基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

大変な新聞休刊日

2006-10-10 18:01:51 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は新聞休刊日で朝が淋しい日ですね、でなければ各紙とも北朝鮮核実験を強行などと二段抜きの大見出しで大騒ぎだろう。 もともと新聞を毎朝じっくり2時間ぐらいかけて見る習慣なので淋しい限りだ、我々年代は活字文化で育ったので活字が無いと居られない、67歳で退職後8年になるが空きのあった本箱も満杯となり、棚を吊ってみたがもうせまい、よわったもんだ。

 子供の頃は大日本雄弁会講談社版の少年倶楽部などが出ていたがなかなか買って貰えず、やむなく大通りに在ったオチャトウさんと言う古本屋で小遣いためて半値の半値ぐらいで古本を買って読んだものだ、この中に大仏次郎の天兵童子や吉川英治の信州天馬郷(峡)?だったか読んだが、この続き物は古本の悲しさなかなか続いて手にはいらない、とびとびで、中間を想像でつないで完結したり、しなかったりで貧乏人の子は悲しいものだった。 そこへいくと大通りの商家のぼんぼんは部屋に講談社の絵本(50銭)を全て並べたり、参考書をそろえていたりでうらやましい限りだった。

 夜店の屋台などで立川文庫などが安く売っていた、買って読んでみるとミスプリで1ページそっくり読めなかったりと残念な思いもした、もう少し大きくなると誰が借りてきたか八畳の床の間に、よく厚さ10センチもあるが講談全集が置いてあった、いわゆる講談を速記したもので岩見重太郎の狒々退治・間垣平九郎馬術・次郎長三国志・国定忠治など、の外モンテクリスト伯(岩窟王の別名)など、夏休みなど水泳の合い間を縫ってよく読んだものだ。

 ラジオがはいったのが昭和12-3年ごろか、大人は浪曲などを聞いていたが、我々子供の一番記憶にあるのは徳川無声の宮本武蔵の口演だろう、このような育ちをしたので今でも活字がなじみで切りは離せない人間となってしまった。

 さてブログでもと思ったらパソコンがフレーズで、そのうちに電話も不通と重なりようやくNTT東日本で教えてもらいながら復旧にこぎ着けた半日だった。