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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

黒いケープ

2014-05-14 06:13:16 | 虹のコレクション・本館
No,138
オーブリー・ビアズリー、「黒いケープ」、19世紀イギリス、アール・ヌーヴォー、イラストレーション。

かのじょの切り絵による線刻派表現には、ビアズリーのこの絵が影響している。かのじょは中学の頃、一時期ビアズリーに凝っていたのだ。

細い線と墨で塗られた面だけで構成された絵だ。微妙な陰影などは一切排除する。
これが実に美しいと、かのじょは感じたのである。

墨が流れてくるようなスカートの線が美しい。彼女はこれに感銘を受け、自分でも表現を試みてみたのである。

ビアズリーのようにセンス良くは描けなかったが、もうひとつ好きだったボッティチェリなどの影響で、きりりとした線を使いながらも、少女らしいあたたかな線画をかのじょは繰り返し描いた。

芸術の発展は何から生まれてくるかわからないということだ。いつまでも、古典から学んだデッサン技術などにこだわっていると、大事な未来を見失うかもしれないよ。

レオナルドのように、人体を解剖してその構造を学び、正確に現実を映し出すということも大事だが、それにとらわれ過ぎると、表現の可能性がせばまってくる。

芸術の表現はいつも、魂がもっと自由に泳げる世界を探しているのだ。美しい空を探してみたまえ。

おもしろいものは、意外なところから生まれるかもしれないよ。




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絶望

2014-05-13 06:11:47 | 詩集・試練の天使

大陸のごとき巨魚が
腹を見せてひっくりかえる
叫び声をあげることもなく
断末魔の痛みさえもなく
ある日突然
あっけなくひっくりかえる

アトランティスが沈むような
阿鼻叫喚もない
恐怖の大王の襲来のような
暗闇の支配もない
ただ突然 すべてが
生きながら死に絶える

あれほどおもしろかったテレビが
ちっともおもしろくない
あんなにかわいかった女の子が
ちっともきれいじゃない
あんなにおいしかったお菓子が
ちっともおいしくない

なんなんだこれは
ばかみたいだ
なにをやっているんだ
にんげんは

なにをしてもつまらなくなった
人間は
一斉に
生きるのがつらくなって
家に帰る
帰ってもおもしろくないから
部屋でぼんやりしている
何をしても何の意味もない

生きているのか おれは
死ぬことさえできないのか

何もかもが 馬鹿になった人間たちが
蟻の行列のように歩きだす
みなが目指している所には
小さな社があって
天使がひたすらに
人間のために祈っている




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レースを編む女性

2014-05-12 06:16:12 | 虹のコレクション・本館
No,137
ヤン・フェルメール、「レースを編む女性」、17世紀オランダ、バロック。

フェルメールは冷めた目で人間を見ている。その生涯は謎に包まれているが、生涯不遇であったことを考えると、人間に対して、あまりよい気持ちは持てなかったに違いない。

釘一本でさえゆるがせにしない完璧に近い遠近法の画面の中で、人間はまるでスツールか何かのように立っている。冷たいまなざしがそれに灯ることはあるが、暖かく見返してくれたりはしない。

モデルになった女性や男性にも、名前はない。どこかにいるだれか、興味もない見知らぬ他人だという風に、人間を描く。

こういう描き方は、印象派を経て、キュビズムやダダ、シュルレアリズムに流れていく。人間から個性を奪い、尊厳をはぎとり、物体、物質、形や概念としてとらえて描く。中にはおもしろい作品もあるが、それは芸術を腐食させてゆく原因にもなった。

わけのわからないものを描いたり作ったりして、それに抽象と名を付して、高尚なことにすればいいなどという芸術家が排出したのである。

いろんな画家がいろんな絵を描いているがね、ほとんど偽物だよ。おもしろいのはあるが、これは重要だと思うような作品にはなかなか巡り会えない。20世紀絵画はたくさんあるが、激貧の世界だともいえる。

その源流が、これだ。フェルメール。この画家は、人間を愛しつつも、痛いところで、確実に人間を拒否している。何かはわからないが、決定的に人間を信じられなくなるような、痛い経験をしたのだろう。

