識でもそこに惹かれたのだろうなあと。

その彼女の父親役で出ていたマーティン・シーン、とてもいい味を出していましたね。会話のやり取りには笑ってしまったけれど、やがて悲しき何とやら・・・・キッチンで妻とダンスする姿が良かったですね~あの腰振りダンス。これは、一見の価値あるシーンです。

 

ということで、この映画、実は、公開当時、トム・ハンクスがすっかりオジサン臭く感じられてしまった契機となった映画で、それって、いわば父性が演じられる男優になったということだと再確認。

そういう意味でも、ディカプリオとの追いかけっこを通じ相手のことを誰よりも理解していくFBI捜査官役において、トム・ハンクスは父性のわさびを利かせてくれました。
ラストの空港での決め台詞は、コメディタッチのヒューマンドラマにあったわさびが効いたシーンの結実ですね。


それにしても、今回観ても面白いと思ったのは、アメリカの司法取引。やはり、国家というものが立ち行くテイをなしていると、ああいう取引も可能なのだろうし、映画の結末も日本では想定できないものになる。蛇足ながら、国家というものに対する構えや意識が日本とはまるで違うことが映画にも影響しているのだと感じさせられた次第です。

全体的に、キャスティングの取り合わせの≪意外性≫が、このエンターテイメント映画に緊張感と安定感をもたらし、いい味を出しているのだろうと思う作品。

 



 





 


黒水仙

2008年03月24日 | ◆カ行&ガ行
●「黒水仙」

いかにも1950年以前のイギリス映画という感じの映画、
黒水仙」ですが、

デボラ・カー
あの誘惑に負けない凛としたクラシカルな美しさは、
残念ながら現代の女優陣には見られない魅力だと再認識させられました。

著作権切れで、いま500円でDVDも購入できます。
共演の俳優、名前を失念しましたが、誰かに似ているなあと。