本日、ある会合の席で、高崎市郊外に開店した巨大なショッピングモールが話題となった。前橋中心商店街で行われるお祭りのときより人がいるとのお話しであったが、ある方が「とてもこれが“美しい日本”とは思えない」ということをおっしゃっていた。私も全く同感である。
中心市街地の再活性化が叫ばれて久しいが、今年漸く郊外大型店を一部規制する法律改正が行われた。しかし、その対応は、1テンポ、いや、2テンポ遅かったような気がする。行政として中心市街地の再活性化対策を進めながら、一方で郊外大型店の立地を容認してきた。また、行政自体も、学校を始めとする公共施設を、中心市街地から郊外に移設した。そこには政策の一貫性・整合性が見られなかったような気がする。しかし、今更そんなことを言っても遅い。大事なのは過去を反省し、今後に生かすことである。
このところ、まちづくりにおいて、「コンパクトシティ」という言葉が流行である。私もこれを支持したい。これは、その言葉からも創造できるように、「コンパクトなまちづくりをしよう!」と言うことである。私は、これを、原則、まちはまち、田園は田園、山村は山村としてすみ分けをし、それぞれの機能を高めることと理解している。
「コンパクトシティ」には他多くの利点が考えられる。まちのむやみな拡散を防ぐことによって、効率よく下水道整備等の都市基盤整備ができる。それは、当然、財政負担の軽減にも繋がり、同時に投資効果も高まる。少なくとも公共施設をできるだけ中心市街地に配置することによって、自然と、中心市街地の再活性化も実現できるであろう。
我が国では、のどかな田園風景の中に突如として巨大なショッピングモールが出現するが、何年か前に訪れたヨーロッパでは、農山村は農山村としての大変絵になる美しい風景が続いていた。私は、これこそが“美しい国”と思う。私は、そんな“美しい日本、美しい群馬県、美しい前橋”を目指したい!
中心市街地の再活性化が叫ばれて久しいが、今年漸く郊外大型店を一部規制する法律改正が行われた。しかし、その対応は、1テンポ、いや、2テンポ遅かったような気がする。行政として中心市街地の再活性化対策を進めながら、一方で郊外大型店の立地を容認してきた。また、行政自体も、学校を始めとする公共施設を、中心市街地から郊外に移設した。そこには政策の一貫性・整合性が見られなかったような気がする。しかし、今更そんなことを言っても遅い。大事なのは過去を反省し、今後に生かすことである。
このところ、まちづくりにおいて、「コンパクトシティ」という言葉が流行である。私もこれを支持したい。これは、その言葉からも創造できるように、「コンパクトなまちづくりをしよう!」と言うことである。私は、これを、原則、まちはまち、田園は田園、山村は山村としてすみ分けをし、それぞれの機能を高めることと理解している。
「コンパクトシティ」には他多くの利点が考えられる。まちのむやみな拡散を防ぐことによって、効率よく下水道整備等の都市基盤整備ができる。それは、当然、財政負担の軽減にも繋がり、同時に投資効果も高まる。少なくとも公共施設をできるだけ中心市街地に配置することによって、自然と、中心市街地の再活性化も実現できるであろう。
我が国では、のどかな田園風景の中に突如として巨大なショッピングモールが出現するが、何年か前に訪れたヨーロッパでは、農山村は農山村としての大変絵になる美しい風景が続いていた。私は、これこそが“美しい国”と思う。私は、そんな“美しい日本、美しい群馬県、美しい前橋”を目指したい!