フェルメールが、名品としてもてはやされているということは、現代人の心にも、これと同じ心が流れているといって間違いはない。




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ヴィーナス

2014-05-11 06:06:38 | 虹のコレクション・本館
No,136
サンドロ・ボッティチェリ、「ヴィーナス」、15世紀イタリア、初期ルネサンス。

昨日と打って変わって、実に美しい女性である。長い金髪と、白い裸体を惜しげもなくさらしてくれる。女性の美しさを、惜しみなく見せてくれる。

女神と言われるゆえんだ。

ヴィーナスは、マルスやヘルメスと不倫をしたり、美少年アドニスとも恋をしたり、いろいろと奔放な恋愛伝説があるが、この絵の女神を見ると、そんな雰囲気は微塵も感じられないね。いろいろなうわさを立てられても、黙って笑っているという感じだ。男が、自分に持つ欲望をわかってくれる。そして、ある程度は、馬鹿なことを許してくれる。

闇に浮かび上がる白い裸体が美しい。これはどんなにがんばっても、コレクションから排除するわけにはいかないね。

工房作という話もあるが、ボッティチェリ本人が筆を使っていないと、これは描けない。

かのじょはこれが好きだった。これに、暗い墨のような泥の底に沈んでも、決して汚れない真珠のような、女神のイメージを重ね、それを目指して生きようとしていた。

どんなに辛くても、決して自分の美しさを、神が与えてくれた美しさを、泥に汚すことはすまい。

かのじょが目標とした女神のイメージがこれだよ。

これから、美しい女性の生き方を目指す女性は、この女神の絵のイメージを、目標とするがいい。

とんでもなく厳しいがね。




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聖母子

2014-05-10 06:10:37 | 虹のコレクション・本館
No,135
ジョヴァンニ・ベッリーニ、「聖母子」、15世紀イタリア、盛期ルネサンス。

好きな画家のひとりなんだが、この聖母は女性ではないね。実に美しいが、これは聖女というより、男だよ。

男の、実に清らかな聖者の位に達したものを、女性に変換して描いたという感じだ。だから、美しいが、まるで女性らしさを感じない。ヴェールをとっても、長い髪はそこにない。たぶん、男のような短髪がある。

メッシーナの聖母などには、厚いヴェールの奥に、女性らしい匂やかな長い髪を無理やり隠しているような風情があったが、この絵の女性には、始めからその気配がない。

決して生むはずのない女性に、子供を与えているためか、まるで幼子イエスは教会の生誕劇に使う人形のようだね。

たぶん、ベッリーニは、身近に、聖母のモデルとできるような女性を見いだせなかったんだろう。ゆえに、ときに美しさを感じさせる、静謐な男を、女性に変えて聖母にしたのだ。

まあ、画家は、自分が美しいと感じるものしか描けないからなのである。彼が描くマグダラのマリアなども、美しく波打つ金髪を描きながらも、どこか色っぽさを感じないね。

淫らというのではなく、男も女も、女性を見ると、情感の表面が荒く揺れるような感覚を感じるものだ。要するに、動的になる。だがこの女性を見ても、情感は揺れない。まるで石のように静かだ。

つまりは、男だからだよ。

男を女にすると、こういうものになるという、一つの例かもしれないね。




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ヘンリー8世

2014-05-09 06:10:49 | 虹のコレクション・本館
No.134
ハンス・ホルバイン(子)、「ヘンリー8世」、16世紀ドイツ、北方ルネサンス。

この画家は、男を実に美しく描くので、結構好きなのだが、残念ながらこの王は偽物だ。実に男らしい風貌をしているがね、これは皮だけの男だよ。中身は全然別の男だ。

ヘンリー8世は好色なことで有名な王だ。男児ができないことを苦しんで、何度も結婚と離婚を繰り返し、それが原因でローマカトリック教会に破門され、イングランド国教会を作った。

これはどんなに言い訳しようと、男の馬鹿だよ。実にね。こんな男はね、本来もっと貧相な姿に生まれる。好色そうな雰囲気をしながらも、絶対に女が寄って行かないようなさえない醜男に生まれるのが普通だ。

それがこんな立派な風格をもった姿をしているのは、完全に盗みだからだよ。女を得るために、実質、他人から顔も、王位も、盗んだのだ。本当の王様は、別にいたんだよ。これは、本当の王様から、王様の人生を盗んだ馬鹿だ。

残念ながら、人間が知っている王様は、ほとんどみんなこんなのばかりだ。太古の時代には、本物の王様もけっこういたんだがね、馬鹿があらゆることをやりはじめてから、王様になりたい馬鹿ばかりが、王になるようになったんだよ。

