ビルボード・チャート日記 by 星船

1970年代から80年代にかけての特にビルボードのチャートを中心に、洋楽を愛する皆さまにお届けするブログです

モンキーズ The Monkees-That Was then This Is Now(1986年の洋楽 Part35)

2022-09-08 20:47:26 | '86年洋楽
1986年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart35は、The Monkeesの"That Was Then, This Is Now"。最高位は8月30日付の第20位。年間チャートは圏外でした。

The Monkeesですが、皆さんご存じでしょうか。60年代にデビューした4人組のアメリカのロックバンド。
日本でも「デイドリーム・ビリーバー」や、「恋の終列車」の大ヒットで有名、特に「デイドリーム・ビリーバー」は、CMでも使われ、日本のヒットチャートも賑わしました。

バンドの結成は1965年、当時、すさまじい人気だったイギリス出身のビートルズのようなバンドをアメリカでも作ろうと、オーディションを経て結成され、アイドルロックグループとしてデビューしました。

デビューシングルのリリースは1966年、"Last Train to Clarksville 「恋の終列車」"です。レコードのリリースと並行して、テレビ番組『ザ・モンキーズ・ショー』が開始され、テレビ番組とレコードの販売を連動させる戦略が大当たり、いきなりの全米1位を記録、その後も大ヒットを連発、前述の"Daydream Believer"を含め、合計3曲のNo.1ヒットを記録します。

人気の頂点を極めたThe Monkeesですが、3年後の1968年にテレビ番組が終了、人気も下降し、1968年に最高位19位を記録した"D. W. Washburn"を最後に、Top40から姿を消してしまい、71年には、バンドの活動を停止します。

そのThe Monkees、1986年になって、MTVの音楽チャンネルで、昔のモンキーズのテレビ番組が再放送され、それを機に徐々にモンキーズ人気が復活してきます。
その人気復活により、オリジナルメンバーの4人のうち、マイク・ネスミスを除く、デイビー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トークの3人組で活動を再開、ベストアルバムに、新たに録音した3曲を加えたアルバム『Then & Now... The Best of The Monkees』を発表、そのアルバムからシングルカットされた曲がこの曲"That Was Then, This Is Now"です。

この曲の発表とともに、モンキーズ結成20周年ツアーを開始、ツアー人気と併せシングルもチャートを上昇、なんと1968年以来、18年ぶりにTop40に登場、最高位20位を記録するヒットとなりました。

"That Was Then, This Is Now"の曲の作者はVance Brescia、ソングライター専門の方のようです。
曲は70年代を感じさせながらも、80年代の洗練されたポップロック。アップテンポの明るい曲で、60年代から、70年代も、あわせて意識できるようなところが良かったかもしれません。
その後、1枚アルバムを出しましたが、シングルヒットはこの"That Was Then, This Is Now"が最後になってしまいました。その後、何度か再結成したようですが、現在は、すでにメンバー4人のうち2人が亡くなり、活動はしていないようです。
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マイケル・マクドナルド Michael McDonald - Sweet Freedom (Theme From Running Scared)(1986年の洋楽 Part34)

2022-09-01 22:00:56 | '86年洋楽
1986年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart34は、Michael McDonald の”Sweet Freedom (Theme From Running Scared)”。
最高位は8月30日から9月13日まで3週続けた第7位、年間チャートは75位でした。

Michael McDonaldですが、アメリカミズーリ州出身のボーカリストで、シンガーソングライター。
まずは、スティーリー・ダンのツアーメンバーとしての活動を始め、続いて、スティーリー・ダンのメンバーとなりますが、その期間はほんの少しだけで、75年からはThe Doobie Brothersに加入して活躍します。
その、The Doobie Brothers では、78年にリリースした、彼ら8枚目のアルバムからのシングル、"What a Fool Believes"が、The Doobie Brothers では2曲目となるNo.1ヒットとなります。この曲の作者は、Michael McDonaldとKenny Logginsの共作。リードボーカルは、もちろんMichael McDonald、Doobie Brothersでは大活躍でした。

そのThe Doobie Brothersは82年には活動を停止、Michael McDonaldもソロ活動を開始し、ソロ第一弾のシングル"I Keep Forgettin' (Every Time You're Near)"が最高位4位、いきなりの大ヒットとなりました。

その後、85年には、2枚目のソロアルバムとなる『No Lookin' Back』、同名のシングルもリリースしますが、アルバム、シングルとも、売れ行きは良くなく、小ヒットに終わります。
しかし、この間、Michael McDonaldは、曲作りや、他のアーチストとのコラボシングルで、大ヒットを連発しています。
コラボシングルとしては、79年に最高位11位を記録したKenny Logginsとの"This Is It"を皮切りに、82年のJames Ingramとの"Yah Mo B There"が最高位19位、そして、この86年になって、Patti Labelleとのデュエット"On My Own"が、3週間の1位で、年間チャート第4位の、年度を代表する大ヒットになりました。こちらをご覧ください→→→

さてこの曲、タイトルにもあるように、映画『Running Scared』サントラからのシングルです。『Running Scared』では分からないかもしれませんが、映画『シカゴ・コネクション/夢みて走れ』のことですね。といっても、名前には覚えがありますが、どんな映画だったかは、思い出せませんです。

”Sweet Freedom”の作者は、Michael McDonald ではなくて、超有名ソングライターRod Tempertonの作です。Rod Tempertonは、私のブログには、何度も登場しています。元はファンクグループHeatwaveのキーボード奏者で、Heatwaveの2位を記録した"Boogie Nights"、さらには、マイケル・ジャクソンの"Rock with You"、"Off the Wall"、"Thriller"、その他にもGeorge Bensonの"Give Me the Night"やThe Brothers Johnsonの"Stomp!"などなど、特にソウル系の数々の名曲を生み出した方です。
83年の年間8位の大ヒット、Patti Austin & James Ingramの"Baby Come To Me"もRod Tempertonの作で、この曲には、Michael McDonaldもバックボーカルで参加しています。
そうそう、Rod Temperton は、"Yah Mo Be There"のソングライターグループにも参加していました。Michael McDonaldとは、いろんなところで共演していますね。こちらをご覧ください→→→

“Sweet Freedom”ですが、私としては、この曲が、Michael McDonaldの曲の中では一番好きかも。イントロから、Michael McDonaldにしては、アップテンポで、なによりもポップで明るく、いい曲ですね。Rod Tempertonの作ですから、元々のMichael McDonaldの曲調とは違うのも当たり前ですが、意外にもMichael McDonaldには合っていると思います。
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ディバイス Device - Hanging On a Heart Attack(1986年の洋楽 Part33)

2022-08-25 22:06:00 | '86年洋楽
1986年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart33はDeviceの”Hanging On a Heart Attack”。最高位は8月16日付と23日付けの第35位。年間チャートは圏外でした。

今週の木曜日の記事は、大部分の方の予想を外したでしょうか、Deviceの”Hanging On a Heart Attack”。久々の皆さんこの曲知らないでしょう、の回です。
Deviceについては、最近、Rod Stewartの"Love Touch”の記事を書いている時ですが、作者のHolly KnightのWikipediaの記事を見ていたら、「She was a member of the 1980s pop rock groups Spider and Device」、「あれ?Deviceって、今チャートに入っているDevice?」、て調べてみたら、そのとおり、希代のソングライターHolly Knightが、Spider解散後、結成したバンドが「Device」だったのです。

その「Device」ですが、Spider解散後の1985年に結成されたポップロックバンドで、メンバーは、もちろんHolly Knight、彼女は、曲づくりはもちろん、キーボード、ベース、ドラムスまで担当しているようです、それに、ボーカルのPaul Engemann、ギターのGene Blackが加わった3人組。たった1枚のアルバム『22B3』を発表したのみで、1987年には解散してしまいます。

そのアルバム『22B3』からのファーストシングルカットがこの曲”Hanging On a Heart Attack”で、曲の作者は、もちろんHolly Knightに、いつもコンビを組んでいるMike Chapmanの共作。プロデューサーはもちろんMike Chapmanです。
PVを見ると、ビジュアル系メタルバンドのような感じですが、やっぱりどうして、Holly Knight とMike Chapmanの共作ですから、メロディアスなソフトロック。この系統の曲は私の大の好みではあります。たった4週間しかTop40に入らず、NHKリクエストコーナーでも流れなかったのでしょうか、当時は、カセットにも入っていないで、ノーマークでした。ギターもカッコ良く、最近改めて聞いています。

メンバーの紹介をしますと、Holly Knightは、私のブログで何回も紹介していますが、ギター担当のGene Blackですが、実はHeartの"Never"を、Holly Knightとともに共作したのが彼でした。Rod Stewartの"Love Touch"でも、ギターを弾いています。ボーカルのPaul Engemannですが、もともとはソロで活動していたようで、Device解散後は、"Obsession"のヒットで有名なAnimotionに加入("Obsession"の作者もHolly Knightでした)、バンドの89年のヒット"Room to Move"のボーカルはPaul Engemannが務めています。


アルバム『22B3』からは、”Hanging On a Heart Attack”を含め4曲がシングルカットされましたが、いずれもTop40ヒットにまでは至りませんでした。
ただ、このアルバム以外にもう1曲有名な曲があります。それは、映画の「Mad Max Beyond Thunderdome」のサントラから、もちろんTina Turnerの"We Don't Need Another Hero (Thunderdome)"が、大ヒットしていますが、もう1曲のTina Turnerのヒット、私のブログでは紹介していませんが、最高位15位を記録した"One of the Living"については、よく見ると、Tina Turner featuring Device and Tim Cappelloとなっています。曲の作者はもちろんHolly Knight。Deviceからは、ギターのGene Black参加していますが、ボーカルのPaul Engemannは参加していないようです。ちなみに、Tim Cappelloは、サックス奏者です。
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タイメックス・ソーシャル・クラブ Timex Social Club - Rumours(1986年の洋楽 Part32)