これでは王制がすたれても仕方がない。

事実上、この王は、たくさんのいい女とセックスがしたいだけの馬鹿だったんだよ。こんなのは、たくさんいるよ。




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馬鹿の末路

2014-05-08 06:10:28 | 詩集・空の切り絵

かっこいいつもりで
かっこいいつもりで
かっこいいつもりで
やったんだよ

はでに はでに
みんな馬鹿だって言って
いたいほど
おれたちはええって言って
おおいばりで かっこよくやったんだよ

大舞台で 見え切って
ばっかじゃねえの
あっほじゃねえの
おれたちみたいにやれよ
馬鹿みたいにあほなことして
えれえいいことんなってみろよ
ばっかじゃねえの
ばっかじゃねえのって
あれほど あれほど
あれほどやったのに
ぜんぶだめんなるのって
ないよお

あほじゃねえのって言って
やったやつが 馬鹿だったんだってことんなれば
かっこわるいなんてもんじゃねえ
やめてくれよ
あほじゃねえのって言ったのに
今さら馬鹿だったなんて
たまんないよお

どうにかしてください
どうにかしてください
とにかく なんとかして
おれがかっこいいことにしてくれよ
みんなが馬鹿んなれば
おれがかっこいいことになる

どうにかしてください
どうにかしてください
しつこいほど しつっこいほど言うんだよ
かんべんしてくれえ
たまんないよお
おれ すっげえことやったんだよ
あっほみたいに

あれみんな ぶすな男がやった馬鹿になるんだよ
いたいよお



コメント (1)
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たんぽぽ野原で

2014-05-07 06:10:54 | 月夜の考古学・本館

「裏山にこんな原っぱがあるなんて、ぼく、知らなかったなあ」
 トオルの目の前には、一面、黄色いたんぽぽが、咲いていました。若草色の草原に、金のメダルを、星の数ほども、ばらまいたような、とてもすてきなたんぽぽ野原でした。
 空は水色に輝いて、春の光は蜜のように、そこらじゅうにしたたりおちていました。そよ風には、花の香りが豊かにみちて、息をすうと、体じゅうが花になってしまいそうになるくらいです。
「ママにあげる花束が、いっぱいできるぞ」
 トオルは、ランドセルをほうり出すと、野原にしゃがみこんで、たんぽぽをつみはじめました。
「大きな花束を作るんだ。山みたいに、大きなやつを作ろう。そしたら、きっとママは大よろこびする」
 トオルは、いっしょうけんめい、花をつみました。時間もわすれてしまうほど、夢中でつみつづけました。
「ねえ、なんでそんなにお花をつんでるの?」
 ふと、小さな鈴のような声が、トオルの耳にころがりました。トオルが目をあげると、そこには、トオルより少し小さくくらいの女の子が、ひとり立っていて、めずらしそうにトオルを見ていました。マシュマロみたいなぽっちゃりほっぺの、色の白い子で、やわらかいかみを、赤いぽっちりで結んでいます。たんぽぽもようの、きれいなワンピースを着ていました。
「ママに、花束をあげるんだ。ママは、たんぽぽが大好きだから。ぼくが花束をあげたら、ママもきっと元気になるよ」
 トオルは、わらってこたえました。女の子は、きょとんと首をかしげて、トオルをみつめています。
「ふうん……。あんたのママ、元気じゃないの?」
「うん。ちょっとね」
 そういうと、トオルは、きゅうに下をむきました。なみだが出そうになったのです。みしらぬ女の子に、泣き顔なんて見られたくなかったので、トオルは、顔についたどろをとるようなふりをして、なみだをぬぐいました。
「じゃ、わたしもてつだってあげる」
 そういうと、女の子も、野原にしゃがみこみました。
「い、いいよ、ぼくのママなんだもの。それより、きみはだれ? きみのママはどこ?」
 トオルはあわてて立ち上がって、まわりを見まわしました。この子のママかパパが、どこかで見ていないかと思ったのです。すると、たんぽぽ野原のずっとむこうの、こんもりしげった森のふちっこあたりで、おとなの人がひとり立っていて、こちらにむかって手をふっているのが見えました。
「ほら、ママがよんでるよ」
 トオルがゆびをさしていうと、女の子はそっちを見もせずに首をふりました。
「ちがうの。あの人はママじゃないの。ママみたいな人よ」
「ママみたいな人?」
「うん。ママと同じくらい大好きだけど、ママじゃないの」
「ふうん……」
 トオルは首をかしげました。女の子の言ってることが、よくわからなかったのです。トオルはまたしゃがみこむと、やわらかなたんぽぽの茎をおりながら、言いました。
「ぼく、トオルっていうんだ。木の葉小学校の一年だよ。きみは?」
「わたし、サーヤ」
 サーヤという女の子は、それだけいうと、だまってトオルのつんだ花に手をのばしました。
 サーヤは、トオルのたんぽぽを十本もとると、それをきれいにあんで、花の首かざりをこしらえました。
「うわあ、じょうずだね」
 トオルが感心していうと、サーヤはとくいになって、うでわや、メダルや、ブローチなんかを、いくつも作りました。
「すごいなあ。きみ、小さいのに、いろんな作り方、たくさん知ってるんだね。……そうだ、ねえ、ふたりで協力しようよ」
「きょうりょく?」
「うん。ぼくが、たんぽぽをつむから、きみはそれで、首かざりとかブローチを作るんだ。たくさんたくさん作って、それをママにプレゼントするんだ。そしたら、きっとママはおおよろこびして、わらってくれる」
「あんたのママ、わらわないの?」
 サーヤや、トオルの顔をしげしげと見て、言いました。トオルは、なんだか少し、はらが立ってきました。サーヤが、トオルの聞かれたくないことばかりを、ずけずけと聞くからです。トオルは、もっていたたんぽぽをぎゅっとにぎりしめると、ふんと横を向いて、言いすてました。
「そうだよ。わらわないよ。それが何かわるいの?」
「どうして、わらわないの?」
「……」
 何も知らないサーヤは、次々と問いつめてきます。トオルは、胸の痛いところを、乱暴にどんどんたたかれたような気持ちになって、くっとのどがつまりました。息が苦しくなって、うつむくと、鼻の頭が、つんとあつくなって、なみだがぽとぽと、たんぽぽの上におちていきます。
「……きょねんの夏さ、ママが、わらわなくなったのは……」
 トオルは、苦しげに、かすれた声でこたえました。
「どうして?」
 サーヤは、たんぽぽをあみながら、平気でたずねます。トオルのなみだになんて、まるで気づいてないみたいです。トオルは、サーヤはまだ小さいから、なにもわからないんだなあ、と思いました。すると、なんだか、とてもさみしくなって、じぶんが、とても弱くなったような気がして、だれでもいいから、話をきいてもらいたくなりました。トオルは、野原にしゃがんだまま、ぽつぽつと話し始めました。
「ぼく、ずっとひとりっこで、きょうだいがほしかったんだ。だから、ママのおなかに赤ちゃんができたときは、すごくうれしかった。パパもママも、うれしそうだった。名前だってきめてたんだよ。すごく、楽しみにしてたんだ。でも……」
 トオルは、うつむいたまま、足もとのたんぽぽを、何本もぶちぶちとちぎりました。なみだがほろほろ流れ落ちて、おぼれてしまいそうになるくらい、悲しい気持ちがあふれ出てきて、ことばが何度もつまりました。
「赤ちゃんは、生まれてから、三日しか生きられなかったんだって。心臓に、生まれつきの、病気があったんだって。病院から帰ってきたとき、ママはなんだか、紙みたいにうすっぺらになってるかんじがした。青白い顔で、ぼくを見て言うんだ。『ごめんね。トオル、きょうだい、ほしかったのにね……』って。それから、ママはわらわなくなった。ううん。ときどきは、わらってくれるよ。ぼくの入学式の時だって、わらって、おめでとうって、言ってくれたよ……。でも……、へんだね。おとなって、ほんとうの気持ちは、わらってないのに、わらってることあるだろ? なんか、そんなかんじなんだ。そんなときは、ママがわらってくれても、ぼくはうれしくないんだ。さみしくて、こころぼそくて、なんか、つらい気持ちになるんだ……」
 トオルがそこまで話した時、サーヤは四つめの首かざりをあみおえて、ほっとひといきついていました。
「ほら、首かざり、いっぱいできたよ。ママにあげるの、これくらいでいい? もっといる?」
「うん……、あっ、ほんとにいっぱい作ったんだね。すごいや」
 トオルはなみだをふきながら、言いました。
「つらい気持ちって、どんなもの?」
 五つめを作りはじめたとき、サーヤがまたききました。トオルは、サーヤがあんまり次々とへんなことをきくので、こまってしまいました。
「どんなものって……」
「あまいの? それとも、しょっぱいの?」
「たべものじゃないよ。それに、ものじゃないんだよ。きもちって……目には見えないんだ」
 せつめいしながら、トオルは、ずいぶんとじぶんがおとなびているような気がしてきて、ちょっとじまんになりました。大きくなってくると、むずかしいことが、いろいろわかってくるのです。
「ふうん。サーヤには見えるよ」
「見える? そんなはずないよ」
「見えるよ。だって、サーヤ、きもち、たべたことあるもん」
「だから、たべものじゃないんだってば」
 トオルはせつめいしようとしましたが、うまくできませんでした。しまいに、なんだかどうでもよくなってきて、また野原に頭をつっこんで、花をつみはじめました。サーヤは、トオルがつんだ花を、もくもくとあんでいきます。
「ほらみて、たんぽぽのスカーフ、きれいでしょ」
 しばらくするとサーヤは、タンポポを四角の形にあんで、トオルの前にひろげました。それはまるで、たんぽぽ野原のはしっこを、そのまま四角にきりとったみたいに、とてもじょうずにできていました。小さなサーヤにこんなことができるなんて、トオルはちょっとびっくりしました。
「うわあ、すごいね、どうやったの?」
「ちょっとむずかしいの。でも教えてもらったとおりにやれば、ちゃんとできるのよ」
「ママに教えてもらったの?」
「ううん、ママみたいな人」
「すごいなあ、こんなの、ママにあげたら、きっと、よろこぶだろうなあ……」
「あげるよ」
「ほんと?」
 サーヤは、たんぽぽのスカーフを、トオルにさしだしました。トオルは、スカーフをうけとると、そっとそれに顔をうずめてみました。甘いふしぎな香りに、ふわりとつつまれて、トオルはちょっと気持ちがせつなくなりました。
「なんだか、ママのにおいに似てる……」
 ふと、トオルは目をあけました。サーヤは、トオルに背をむけて、とおくのだれかにむかって、手をふっています。
「よんでるから、もう帰るね」
 そう言ってサーヤがふりむいたとき、トオルは、とつぜん、いなずまにうたれたように、気づきました。サーヤのマシュマロみたいな、まるいほっぺ、おひなさまみたいな、細い瞳……、だれかに、似ています。いちばんなつかしい、いちばんたいせつな……、そう、ママに、そっくりです。トオルは、びっくりして、立ち上がりました。
「そうだ、サヤカちゃんだ! ママは、おなかの中のいもうとに、そう名前をつけてたんだよ! まって、サーヤって、きみ、ぼくのいもうとだろ!」
 トオルはさけびました。サーヤは、こたえず、どんどん野原のむこうに走っていきます。
「おおおい!」
 トオルがおいかけようとすると、とつぜん、たんぽぽのスカーフがふわりと舞い上がり、トオルの前にたちふさがりました。
「それいじょう、きちゃだめ」
 サーヤの声が、きこえたような気がします。とたんに、スカーフは大きくひろがって、つむじ風のように、トオルにまきつきました。はらいのけようとしても、むだでした。たんぽぽスカーフはまるでゴムみたいにかたくなっていて、もがけばもがくほど、きつくまきついてきます。トオルは、息ができなくなり、目の前がまっくらになりました。たんぽぽはあざみのようにちくちくして、手足がひりひりいたみました。せなかや、あたまも、きりきり、いたみました。もう声も、出ませんでした。
(やめてよ! ひどいよ! だれかたすけて! いたいよお!)