2022-08-18 20:49:55 | '86年洋楽
1986年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart32はTimex Social Clubの"Rumours"。最高位はこの8月16日付の1週のみの第8位、年間チャートは77位。Timex Social Clubは、この曲がデビュー曲でしたが、大ヒットになりました。

Timex Social Clubですが、アメリカカリフォルニア州出身のR&Bグループ。
リードボーカルのMarcus Thompsonを中心に、1985年に結成されたバンドですが、1枚のアルバムと、Top40ヒットはこの曲1曲のみで終わってしまいました。詳細はよく分からないバンドです。

この曲”Rumors”ですが、曲の作者は、メンバーのMichael Marshall、Marcus Thompson、Alex Hillの3人の共作。プロデュースはR&B分野のプロデューサーとして活躍しているDenzil FosterとJay Kingです。ファーストアルバム『Vicious Rumors』からのファーストシングルで、シングルは、あともう2曲がシングルカットされましたが、R&Bチャートでヒットしたものの、Top40ヒットには至らなかったです。

”Rumors”と言っても、フリートウッド・マックとは、もちろん全く関係ないです。
曲は、まさに「70年代ファンク」、という曲です。私としては、懐かしい思いで聞きました。

バンドの活動は2年ほどで終了してしまいますが、このアルバムのプロデュースを担当したDenzil FosterとJay Kingらが中心になって結成したのが「Club Nouveau」。Timex Social Club解散後の1987年に、ビル・ウイザースの"Lean on Me"をカバーして、全米No.1を記録する大ヒットになりました。Club Nouveauは、今でも活動を続けているようですが、レギュラーチャートでのTop40ヒットは2曲のみ、大ヒットは"Lean on Me"だけで、Timex Social Clubと同様、一発屋になってしまいました。
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Rod Stewart - Love Touch (Theme from Legal Eagles)(1986年の洋楽 Part31)

2022-08-11 22:15:17 | '86年洋楽
1986年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart31はRod Stewartの"Love Touch (Theme from Legal Eagles)"。最高位は8月9日付の第6位、年間チャートは82位。
70年代初めころから、コンスタントにシングルヒットを出してきたロッド・スチュワートですが、84年に最高位10位を記録した"Some Guys Have All the Luck"以来2年ぶりのTop10ヒットになりました。

Rod Stewartですが、イギリス出身のロックシンガー。60年代から、ジェフ・ベック・グループや、フェイセズのボーカリストとして活躍、70年代になってからソロ活動を始め、71年の初めてのソロヒットが"Maggie May"で、いきなりのNo.1を記録しました。その"Maggie May"は71年の年間チャートで2位、76年から77年に、8週間のNo.1を記録したのが"Tonight's the Night (Gonna Be Alright)"で、77年の年間チャートでNo.1の歴史的なヒットに、そして、79年に4週間のNo.1を記録したのが"Da Ya Think I'm Sexy?"で、これが年間チャート第4位。この3曲のメガヒットを持っている、改めて偉大なロックシンガーです。

Rod Stewartのシングルヒットとしては、Faces時代に2曲のTop40ヒット、ソロになってからは、この曲で通算20曲目のTop40ヒット、3曲のNo.1ヒットを含め8曲目のTop10ヒットになりました。

"Love Touch"ですが、曲の作者は Holly KnightとMike Chapmanの共作。プロデューサーはMike Chapman。この二人は、超売れっ子の有名ソングライターであり、プロデューサーです。
Holly KnightとMike Chapmanのコンビの作としては、Pat Benatarの"Love Is a Battlefield"や、Tina Turnerの"Better Be Good to Me"があり、私のブログでも、何度か登場済みです。

この曲"Love Touch"ですが、副題にもあるとおり、映画『Legal Eagles』のエンディングテーマです。映画はロバート・レッドフォード主演のサスペンス映画で、邦題は『夜霧のマンハッタン』。私は映画を見ていないので何とも言えないのですが、そんなに大ヒットした映画ではないようです。

レコード会社の関係なのでしょうか、"Love Touch"は、映画のサントラ盤には収録されておらず、ロッド・スチュワートの14作目のソロアルバム『Every Beat of My Heart』に収録され、シングルカットされた曲です。

曲は、軽快な調子のポップスタッチの曲、特にサビの部分「Love Touch~♪」のところが覚えやすい、楽しい曲ですね。さすがHolly KnightとMike Chapmanのコンビによる作品です。
ただ、Wikipediaによると、ロッド・スチュワート自身は、この曲が気に入らなかったようで、ライブでは演奏しないようです。なぜでしょうね。
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