「トオル! トオル! しっかり!」
 突然、耳元でママの声がしたので、トオルはそちらをむきました。はずみで、目がぽろりと開いて、なみだと光が、いっぺんにあふれかえりました。ママの青白い顔が、うるんだ白い光の中で、じっとこっちを見ています。
「あっ、ママ」
「トオル! ああよかった、目をさましたのね」
「どうしたんだ。しんぱいしたんだぞ。ひとりで裏山に入っていくなんて」
 後ろにいたパパが、あわててトオルの顔をのぞきこみました。みんな半泣きの目になって、トオルをみつめています。からだをうごかそうとすると、むねのあたりがずきずきいたんで、トオルはうなりました。するとママが、やさしく頭をなでてくれました。
「だいじょうぶ、すぐ直るからね。トオル、ほんとにがんばったね。お医者さまも、もうだいじょうぶって言ってくれたのよ……」
 トオルはいつしか、見知らぬ白い部屋のベッドの上に、寝かされていました。なにがどうなっているのか、よくわかりません。でも、トオルは、早くママに伝えなければと思って、からだじゅうがいたかったけれど、いそいで言いました。
「ママ、ぼく、サヤカちゃんにあったよ。よかったね、ママ、サヤカちゃん、生きてたよ」
「何を言ってるんだい? おまえはひとりで裏山にいって、沢に落ちてけがをしたんだよ。三日も目をさまさなかったんだよ」
 パパがなみだをのみこみながら、言いました。
「うん。ぼく、裏山にたんぽぽ探しにいったんだよ。ママにたんぽぽあげようと思って。ママ、このごろ泣いてばかりだから。それでね、裏山に、すごく広いたんぽぽ野原があってね。そこに、サヤカちゃんがいたんだよ。サヤカちゃん、今、ママみたいな人といっしょにいるんだって。それでね、びっくりだよ。もう赤ちゃんじゃなくて、とても大きくなってたよ。ぼくよりは小さかったけどね。ナマイキなんだ。たんぽぽもようの服きて、かわいかったよ。あ、ぼく、いっぱいたんぽぽつんだのに、どこにいったんだろう? おいてきちゃったのかなあ?」
 トオルは、かすれた声で、つかえながら、一気に、そこまで言いました。すると、トオルを見つめているママの目が、大きく見ひらいて、見る見るうちになみだがあふれてきました。
「……ああ、そうよ。ママ、サヤカちゃんに、たんぽぽもようのドレス買って、お棺に入れてあげたの……。生きてたら、もっともっと、かわいがってあげたかったのに、何もできなくて、それが、くやしくて、どうしようもなく、くやしくて……。だからママ、泣いてばかり……。でも、なぜトオルが知ってるの? ママ、トオルにドレスのことは何も教えてないのに」
「ママ、よかったね。もう泣かなくていいよ。サヤカちゃん、死んでないよ。ちゃんと生きてるよ。よかったね、ママ……」
 いっしょうけんめいに、そこまで言えたとき、トオルは、ほっとして、きゅうに、力が、ぬけました。
「そう、そう、よかったね。生きてて、ほんとに、よかった……」
 ママは、言いながら、ねているトオルの頭を、そっとだきしめて、ほおずりをしました。
「だいじな、だいじな、ママの子……、生きてて、よかった……よかった……」
 夢の中と同じにおいが、トオルをつつみました。ママのほっぺが、ふるえています。
「トオル、ごめんね。ママ、もう泣かない。もうぜったい、泣かないからね」
 ママのささやきを、ききながら、トオルはだんだんと、また眠くなってきました。トオルは、うとうとしながら、へんだなあ、と思いました。泣かないって、言ってるのに、ママの涙は、ぽとぽとぽとぽと、どうしても、とまりません。それなのにトオルは、ぜんぜんさみしくも、つらくもありませんでした。
(どうしてかな? おとなって、ほんとうは泣いてるんじゃないのに、泣いてることも、あるのかなあ……)
 まだ、からだじゅうが、いたかったけれど、ほわほわとあたたかな気持ちにつつまれて、トオルは、安心して、すやすやと、眠りました。

         (おわり)





(1999年、ちこり15号所収)




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ジャンヌと天使たち

2014-05-06 06:06:53 | 虹のコレクション・本館
No,133
ハワード・パイル、「ジャンヌと天使たち」、19-20世紀アメリカ、イラストレーション。

マーク・トウェインの戯曲につけた挿絵らしいが、この絵に描いてあるジャンヌは、実像のジャンヌ・ダルクに一番近い。

かのじょはこんな雰囲気だったよ。かわいらしかった。経験に祈る姿が美しかった。

どこかの女優が演じるジャンヌのように、不遜で傲慢な雰囲気など微塵もなかった。若いのに、ものごしがやわらかい。それほど秀逸な容貌ではないのに、美しく見える。分厚い男にも見える。

一目見て、男がほれるような女性だったんだよ。

これが国を救った女性だ。
十代やそこらの女性が、ただで国を救えるわけがない。かのじょには、多くの人を魅了できるだけの美があったんだよ。

後の、魔女だの狂女だのという評価は、かのじょの実像を知らないから言えることだ。

ジャンヌを描いた絵はけっこうあるが、こんなふうに美しく描いてくれた画家がいたことが、うれしいね。

これからも、この女性のイメージは愛していってほしい。




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ミラ

2014-05-05 06:08:15 | 画集・エデンの小鳥
ミラ
2014年




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